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不便を愉しむ

身の回りには便利なものがたくさんある。そして私たちは便利なものに助けられている。欲しいものは全部お金を払えば手に入る世の中だ。そして何より、簡単に「完成形」が手に入る。コーヒーも紅茶も出来上がったものがいただけるし、食べ物だって出来合いの美味しいものがスーパーにはたくさん出ているし、カップラーメンだっておにぎりだってコンビニに行けばどこにでもある。服だってアクセサリーだって出来上がっているものを買えるし、洗剤だって化粧品だって、すでに完成された状態で売っている。

ただ、そんな中で見失ってしまうものも、きっとある。最近私は、出来上がっているもの、すでに完成されているものをできるだけ買わない、使わないようにしている。コーヒーももちろん豆を引くところからゆっくり淹れるし、まだまだこれからだけれども、食べ物もできるだけ自分で育てようと思う。その場でできるものよりは、前日から何かを漬け込んでみたりとか、買って食べれるお菓子よりは、少しだけ時間をかけて簡単なものを作ってみたり。お化粧もパパッと済ませるより、丁寧にお顔に触れながらブラシを使ってメイクして、自分の肌に合わせて毎日スキンケアを変えてみるとか。

1つ1つのものや作業をあえてゆっくり時間をかけてやってみる。そこにあまり便利さや簡単さはないけれど、少し不便になったその過程がなんだかすごく愉しい。そしてなんとも有難い。こんなに当たり前に手にしているものは、こんなにも手がかかっていたのか、こんなにも知らないとできないことだったのか。そんなことを感じる。私は自分の毎日に完璧さを求めていない。だからこそ、自分の手でやってみた不便さを楽しめているんだろうな。

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