【幸福論】石田三成を幸せにしてみる
半年前くらいに書いたnote達がスキをもらって僕の通知欄を彩っている最近である。
このnoteも最近スキをしてもらったおかげで、読み返すきっかけを得た。
「結構いいこと書いてるやん!」と半年前の僕を褒めてみる。
「成功者」ではなく「幸せ者」であれ。
この発信の中には「他人からの評価より自分の感情を優先しよう」という意味が含まれていて、この思想はまさに”表現者”の思考である。
世の中、今現在、未来でどんな評価が下されようと、自分が想い見る世界が幸せであればそれでいいじゃん。
ここまでが理想論である。
もしあのままメルヘンチックな話を続けていると「空想上の話であって理想ではあるけど現実的じゃないよな」と読者は離れていくものである。
「年収1億円稼げばこんな生活があるよ」という理想的な話は好きだけど、それと同時にそこに至るまでの道しるべも示さないと「結局あなただから行けたんじゃん」と離れていく。
理想と現実の棲み分けがしっかりできていると感心する反面、どこか冷めててアツさが無い。
「Z世代」「さとり世代」、そんなことを言われる年代の人の考え方。
と言われている。
僕ががっつりこの世代の人間だから「この感覚が普通じゃね?」という価値観の中で生きている。
僕にはこの考え方が普通に思える。
理想を語ったのだから、そこに至るまでの道しるべも示さないと。
ただこの世界には理想だけ語って「この先は有料で」とか「詳しくはオンラインサロンで」みたいにしてお金を稼ごうとするやり方が多く採用されている。
それだけならまだいい。
なんなら理想を語るだけ語っといて、その先は何も無いなんてこともある。
「こんな政策を実行します」と理想を語って、当選したら国民の利益なんて二の次で自分のやりたいことをやる、みたいなね。
理想がある。
だけどそこに辿り着くための手段が隠されていることがある。
なんならその手段が自分に合わない可能性すらある。
ならどうすればいいのか。
続きは僕のコミュニティー「八表隊」で話します。
ということで終わり・・・
ません!!
なんか真面目に書きすぎてふざけたくなった。
こんなにもったいぶるほどの方法じゃない。
ものの見方、視点を鍛えようと言いたいだけ。
理想を実現したい、幸せに生きたい。
これらの正解は他人の評価で決めるのではなく、自分の感情で決まるようにすればいい。というのが僕の幸福論。
自分の感情でどうにでもなるなら手段は多い方がいい。
手段を増やすには?視点を鍛えればいいじゃん!
視点というのは「もの」「こと」「想い」、何でもいいけど対象物を見る角度のこと。
円錐は横から見ると三角に見え、上から見ると円に見える。
視点が変わればものの捉え方も変わる。
どうすれば視点が鍛えられるのか。
こればっかりは数をこなすしかないのかなと。
目の前にあるものが「円錐である」という仮説を知ること。
その仮説を検証するために上から見る必要があると知ること。
どうすればこの三角を上から見ることができるのかを考え、実験すること。
上から見た結果、どんな事実がそこにあってどんな感情が芽生えたのかを感じること。
この繰り返し。
今、目の前にある現象の結果は一方通行ではない。
関ヶ原の戦いで石田三成は負けた。
敗戦の将となり、捕らえられ、首が晒された。
そんな最期を迎え、「ざまぁみろ」と罵る人もいれば、「可哀想に」と憐れむ人もいるだろう。
だけど視点を変えると、彼ほど幸せな人は極少数な気がする。
日本中の武士を二分して戦った天下分け目の大戦。
この戦の中で大軍の指揮を執った武将・石田三成。
豊臣秀吉を支えた家臣の一人でしかなかった武将が、西軍を率いて戦った。
武士として生きる人の夢だと思う。
そしてそれを体現した石田三成という武将は幸せ者だった。
史実としてどうだか知らない。
だけど感情としてあってもおかしくはないだろう。
負けても、嫌われても、憐れられても、彼自身が「幸せだった」と思えば幸せなのだ。
幸せ者として生きるには視点が大切である。
その視点を鍛えるには、知り、実験して、想いを感じること。
このnoteを読んで、関ヶ原の戦いを「知り」、石田三成の武将としての心情を「実験する」ことができた。
今、あなたは何を思う?
その感情を表現することが視点の強化になり、あなたの幸せに繋がる。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。スキやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
【お猿コンテンツの全容】
表現者お猿のすべてを味わい尽くしてくださいね。
【お猿、「公式LINE」始めました】
LINE限定のコンテンツ配布中。お猿さん、文章だけじゃないんですよ。
友達追加よろしくです!!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?