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03_適応障害になるまで①

広告代理店のデザイン部門。高校生の頃から就きたかった仕事。芸大まで行かせてもらって、学費は卒業後奨学金として自分で返しているが両親には好きなことをさせてもらい感謝しかない。前職から目立った実績を残すことはできていないが、下積みが長い職種だし、20代は苦労をするもの。芸大の学費は、今のこのデザインの仕事のお給料で返済していくことが自分の中で美徳としていた。

●温厚、人当たり良い、基本イエスマン

●他人軸で生きる、周りの目が気になる、自己犠牲

●人の表情や反応に敏感で常に気を遣っている

●真面目(良い意味では)だが融通がきかない、頭が硬い

●何を言っても害はないと思われているので板挟みになる

●情報処理速度が遅く、1つを深く考えてしまう

●ネガティブな情報を吸い取りすぎて人一倍疲れる

●協調性に長けているが同調しすぎて他人との境界線がない

長所・短所両方の点をあげているが、上記が会社での私の特徴。まとめると、お人好しの不器用人間なのだ。こんな性格なので、社内では多方面からストレスの吐き口なっていた。おのずと雑用や緊急案件、管理職には頼めないような大人の事情に丸め込まれためんどくさい仕事が営業部からくる。どんな仕事でもまずは下っ端がやります!精神で引き受けてこなしていた。ただ人には逆らえない自分の弱さや自信のなさをカバーするために、せめて頼まれたことはやろうという意味でもあった。会社の風潮的に新卒はとても大事に育てられるが、中途組は暗黙の了解だったがなかなか雑な扱いをされる。臆病でイエスマンな私をなめてかかる人は多く、何を言っても怒らないと思われているため、高圧的な態度でパワハラやマウント取りの餌食だった。図太く構えているぐらいの余裕がないとやっていけないとだんだんと察し始めていた。

1日に複数クライアントを掛け持ち、何案件も同時にこなしていく能力、何件ものミーティング、予算管理からチーム連携能力、実務デザイン作業、報告書作成と上手く組織を渡っていくスキルが求められていたが、中途入社2年目あたりからマルチタスクに対応できない自分の無能さと、HSPである気付きが重なり、日に日にモチベーションが落ちていってしまう。なぜ、なぜこんなに自分だけ損な性格なのか。なぜ他の人はいつも余裕なのか。1日中頭から離れなくなっていく。生きづらさに気付いてしまってからそのまま気持ちが上昇することはなかった。

#HSP #適応障害


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