卒論執筆記〜飴と鞭〜


はじめに


これはcoins Advent Calendar 2023の12/23の記事です。
12/23 0:42現在執筆を開始しました。12/23 0:00に公開できなかったことをお詫び申し上げます。
弁明をいたしますと、本日(広義)12/22 16:27に卒業論文を無事提出することができ、その後気が抜けて無限に腑抜けておりました。

さて、この記事の内容は私の卒論執筆体験談になります。あとで読み返して懐かしむために、また途中ちょっとした事件もあったので、アドカレの記事として寄稿させていただきます。

自己紹介が遅れました。私はとある大学で人文学、具体的には哲学と倫理学を専攻している者です。専攻を西洋史と哲学・倫理学で迷っていたら1年留年したので、現在学部5年目です。
哲学といえば王道はドイツ系とフランス系ですが(偏見)、私の専攻はイギリス哲学です。「イギリスに哲学なんてあるの!?」と思った方は今すぐ松永澄夫編『哲学の歴史 第6巻 知識・経験・啓蒙【18世紀】』第4版、中央公論新社、2020年。を図書館で借りるなり、書店で購入するなりして、ぜひイギリス哲学の世界に飛び込んでみてください。

私の卒論執筆スケジュール

私の卒論執筆スケジュールは概略次のとおりでした。
9月:卒論に着手。扱う思想家の議論を復習し始める。友人が開いていた自主ゼミに参加するようになる。
10月:文献を読み進める。だんだん当初予定していたテーマとは異なるテーマで書きたくなる。
11月:月初めに事件発生、主査に9月からの進捗をほぼ全て吹き飛ばされる(これが事件)。構想を0から練り直し、11月最終日の22時に初稿を書き上げ、主査と副査に提出。
12月:月初めに主査と副査から大枠問題ない旨の承認をいただく。体裁面や足りなかった議論を付け足し、提出。

まず明らかに卒論に着手するのが遅いです。遅すぎます。舐め腐っているとしか思えないでしょう。
しかしこれには事情があります。というのも、公務員試験を受けていて、最終面接が全て終わったのが8月末だったのです。それまでは2022年の8月半ばからずっと公務員試験の学科勉強や面接対策、アルバイトに明け暮れていたので、本当に卒論には一切着手することがないまま学部最終年の9月を迎えました(補足;公務員試験は無事合格できました)。

11月初めに事件が起きるまで

さて、ここからは11月初めに起きた事件について詳しく書いていきたいと思います。その事件とは先述の通り、9月からコツコツ積み重ねていた文献や論文の蓄積という進捗を吹き飛ばされたことです。

なぜこんなことになってしまったのか、書ける範囲で詳しく書いていきたいと思います。もし読者の中に来年以降に卒論を取り組まれる方がいらっしゃれば、ぜひ私と同じ失敗をしないように参考にしていただければと思います。

当初、私の卒論のテーマは扱う思想家の理論内部における整合性を問うものでした。どの思想家にもその理論において鍵となる概念が存在します。そしてその鍵となる概念を土台として理論が構築されているものです。しかし、往々にして理論には一見すると矛盾に思える点が存在するものです。もちろん安易に矛盾であると断定することは厳に慎まねばならず、できるだけ扱う思想家の思想に則しながらその人の思想を理解しなければならないのは言うまでもありません。

とはいえ、ある思想家の鍵となる概念から論理を辿っていくと、どうしても理論の内部で矛盾しているように思える点は出てくるものです。そしてその矛盾が果たして本当に矛盾であるのか、換言すれば理論の根底に据えられている概念でどこまで説明することできているのかを再検討することには一定の意義があると言えます。私の卒論はこのような方向を目指すものでした。

具体的な中身は次のとおりです。まず私の扱う思想家はイギリス道徳哲学においてAの潮流に属するとされる思想家でした。(これ以上具体的に書くと個人を特定される可能性が高まるのでぼかして書くことをご理解いただけますと幸いです。)そして、Aの潮流には対立するBの潮流が存在します。
ここで私の扱う思想家の理論を学んでいくと、理論の内部にBの潮流にあると思えるような要素が存在するように私には思えてきました。つまり、私の扱う思想家は通説ではAの潮流に属すると言われていますが、この図式的な理解が本当に正しい理解であるのか疑問に思えてきたのです。

そこで当初の私は卒論において、扱う思想家が果たして本当にAの潮流に属しているのか否かを再検討することにしたのです。具体的には、次のような方針をとるつもりでした。私の扱う思想家が根底に据えている概念があり、この概念のゆえにこの思想家はAの潮流に属するとされてきました。そのためこの思想家の理論の主要な部分を取り出し、その部分が鍵になっている概念から説明しきれているか否かを再検討することにしました。もし説明しきれない部分があれば、それはこの思想家をAの潮流に属する思想家として理解する通説に対する反論になりますし、説明しきれない部分がないとすれば通説の正しさを補強することができます。

このような方針のもと、私は今年の9月に卒論へ向けて文献や論文を読み始めました。しかし10月の初旬になると、当初のテーマを変えたくなったのです。なぜかというと、調べていくうちに対象としている思想家の思想には鍵となっている概念以外にも多くの要素が介入しており、当初のテーマのままでは内容が膨らまないように思われたからです。そのため、扱う思想家のとある表現をめぐって繰り広げられている解釈論争を取り上げ、その論争は実際には存在しないはずの疑似問題であることを示す卒論に変えようと思い始めました。(結局、このテーマで卒論は執筆しなかったのですが、今でもこのテーマは悪くないものだと思っています。具体的には既存の解釈論争は私の扱う思想家の因果の使い方とそれに対応したミクロとマクロの視点の使い分けを十分に整理していないために発生した疑似問題であることを喝破しようとしていました。)

そんなこんなで私の大学では11月の半ばに卒論のテーマ変更のチャンスがあるため、10月末にテーマを変更したい旨の相談を主査と副査にしました。

事件発生、これまでの進捗がパーになる

しかし、このテーマ変更願いは主査に通りませんでした。主査の考えでは、私が取り上げようとした解釈論争自体がそもそも哲学的に対立していないように思える解釈論争であったようです。

ですが、ここで引き下がるわけにはいきません。こちらとしては、9月に卒論に着手してから費やしてきた時間のほぼ全てがかかっているテーマ変更願いです。新たに取り上げようとしていた解釈論争の根拠になっている文献や論文を提示して、主査を説得しようと試みました。

しかし、主査を説得することはできませんでした。当時は主査の頑固さに辟易し、全てが嫌になって11月の頭は文字通り三日三晩飲酒して、暴食し、ちょうど金欠だったので全財産吹き飛ばしました。主査は11月の末までに初稿を仕上げるよう言ってきているのに、残り1ヶ月を切ったこのタイミングでこれまでの進捗を全て0にするなんてアカハラもいいところだと本気でブチギレていました。メールでも「哲学的に意義のある主張を取り上げましょう」みたいなことを言われて、「哲学的に意義のある主張って何??????」となり頭がおかしくなっていました。そしてTwitterで喚いていたら、なぜかタイムラインのおすすめ欄がアカハラ関連の話題で埋まってしまいました。

ですが一方で、冷静になって考え直してみれば主査の仰ることは妥当でした。私自身にもその解釈論争が対立している根拠はいまいちわかっておらず、とはいえこれまでの研究史で対立しているとされてきたのだから問題ないだろうと安易に乗っかってしまった部分がありました。

というわけで、当初のテーマにしたがって卒論を書くことにしました。しかし初稿の締め切りまで残り20日ほどしか残されていない状況だったので、パニックに陥ってしまいました。もともと心療内科に通院していて就活が始まった2022年の夏ごろから抗不安薬などを服用していましたが、処方されている量では歯が立たず、主治医に許可を取って服薬量を2倍にしました。そしたら2倍マシの抗不安薬、情緒安定薬、対ADHD薬の3つが合わさってケミカルブーストがかかった人間になりました。こんな感じでスペックだけ見れば向かうところ敵なしの状態になりました。

火事場の馬鹿力、そして卒論の完成へ

あとは尻に火がついたように作業していました。ただでさえ1年留年しているのに、ここで卒業できないとなればせっかく掴んだ就職先もパーになってしまいます。その恐怖がすごすぎて、11月は咳をすれば全てが吐き気を催す状態でした。

しかし追い込まれた人間の底力はすごいものでした。今思い返せば、人生で1番頑張った時期でした。昼ごろから夜まで友人と大学図書館に篭り、週2日夕方からのバイト中も卒論のことを考え続け、深夜2時ごろから朝10時まで爆睡する生活を繰り返しました。そしてなんと気がついたら11月最終日の22時ごろに初稿が完成していました。

しかも初稿を書いているときには、アウトラインの構想段階ではうまく繋げることができなかった部分が急に繋がるという奇跡が3回は起こりました。引用文だけ先に全て打ち込んで、あとから本文を書いて繋げていくやり方で卒論を執筆したのですが、11月最終日の15時から本文を書き始めたので、15時から22時の7時間で休憩を挟みながら33,000文字を打っていました。

そして本当に死にそうになりながら数日間主査からの返信を待っていたところ、メールの通知が開きました。恐る恐る開いてみるとそこには簡潔に一言、
「丁寧に問題を論じていますね。」
と書いてありました。その瞬間、飛び跳ねて喜んだ記憶があります。

しかし同時に主査には飴と鞭を使い分ける才能があり、失礼を承知で言えばDV彼氏の才能に溢れていると確信しました。11月の初めにはあれだけ憎んでいた主査からたった一言褒められた途端に舞い上がってしまった私のチョロさ加減も度し難いですが、さらにその後の面談でも主査から丁寧なコメントをいただけたことで、完全に私は絆されてしまいました。ちなみに副査からのコメントも大変的確なもので、これに答えきれたのかは提出した今でも怪しいところです…….

こんな感じで12月は引用などの体裁面を整えつつ、足りなかった議論を補足する資料を探し、卒論の提出まで何とか漕ぎ着けました。

まとめと教訓

以上が私の卒論執筆体験談になりますが、教訓があるとすれば「上司や指導教官にはこまめに進捗報告をしよう。それが今後の方針に関わるものであれば、なおのこと方針変更を考え始めた段階ですぐに相談しよう」ということになります。私が11月の1ヶ月で卒論を完成させなければならなくなってしまったのは、早い段階で主査に方針変更したい旨を相談しなかったことが大きいです。私は主査を恐ろしい人だと思っていて、可能な限りコミュニケーションを避けようとしていたのですが、たとえ怖く思えてもこまめに相談するべきでした。

というわけで、これから卒論を執筆される方は指導教官との密なコミュニケーションを怠らないようにし、私と同じ過ちを犯さないようにしていただきたいです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。



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