個の論理と公の論理から考える相談

はじめに

 不安や悩みを抱えた時、人間は誰かに相談する。新年度を控えた3月は特に相談したいことが増える時期ではないだろうか。私自身、大学2年生をどう過ごしていくのか、何を幸せと感じるのか、大学で自分は学問できているのかなど漠然とした不安で頭がいっぱいだ。

 しかし、この悩みを見てわかるように私は他人に自分の悩みを相談するのが苦手だ。何をどのような形で相談したらいいかわからないし、相談したい内容も漠然とした内容で相談された側もとっつきにくいものばかりになりがちだ。だが、この不安を他人に伝えられないもどかしさは消えない。不安を他人に伝えるにはやはり論理的に自分の不安をまとめ伝えなればならないのだろう。

 そこで、今日は相談内容を論理的にまとめられないというが、そもそも個人の悩みや不安に論理的/非論理的の区別を通常通り持ち込むことの問題を考え、相談する側とされる側の心構えについて見ていきたい。

「論理的/非論理的」ではなく「個の論理/公の論理」

 そもそも論理的/非論理的を分ける基準は何か。それは他人が納得できるか否かである。他人が読んで理解し納得できる文章は論理的な文章であるし、逆の場合は非論理的な文章となる。

 だが、論理の定義には他人が納得できるか否かという基準は含まれていないと私は考えている。『広辞苑 第6版』は論理を以下のように4通りで説明している。

  ①思考の形式・法則。また、思考の法則的なつながり。

  ②実際に行われている推理の仕方。論証の筋道。

  ③比喩的に、事物間の法則的なつながり。「歴史的発展のー」

  ④→論理学に同じ

下2つは置いておくとして、上2つは論理を思考のつながりの点から定義している。思考の”法則的”なつながりというと多くの人に理解される形式が連想されるが、そもそも思考は個人の脳内で行われる営みである。確かに、個人の脳内で行われること全てを思考と見なすかどうかは意見が別れる点だし、思考はそもそも他人にも伝わる形で進むものであるという意見もあるだろう。だが、個人の頭の中で行われる営み全てを思考に含めるならば、論理とは言葉のつながり具合だけを意味する。だとすると、他人には伝わらない個々人の不安や悩みとは非論理的な文章ではなく、個の論理で紡がれた文章だと考えられる。そして、個の論理を脱した、より多くの人に伝わる言葉のつながり具合が公の論理だと言える。私たちが通常「論理的/非論理的」の図式で区別している論理は単に「個の論理/公の論理」という区別に過ぎない。「個の論理/公の論理」の区別には他人に伝わりにくいからまだ未熟でよくないという否定的なニュアンスはさほど含まれていないと考えられる。

個の論理は瑞々しくか弱い

 論理を他人への伝わりやすさではなく言葉のつながり具合と定義し直すと、論理は個の論理と公の論理で再定義できるというのがここまでの話だ。

 では、個の論理にはどんな特徴があるのか。他人に相談する不安や悩みは多くの場合、漠然としていてよくわからない個の論理で紡がれている。ならば、個の論理の特徴を捉えればどのように相談をしたり受けたりすればよいかわかるはずだ。

 私は個の論理の特徴は瑞々しさとか弱さにあると考えている。

 瑞々しさとは個性的で生き生きとしていることの比喩のつもりだ。当たり前だが、個の論理は個々人の固有の言葉のつながり具合なので個性的でユニークだ。個性的であるとは万人受けすることではない。しかし、万人受けするものからは固有の息吹のようなものを感じにくい。なんだか乾燥していて脱個人化されている。個の論理には個々人の感じたことや学んできたことが色濃く反映され、個々人の人生が宿っていると言っても過言ではない。ゆえに、個の論理は瑞々しいと私には思える。(伝わりにくくて申し訳ない)

 また、か弱さとは公の論理からの圧力には耐えられないという意味だ。気があう場合を除き、他人に何かを伝えようとするなら公の論理に従わなければならない。だが、個の論理は自分にわかるような言葉のつながり具合なので公の論理に変換する必要がある。しばしば変換はうまくいかないので相談相手から「言いたいことがわからない」と否定されたり、「まあ気分転換しようよ」と流されたりする。個の論理は脆さを孕んでいる。

個の論理を相談でどう扱うか

 個の論理の特徴を定義してみたので、個の論理を相談でどう扱うか考えてみたい。まず、相談する側は目的と状況に応じて相談相手を適切に選ぶべきだ。単に落ち込んでいて話を聞いてほしいだけなら親密な友人や恋人に話せばよい。ただ話したいだけなら個の論理は批判されたりしないので心理的負担も少ないだろう。また、研究や学問への助言がほしいなら指導教員や先輩などその道の先達に相談するのがよい。多少、批判される怖さはあるが自分と同じ分野の先達なら素人の疑問をうまく助言に落とし込んでくれる可能性は高い。

 次に、相談される側は2つ意識すべきことがある。1つ目は相談者の要望を知ることだ。ただ話を聞いてほしいだけの人にマジレスするのは最悪だし、助言を求めてくる相手に相槌を打つだけでは要望に対して対応がズレている。2つ目は相談者の発言内容をまず受容することだ。意味不明で支離滅裂でみっともなくても、そのような価値判断をする前に事実として内容を聞く。個の論理はか弱いから初手で非論理的だと言ってしまった時点で相談は破綻する。受容した上で、相談者独特の価値観や感受性を公の論理との対比から掴み、対話していけばよいと私は考える。

さいごに

 多くの人にとって人生のロールモデルが不在の現代において、1人で何もかも決断して実行するのはかなり怖い。相談スキルを高めて必要な時に助け合える人間関係を構築していきたいと考える今日この頃です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?