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陸前高田に住んで、感じたこと vol.01

私がはじめて陸前高田に来てから、9月で5年になった。震災から2年半くらい経った頃。


私が普段働いている漁港から見える場所はガレキこそなかったけど、震災から2年半経っていても防潮堤の残骸の岩が壊れたまま、両端の岩だけが残っていた。
なんだか、でっかい岩が海に浮かんでいるように見えた。

陸前高田に向かう途中で寄った気仙沼の唐桑半島には、遠洋漁業船みたいなでかい船が陸地にどーんと着地していた。

そこにあるのが不自然な、津波で流れた船の残骸。津波のエネルギーのすごさがよくわかる。


はじめての陸前高田の町並みは工事現場で、そこに町は全く見えず、ひたすら広がる土と黄色い重機しかなかった。

はじめて来た小友町のモビリアオートキャンプ場には、プレハブ的な仮設住宅がたくさん並んで、なんだかおっかなびっくりな光景だったような気がする。

1回目に来たときはそういう感じの印象だった、と思う。

はじめてから5年経ってしまって、なんとなくでしか覚えていないのはなんだかもったいないなあ。日記をつけておくべきだった。
ゼミで出した感想レポートを探して、あとで読んでみようかな。

(写真は去年の9月にあそびにきてくれたたんたんと、2月にきてくれたのりちゃん。)

まるで、あとから取ってつけたみたいな言葉になってしまうけど。
私はこれからの陸前高田がどういう風に変化していくのか、多少なりとも興味があったから居続けたっていうのも、理由のひとつにある。

なんだかんだとここに住みはじめて、振り返ってみるとほんとに少しずつだけど、町の様子が変わっていった。

震災から6年経って、去年やっと12.5mのかさ上げ土盛りが終わった地点に商店街と商店たちが、ぽつりぽつりとできてきた。

私が住む前も、住んでからも、ひたすら工事現場で全くなにもなかった更地に新しい商店街ができたときに、なんとなく、安心したような気持ちと、少しだけ泣きそうな気持ちになったのを覚えてる。

よかったね、高田町も"町"になったよ。そういう気持ちだった。

"町"ができたことで、イベントやお祭りもそこでやるようになった。

(これは今年の夏あったイベントたち)

もともと300店舗くらいあったらしい中心市街地の商店街は、高齢化や時間のかかる土盛りを待つことができずに辞めていった店舗があったりする。
何年か前にやった、新しい商店街の説明会へは半分以下の店舗しか集まらなかったらしい。

中心市街地にあたる部分ができあがってから1年半経ったけど、まだそこまでたくさんの店舗は建っていない。

土盛りをしたとはいえ、津波の浸水区域であることには変わりないので、これからどれくらい店舗が増えてくるのかはいまいちわからない。
その場所に個人住宅が建つのかもわからない。

でも、少しずつを何年と積み重ねれば、きっと少しずつ増えてくる。
そう信じたいな。

陸前高田での経験や感じたこと、仕事のことを話す機会をいただいたので、今日は高田メモ的なnoteです。
もしかしたら、今週中はこういう感じが続くかもしれないけど、お付き合いいただければうれしいです。


私のnote、読んでくださってありがとうございます。 もしも「いいな」と思っていただけたら、感想と一緒にRTやシェアしていただけるとうれしかったりします。。