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ストレートさよりも、少し時間を置くことも必要

今日このnoteを読んでいて、少し前に雇い主さんから言われた"話す力"を思い出した。

その中で、特に刺さった一文が。

"人は、『自分が納得したこと』以外は行動にうつせないのだ。
正論では人を動かせないのもまさにそれが理由で、言っていることはわかるけど納得できない、という状況で人は絶対に動かない。
むしろ正論を押し付けられることによってそれを仮想敵とみなし、自分の正義への確信を深めてしまったりする。
だから、本当の意味で『伝える』ためには、『伝えない』方がいいことも往々にしてあるのだ。
一方で、知ってもらわなければ納得にはつながらないという矛盾もあって、その2つを解決するために、何を伝えるかをデザインしなければならないのだと思う。"

私は、突発的に話すと思ったことがストレートに出やすい。良いことも悪いことも。単純すぎるんだろうか?

上の文章を読んで、前に雇い主(弟)さんと後輩じーちゃんと牡蠣のサイズわけをしながら話をしたときに、「正論だからこそ、相手にとってそれが図星だったらなにも言えなくて、ウッとなっちゃうんじゃないかな」と言われたことを思い出した。

"正しいこと"って大事だと思うんだけど、人によってはそれが暴力になる場合もある。
それで、最所さんの言うように、"仮想敵"化してしまうのだろう。

そういう経験をしてしまったことがあるので、いまはストレートさよりも相手自身が経験して感じ取ったことが大事かもなあと感じている。
要するに、時間をかけて相手が判断できる余白を残すことが"納得"につながるんだろうかなと。

ちなみに、古島さんが言うには、「それ、いいね!」/ 「分かった!いいね!」らしいんだけど、要するに"共感"できるかどうかってことだと思っていいのかな。

何を伝えるか、をきちんと道筋立てて伝えること。余白を残すこと。いまの自分の課題。
今年は"話す力"を少しずつ身につけていきたい。


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