これからのみんなに、できること
9月頭頃のほぼ日に掲載された、糸井重里さんと写真家の幡野広志さんの対談を改めて読んでみた。
糸井さんみたいにひとりでラーメンは食べてなかったけど、ひとりでマクドナルドのポテトをむしゃむしゃしてたから、タイミング的にはよかったのかもしれない。
この写真家の幡野さんという方は末期の血液ガンを患っていて、余命3年宣告をされていることを公言している。
幡野さん自身や「狩猟」ということを通した文章は、生死が表裏一体だということを痛感させる。
"幡野 : ああ、それはぼくも同じだと思います。とくに狩猟をやっていたおかげで、むかしから「死」について考える回数はほんとうに多かったんです。やっぱりそのつど、動物を殺しているわけですから。
糸井 : そうですよね。
幡野 : それでじぶんが病気になって、あと3年後に死にますよ、と言われたときに、ようやく点と点がつながった気がして。ぼくがじぶんの死を受け入れられたのは、狩猟を通じて「死」というものをたくさん考えてきたからかもしれません。その回数はふつうの人より、はるかに多いですから。 " 第三回 ガンになって変わったこと。
自然や生き物と接する機会が多ければ多いほど、「生死」というものを考える機会は多い。
それは、私も多少なりともそうで。
自然と接する仕事をしているからなのか、「生死」というものを考える機会は他の人よりも多い、かもしれない。
少し前に書いたこのnoteもそう。
海と接していると、思っていたよりも近くに「死」というものはある。
海で溺れて飲まれてしまえば、助からないことだってある。
そういう意味で言えば、普段どんなに穏やかな海であっても、油断してはいけない場所には違いない。
話は変わるけど、私が住む陸前高田は東日本大震災の津波で大きな被害を受けた場所でもあって。
中心市街地のあった高田町は2〜3キロと平地が続く地形で、津波がきたら危険な地域。結果として高田町の大半が津波に飲まれてしまった。
私が学生のときに地元の人から聞いた話の中で、その人はこういうことを話していた。
"海岸からある程度離れている場所にいた人が、「チリ津波のときは来なかった。ここまでは絶対に津波が来ないから大丈夫」と言って逃げなかったんだけど、結果として、その人は津波に飲まれていなくなってしまった。"
「ここまでは絶対に来ないから大丈夫」なんてことを、個人の裁量で決めつけてはいけないことを教えてもらった。
自然を前に「大丈夫」という言葉は効かない。
なにが起こるかわからないのが、自然や生き物の力なのだから。
*
ほぼ日の幡野さん対談の話に戻すけど、連載最終回でこういうことを話していた。
"糸井 : でもね、ぼくや幡野さんがいなくなったあとも、みんながそこに連れて行ってくれるんですよ。いなくなった人の行動も、みんなが増やしてくれるんです。
幡野 : ・・・・と、いうのは。
糸井 : つまり、みんながベトナムやらチリやらスペインやらで、「ああ、幡野さんがいたらよかったね」って言ってくれるんですよ。それは幡野さんが、そこに「いる」ということなんです。
幡野 : ああー、そっかぁ。
糸井 : これはねぇ、ほんとうにものすごいことだと思う。憶えてくれてる人がいるって。もう、考えると・・・・泣けてくる(笑)。
幡野 : (笑)
糸井 : 生きているとき「いい人」じゃないと、そうはならないんです。
幡野 :そうですね。ほんっと、そうですね。" 第六回 手を振ればいいんです。
この会話がすごくよかった。
震災で突然いなくなってしまった命も多かった中で、家族だって、いきなりのことでどうしたらよいのかわからなかったと思う。
遺族の気持ちが癒えているのか癒えてないのか、遺族以外には絶対にわからない。気軽に触れていい部分ではない。
でも、会話にすることで家族を旅に連れてゆけるなら、会話に参加させることができるなら、その人はまだ"生き続けている"ことになるのかもしれない。
この言葉を知ることで、救われる人もいるかもしれない。
自分だって、いつかはその気持ちになることがくるかもしれない。
そう思うと、このふたりの対談を読めてよかった。 たくさんの人に対しての、お守りになるような言葉たち。
みんなの記憶に残って、語り継いでもらうこと。大事だね。
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話が飛んだり戻ったりしてまとまってないけど、今日は幡野さんの対談から考える、震災と生死についての話でした。
私のnote、読んでくださってありがとうございます。 もしも「いいな」と思っていただけたら、感想と一緒にRTやシェアしていただけるとうれしかったりします。。