ぽにゃんつ

大学生、人文学をかじっています

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最近の記事

卒論執筆記〜飴と鞭〜

はじめに これはcoins Advent Calendar 2023の12/23の記事です。 12/23 0:42現在執筆を開始しました。12/23 0:00に公開できなかったことをお詫び申し上げます。 弁明をいたしますと、本日(広義)12/22 16:27に卒業論文を無事提出することができ、その後気が抜けて無限に腑抜けておりました。 さて、この記事の内容は私の卒論執筆体験談になります。あとで読み返して懐かしむために、また途中ちょっとした事件もあったので、アドカレの記事

    • ”当たり前”のレベルが上がりすぎた

      要点 現代の人間に求められる当たり前のレベルが上がりすぎた結果、適当に親になることが難しくなった。  ここ数年の問題ではないが、私たちに求められる”当たり前”のレベルは上がり続けており、多くの脱落者を産んでいる。”当たり前”のレベルとは、例えばコミュニケーションにおける気遣いや想像力、マルチタスクを並行して処理する力、変化に応じて柔軟に対処していく力、ポリティカルにコレクトネスになるよう当意即妙な発言をしていく力などの総体として理解されるものである。つまり社会が私たちに求め

      • "Each person has his own hell"だけど...

        自分より恵まれているように思える人間が吐露する生きづらさをそのまま認めることは難しい。なぜなら嫉妬してしまうから。恋人や学歴、時代に適合的な興味関心と能力、容姿、実家の太さetc.があってどこが生きづらいのか、ふざけたこと抜かしてんじゃねえとなってしまう。自分の人生を1mmも前進させることなくなんなら後退させる僻みにしかならないことを頭ではわかっていてもこういう僻みを叫ばずにはいられない。おまけに自分が他人から同じような僻みを向けられたら「そんなこと言われても私が感じている私

        • 言い訳に負い目がつく世界の片隅で

          中国が人口子宮で子どもを育てることを可能にしたらしい。これについては女性性と不可分に結びついていた出産機能を女性から分離し、女性を性役割から解消するであろうとのジェンダー的な見方もある気がする。だが、今回はこの面白い方向性にはご退場願おう。今問題にしたいのはデザイナーベビーにまつわる優生思想とそれが現実化した世界の夢想だ。 現状、優生思想はナチスによる障害者虐殺などの経験によって脊髄反射的に不道徳とされているが、個人の自由選択の範囲では許容されている思想だ。例えば可能な限り

        卒論執筆記〜飴と鞭〜

          2020回顧録:精神科から始まる紆余曲折

          Ⅰはじめに本稿では私がおよそ1年前に人生で初めて精神科に行った経緯と初診の出来事から2つのことを学び,2つの教訓を導き出したことを述べる.経緯とは私が精神科に行こうと思った時の心境とその目的であり,初診の出来事とはその目的が達成されなかったことを指す.そして,初診の出来事から学んだこととは精神科医の機能が治療ではなく調整である可能性と社会的に配慮される属性とそうでない属性の間で序列構造が存在していることである.さらに,2つの教訓とは自分を甘やかさずに生きていくことと社会は持ち

          2020回顧録:精神科から始まる紆余曲折

          心という器と優しさ

          2021年一発目のnoteなので今年折に触れて振り返りたい内容を書き残しておく。僕の僕による僕のための自戒テキストである。以下の内容は僕がバイトを1年半ほど続ける中で実感したことである。世間では常識的なことだろうが,そのような言葉の羅列として理解できる段階と経験の裏付けによって腑に落ちた段階には天地の差がある。 優しさは余り物早速一般論をぶち込んでいくが,優しさは余りものである。何から生じた余り物かと言えば自己の充実感の余り物である。充実感は自尊心,自己肯定感,満足度,幸せ

          心という器と優しさ

          素朴な進歩主義の先は”正しい”社会か

          例年より長い梅雨がようやく明けた。久々に見る青空に私の気分は高揚した。だが、考えていたことは例の如く明るくない。 今日は梅雨明けを祝して僭越ながら私(わたくし)が祝辞を述べさせていただこうと思う。 1.はじめに 昨今ではポリコレ運動やフェミニズム運動などが盛り上がりを見せている。これらの運動はより良い社会を目指して日々立ちはだかる壁と死闘を繰り広げている。  こうした運動があること自体は歓迎すべきことだろう。既存の社会体制に抱いた不満を広く社会に訴えることは社会の新陳代謝を

          素朴な進歩主義の先は”正しい”社会か

          余裕のなさで増す息苦しさ

          毎日文章を書くのは私にとってハードルが高いらしい。だが、今回はここ数年何となく感じていたことが「余裕のなさ」と「息苦しさ」でつながったので書いておきたい。多くの人が耳にしたことある話ばかりだろうが、大切なことは他人が既に考えたかどうかではなく、私自身がどう考えたかなので気にせず書いていこうと思う。 漠然とした正しさが人々を縛るCOVID-19が流行し、毎日暗いニュースが報じられている。twitterなんて少し前までは「100日後に死ぬワニ」や「だいしゅきホールド」の起源を巡

          余裕のなさで増す息苦しさ

          自由時間を持て余す

          新型コロナウイルスの感染拡大に伴い,私が通う大学も新学期の開始が延期となった.長めの春休みがさらに伸びる. 何をするにも自由だ.やりたいことを好きなだけやれる大学生活の真っ只中にいるわけだが,私はこの贅沢で貴重な自由時間を持て余している. 自由時間を持て余していると言うと,普通の人はどんな反応を返すだろうか.「そんな時期も人生にはあるよ」「お金では買えない時間を無駄にするな」「やりたいことを全てやればいいじゃん」「わかるー大学生の休みって暇だよなー」「君の本当にやりたいこ

          自由時間を持て余す

          からかうのは後出しジャンケンでずるい

           小学校低学年のころ、私は同級生にからかわれることが多かった。私の反応が同級生にとってはおかしかったのだろう。当時の私は短期で負の感情をうまく消化できなかったから全てのからかいを真に受けて怒ったり泣いたりしたいた。だが、私が怒ると、からかってきた同級生は「冗談だよww真に受けてんじゃねえよww」と言う。1度の発言で2回も馬鹿にされていた。結局、親の助言もあって同級生のからかいは次第にただの雑音としてスルーできるようになった。からかわれた事柄をネタにして返していたら人間関係も表

          からかうのは後出しジャンケンでずるい

          問いの立て方に潜む人間像とその性格

          noteをできるだけ毎日書くことでアウトプットする習慣をつけようと思いはや3日。3日坊主の危機を迎えているが、淡々と投稿を継続したい。 今日は何気なく頭に浮かんだ疑問から、どうやら問いの立て方によって無意識に前提としている人間像が変わり、問いの性格によっては社会秩序を脅かすから論争になるのではないかという話。 「なぜそうなったのか」と「なぜそうなってしまったのか」の印象 一応、私は歴史学を専門にしようとしているので、物事の原因を考える時などに関心が時間軸に向きがちだ。「

          問いの立て方に潜む人間像とその性格

          知識の捉え方の違い

          知識の2つの解釈 初めに断っておきたい。今日の話には結論も何もなく、ただつらつら文字が並ぶだけだろう。 多くの日本人は小中高12年間で学習指導要領に沿った知識を学び、人によっては大学に進学して高度な勉強と研究に進む。こう書けば単純だが、なぜか知識の捉え方は2つの形に収束しがちだ。すなわち、知識の利用価値を重視する立場としない立場だ。当たり前すぎてわざわざnoteにする気もなかったのだが、先日この2つの立場を実感する出来事があった。 その出来事は高校同期と食事をしている時

          知識の捉え方の違い

          自分らしさ称揚の生成と対処法

          はじめに ここ数年、自分のやりたいことや強みを生かして仕事をすることを推奨する風潮が強まっている。自らのありたい姿を熟考し、やりたいことを軸に大学や仕事を選ぶことがよいとされているようだ。確かにやりたくもないことをやる人生は退屈であるから、人生の時間の大半を占める仕事が楽しくなれば人生は充実したものとなるだろう。 しかし、私はこうした自分らしさの称揚とでも言うべき風潮が嫌いだ。だが、私はこのような時代に偶然投げ込まれた以上仕方なくこの風潮に適合していかねばならない。 そ

          自分らしさ称揚の生成と対処法

          個の論理と公の論理から考える相談

          はじめに  不安や悩みを抱えた時、人間は誰かに相談する。新年度を控えた3月は特に相談したいことが増える時期ではないだろうか。私自身、大学2年生をどう過ごしていくのか、何を幸せと感じるのか、大学で自分は学問できているのかなど漠然とした不安で頭がいっぱいだ。  しかし、この悩みを見てわかるように私は他人に自分の悩みを相談するのが苦手だ。何をどのような形で相談したらいいかわからないし、相談したい内容も漠然とした内容で相談された側もとっつきにくいものばかりになりがちだ。だが、この

          個の論理と公の論理から考える相談

          学べない凡人のジレンマとコミュ力台頭

          複雑な世の中において凡人は自分で考えるより、凄そう(ボキャ貧)な人の考え方や方法論を真似たがるのも無理はないという話。 世の中複雑すぎて理解できない「これからの時代は複雑で予測不可能な時代でありー」といった話はよく聞く。これを表す言葉としてVUCAなるワードがあるほどだ。Vがvolatirity(変動性)、Uがuncerntainty(不確実性)、Cがcomplexity(複雑性)、Aがambiguity(曖昧性)だそうだ。要するに、普通にみたら世の中の仕組みも動向も簡単に

          学べない凡人のジレンマとコミュ力台頭

          文脈を付与する人文知

          客観的事実に文脈を付与するのに人文知は貢献できるのではという話。なお、人文知とは文化人類学や考古学、民俗学、哲学、宗教学、歴史学などのことをさすが、経済学は少し違うと思うので除く。 事実の特徴事実とは現実に起こった事柄を指す。解釈に齟齬が生じず、数量化できるのも特徴だ。このように事実は客観的であるから学問やビジネスで常識のように重要視されるものだ。客観性を欠くことなどあるまじきことであるかのように。そして、事実はデータとして処理され、現実世界を理解する参考にされる。 しか

          文脈を付与する人文知