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自分自身の人生を生きること

「私たち、誰の人生を生きてきたんだろうね。」

"けもなれ"第7話で、京谷の元カノの朱里とビールを飲みながら話す晶。
周りに"明るくて物分かりのいい深海晶"という存在を望まれて、ずっと自分の本音が言えずに、我慢して過ごしていた。

でもラストには、京谷に素直に思っていることを伝えて別々の道をいくことを話したら、すっきりとした顔になってた。

いつもの5tapで、「4年ぶりの土曜日」と清々しい顔をして言う。

『獣になれない私たち』というドラマを毎週観ているのだけど、主人公の晶の気持ちはわかるような気がしている。

けもなれを観ながら、"本音を出すこと"と"自分の個性を大事にすること"についてちょっとだけ考えたので、今日はそれについて。(ぼんやり考えたことだから、結論はありません。)

ちなみに、参考ツイートはこちら。

"ありのままの自分を出して、暖かい環境を捨てるのが怖い"というのは、恋愛だけじゃなくても、仕事や家族、友達、どんな場面でも当てはまる。
そう思っている人って多いんじゃないだろうか。
いまこうやって書いている私だって、そう思ってる部分はある。

言いたいことを言わない方が、自分ががんばれば、笑っていれば、みんな幸せ。

たしかにそうかもしれない。
でも、それって自分自身を置いてきぼりにしている。
自分自身が納得できていなかったら、それこそほんとに「自分の人生を生きていなかった」ってことになるんじゃない?

自分が完全にパンクする前に、本音を少しでも出せるように。
自分自身を立て直せる環境をひとつでも自分の近くに置いておくのって大事だよね。

そんなことを思いながら"けもなれ"を観ていたんだけど、たまたま読んでたNEUTの記事内とサクちゃんさんのツイートにもこういう文章が。


"「自分らしく」とか「ありのまま」でいるとか「これが私だ」っていうフレーズがすごく日本に生きる人の胸に響きやすいって思って。でもそれってできてないから。できてないことってすごく響くじゃないですか。できているなら普通のことになってしまいますが、自分がすごく負い目に感じていたり、「私全然自分らしくない」とかっていうのを感じてしまっていたりするから、そこが心にすごく響いているんじゃないかなって。"    :NEUT MAGAZINE

そうなのかもしれない。
自分ができてないからこそ、そうありたいと望むし、「あの人になりたい」と羨むのかもしれない。
晶みたいにはなれない、京谷の元カノの朱里みたいに。

でも、人を羨んでもなにも変わらない。
自分は自分で、どんなに真似をして同じことができたとしても「その人自身」にはなれない。

それよりも自分自身を見つめて、自分の個性をしっかり生かしてあげるほうに力を注ぐことが大事だと思っています。

もしかしたら「そんな簡単にはできないよ!」という声があるかもしれないけど、それでもゆっくりのんびりでも、少しずつ自分を見つめること。大事です。

全然まとまりがないんだけど、今日はここまで。
来週のけもなれが楽しみだな。

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