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自分自身で選択するということ

ここ最近、なんとなくだけど自分よりも年下の友達たちの人生相談的なものを聞く機会がちょこちょこある。
なんだかんだ働き経験値と年齢が上がってきたので、若者の悩みを聞くような立場になってきたんだなあとしみじみしてます。ああ、年取ったんだな……。

みんな仕事のジャンルは違えど、各々将来に悩んでいたりするようです。
私でいいのか?的なところはあるけど、相談相手に選んでもらえるのはありがたいなあとも思う。

私はどちらかといえばブレーキタイプ寄りの人なので、話を聞きながら具体的な部分を考えられたらいいのかな。

アクセルとブレーキのことを書いたnoteはこちら。

とはいえ、話してくれる人のタイプや内容によってアクセルとブレーキをいったりきたりしてるから、結局はどっちでもいいのかもしれない。てきとーでごめんなさい。
ただ、どちらにせよ私から言えるのはこれだけ。

なにをどうするにしても、最終的に決めるのは自分。後悔しない選択をするために、自分がどうしたいかを考えること。
そして、選んだことに対して自己責任であることを認識すること。

他の人のことであれこれ口出しするのは違うし、結局自分で決めたことじゃないと後々納得できない結果になったときに、言い訳ができてしまうような気がして、それはうまくない。

微妙に似たようなことを書いたような気がするnoteがあるので、ここに置いておきます。読んでみてね。


○ やりたいこと / できること / やらなきゃいけないこと / (やりたくないこと) ○


話を聞きながら"やりたいこと""できること""やらなきゃいけないこと"、この3つの言葉が出てきて、あずみさんが夏頃に書いたnoteを思い出した。

しょっぱなからブレーキ発言で申し訳ないんだけど、私は"やりたいこと"と"できること"のすり合わせが難しい場合もあるよなーなんて思ってる。

適性があればハッピーだけど、全員が好きなことに適性があるとは限らない。

やりたくても自分に適性がないことに気付いたら諦める可能性だってあるし、もしかしたら、"やりたくないこと"のほうに適性がある場合もある。

クリエイターのももかちゃんが少し前にこういうツイートをしていたんだけど、納得だったから引用させていただきます。


そういう意味でいえば、"やりたくないこと"というのも、少しは考える意味はあるのかもしれない。

そして、それにプラスして、生きる上で必要な"やらなきゃいけないこと"というものも存在する。
"やらなきゃいけないこと"をこなしながら、"やりたいこと"と"できること"のバランスをうまく取るのは大変だよね。

自分の中でどんな風にバランスを取っていくかは人それぞれ。
なんにも答えになってないけど、結局は納得ができるように、自分自身でバランスも物事も選択することがいちばん大事なんだと思う。

私も、ゆるっと楽しく生きていくためにたくさん選択していかないとね。




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