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あなたは私の青春そのもの 〜 永井真理子さんのこと

何かを求めていたあの時代

小学生から中学生になる頃。

大人の社会への入り口はまだまだ遠い未来の出来事で。かといって、18才という一つの区切りもまだリアリティが無く。

そんないわば、モラトリアムとも言えるような13才から15才と言う時期。

今にして思えば、淡々とした日々の中に、何かを求め続けていたような気がしてならない。

おそらく、この頃、「自分とは何か」と言うことに思いを巡らせていたのだと思う。

この抽象的な問いには、無論、明確な答えなどなく、親も兄弟も祖父母も友人も学校の先生も答えなど提示してくれはしない。

この答えは「自分の内面」から紡ぎ出すしかない。

そんな「見えない」ものを求め続けていた時代だったように思う。


感情に寄り添うもの

そんな渇望に寄り添ってくれるものがあった。趣味嗜好によって異なるだろうが、僕にとっては音楽がそれだった。

音楽。

音楽は音を楽しむと書く。であるから、聞いていて心地よく感じるかどうかは大きな分かれ道になる。

であるが、この時期は、きっとそれ以上に、「何を歌っているか」を重要視していたように思う。

そう、「何を語りかけてくれるか」、思春期特有の自分目線で言うならば「自分自身に何を語りかけてくれているか」。

そんなものを音楽に求めていた。それによって「自分が何であるか」を明らかにしようとしていた。

今でも当時を思えば、真っ先に浮かぶアーチストがいる。彼女の歌や歌詞に照らし合わせて、自分という存在を浮き上がらせようとしていた。

つまり彼女の音楽は青春そのものだった。

今回は、そのアーチストについて語ってみたいと思う。

Keep On “Keeping On”


「ため息のたびに何かが乾いていく気がして」(一部引用)

永井真理子「Keep On “Keeping On”」より

こういう詞から始まるこの曲は「Keep On “Keeping On”」。

この美しい曲との出会いが全てだった。

当時はこのタイトルの意味すらよくわからなかった。なぜ二つ目のkeepがkeepingなのかも。これが連続して意味を持つ言葉、慣用句だということも。

これは諦めず続けていくという意味だが、ニュアンスとして「自分らしく」という意味にもなる。

「大切なものは素直にならなきゃ探せはしないから」(一部引用)

永井真理子「Keep On “Keeping On”」より

素直になるということは、自分らしさを認知するということでもあり、まさに「自分とは何かを」探して行った果てに出現するもの。

当時は、こんな解釈もしておらず、単にメロディと歌詞をそのままストレートに聞いて座右の曲にしていたが、きっとそんなニュアンスを思春期の感受性でもって感じ取っていたのだろうと思っている。あの頃の自分にやや過保護な見解ではあるが。。

Miracle Girl

思えば、あの頃のヒットアニメYAWARAもそうかもしれない。立場は違えど、登場人物を自分と照らし合わせることで相対的に「自分とは何か」を形作っていたような気もする。

「奇跡はいつでも君のハート次第」
「砂の中のダイアモンド、探すみたいなときめき」
(一部引用)

永井真理子「ミラクルガール」より

砂の中のダイアモンドとはまさに「自分とは何かを」見つけるということ。そして、何事も自分の気持ち次第という真理。



青春そのもの

「自分とは何か」を相対化するものとして、永井真理子というアーチストが大きな存在になっていた。

当時の曲、その曲を歌う彼女の声は、思春期の感性にストレートに訴えかける独特の揺らぎを持っていたのではないか。

Step Step Step
Slow Down Kiss
自分についた嘘
White Communication 
23才


アップテンポな曲には、理由もなく励まされた。

今、君が涙を見せた
さよならの翼
少年
Mariko
私の中の勇気



バラードタイプの曲からは、理由もなく沸き起こる怒りを抑え、癒しを受け取っていた

Catch Ball

そんな彼女のアルバムで最高峰と疑わないのがCatch Ballというアルバム。

珠玉の揺らぎが詰まっていて、今、聞いても当時と同じ熱量が沸き起こるのを感じるし、不思議と当時の田舎町の匂い、家族の風景、亡き父の姿も見えて来る。

父とキャッチボールをした思い出がある。ボールを受けるあの感覚。言葉はないが、ボールを通して対話をしていた。

この曲を聞くとき、まずそんな事を思う。

愛はmay be キャッチボール(一部引用)

永井真理子「キャッチボール」より

そうなのだ。きっとこれが真実。

愛とはつまりキャッチボール。キャッチボールの対象が自分を形作っている。

「自分とは何か」という問いに一定の解を見出せていたのかもしれない。

永井真理子は、青春そのものだった。


16才

誰もが精神的にも肉体的にも成長していく。その過程で成長と引き換えに捨てて行くものもある。無意識のうちに。

高校に入り。趣味嗜好も変わり、18才が急速にリアルになってくる。

「自分とは何か」という問いに対しても、自分を相対化するための対象が広がっていく。哲学や書籍。そのための武器。難解なこれらを理解したつもりになり、その世界に没頭するようになっていく。

いつのまにか、永井真理子を聴かない日々が増えて行った。

23才

気がつけば、社会人というものになっていた。

あの頃の遠い未来に立っていた。

最初の会社時代。何かが噛み合わない感じを抱えていて、再び何かを求めていた。

その日々の中で、久々にキャッチボールを思い出した。アルバムも本当のキャッチボールも。

そこにヒントがあった。

人を受け入てくって事と受け入れてもらう事が、うまく噛み合わないまま何故か胸だけが熱くなった(一部引用)

永井真理子「23才」より

何かが足りないんだね。
今はどこへ向かうの?
さっぱり分からないってことだけわかるの(一部引用)

永井真理子「23才」より

気がついた事があって。

それは、さっぱり分からなくて良いということ。つまり「自分とは何か」を言語化して分からなくても良いということ。

それが分からなくても、自分はここにいる。

何か憑き物が落ちた気がした。13才のときからの長い問いが解決した。

一言でいえば、自由。

その頃から仕事や人生について考えが変わり、つまり、何か芯のような、軸ができた。自由。


45才

今もまだ思い出したように永井真理子さんの曲に触れる。振り返って思うのは、あの時期に珠玉の揺らぎに出会えた幸運。

そんな楽曲を歌うアーチストと同じ時代を過ごせた幸運。

楽曲に勇気をもらい、たくさんの出会いと、少しの別れがあり、今、僕はあの頃の未来に立っている。



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