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魔女になろうと思った

 スピリチュアルな話ではなく。

 魔女といえば異端者、「父なる神」の秩序に逆らう者。

 要するに、おっさんやじいさんばかりが牛耳っている、上に媚びて下を嘲笑う、マウント合戦の現代社会に背を向けて、もっと別の原理で生きてやろう、という話。

 あらかじめ断っておくと、ここで言う「魔女」とは漠然としたイメージとしての魔女であって、中世の魔女狩りの時の基準とか詳しいことはよくわからない。

 ちなみに魔女(witch)というのは女性に限定されるものではないらしく、魔女狩りに関する文献では「男の魔女」などと書かれていたりする。とはいえ魔女は伝統的に女性原理とされているものと関連しているのだと思う(女性的とされている特徴は、大概男性にも見られるはずだと思うのだけれど)。

 では魔女の原理って何なのかというと、身体に根差した何かだというのが直凪の解釈。

 難しい魔法陣を描いて呪文を唱える(=頭で考える)魔術とは違って、魔女の魔法は念じてえいやってしたらなんか出る、みたいなイメージ(あくまでイメージ)。魔女がやっていそうな薬草による治療やシャーマニズム的行為も、理性で組み上げた学問というよりは、感覚的で動物的な知恵ではないだろうか。

 また魔女狩りの時代には、魔女は悪魔と性的に交わるものとされていた。性なんて肉体的なものの代表とも言える。

 今の社会は、肉としての人間を軽視し過ぎだと思う。健康でいたいと願うくせに、身体の声を聞こうとはしない。身体が疲れたと悲鳴を上げても無視して、あるいは薬や栄養ドリンクで麻痺させて働かざるを得ない。身体感覚が鈍って当たり前の生活をしている。

 思考する意識だけが人間じゃない。心だけが人間じゃない。精神も肉体も全部ひっくるめて「人間」なのに。

 心の代名詞とも言える「感情」だって身体反応だ。嬉しい時は身体が軽いし、憂鬱な時は肩が重い。腹が熱くなる感覚を怒りと呼び、全身の毛が逆立つ感覚を恐怖と呼ぶ。身体感覚を解釈して初めて感情が意識される。仮に人間を精神と肉体に分離できたとして、精神側に感情と呼べるものが残るかどうか疑問だ。

 だから身体感覚を無視することは感情を無視することでもあり、それは心を、人の尊厳をないがしろにすることにもなると思う。

 性に関しても同様で、感覚よりも規範を優先するのは歪んでいる。例えばトランスジェンダーの性別違和なんて感覚でしかない。その感覚をないがしろにして「体が女/男なんだから女/男でしょ」「男と女以外の性別があるわけないでしょ」と言えば当事者をひどく傷付ける。常識でこうだって言われても、実際そんな感じがするんだから仕方ないじゃん。恋愛は男女でするものだって言われても、同性を好きになっちゃうのは仕方ないじゃん。

 頭の中で組み上げた「こうあるべき」「こうであるはず」という空想に囚われると、今ここにある身体、目の前にいるあなたの感覚に鈍感になる。現実が見えなくなって、勝手に解釈して、理想を押し付ける。そういうことばかりが起きる社会は息苦しい。

 なお規範というものが全て悪いという話ではなく、感覚自体を無かったことにするのが問題だと思っている。「そんな風に感じるはずがない」なんて否定したって、現実に感じているものは仕方ない。その感覚を受け止めた上でどう行動するかは別の問題だ。

 頭でっかちでいるのをやめて、不可思議でままならない肉体としての人間、獣としての人間を、もっと大切にしていきたい。そんなぼやっとした思想に、「魔女」という名前がしっくり来たのだった。

 魔女の思想は異端の思想だ。具体的にはフェミニズムとか、包括的性教育とか、セクシャルマイノリティの権利とか、環境保護のような、旧来の道徳観に対する脅威として現れてくる場合もあるだろう。各地の魔女(と直凪が勝手に認定している方)たちが、異端審問に屈することなく活動している。古い価値観のままではダメだと多くの人が思い始めている今、誇り高き魔女たちが世界を変えようとしている。

 蛇足だが子供の頃は本気で魔女になりたくて、空飛ぶ箒を作るためにいい感じの枝を集めたりしていた。二十数年越しに魔女への憧れが復活するとは。ウケる。

 みんなで魔女になろうぜ。

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