次の詩集のこと

1年間 詩集を作るためだけに生活してきた
様々な背景が それを可能にしたのだが
私の宿命の一つとしてそれを受け入れた
どうやは詩人になるように導かれているのだ  仕方ない絵は詩を補うためにある
文字と絵は一緒に降りてくる
しかし文字にならない絵もある
だから 絵を描いて それを文字にする
象形文字を作るような作業が
私の絵を描く作業だ

去年の上旬は体を壊し主に横浜にいた
悶々と日々を過ごしている時に
横浜の占い師から紹介された
千葉の占い師に西行の墓に行けと言われて
その子孫に出会った
彼の墓と言われる場所は何ヶ所かあるようだが
弘川寺、京都の西行庵どちらで亡くなってもおかしくない
それに どこで死んだかが重要なのではない
どこに魂があるかだ
京都の東山と嵯峨野、伊勢の二見の浜に
彼の魂を感じた 言語化はできない
京都に通うようになった
次に ARTS ISOZAKIで展示をしてもらった
パルコキノシタさんに
磯崎はお遍路に行かなくちゃあと
アドバイスもらった
夏 四万十町で 展覧会をする話もあったので
空海の若い頃 修行をした
室戸から足摺を
脊椎炎を抱えたまま 歩くことにした まあ 死んでもいいやと思っていたのだ
足摺岬で亀と出会い 死ぬのはやめた
そういうものなんだと 理解した

西行や空海はすごいんだけど
平安時代の人なので
彼らの感じたことをアップデートするのは難しい

結果として
僕が表現できるのは
僕の聞いてきた音楽 
つまりロックやジャズなんだと
理解するに至った

ハイカルチャーは制度である
大衆文化こそ魂の表現である
その確信を天国編で描いた

この詩集は 
辺獄、地獄、巡礼、天国の4部構成をとっており
ご想像の通り ダンテの「神曲」を 参考にしている
3部構成から4部構成にしたこと
最終的にジョンレノンとアントニオカルロスジョビニで締めたところに私の主張がある

西行のことをいくら考えても
やはり
リアルタイムに聞いてきた
音楽家以上に理解し伝えることは難しいのだ
それは使い古されていて 新しくなりようがないし
陳腐でしかない

聖なるもの求める気持ちもあるが
天国はそれぞれの心の中に
そしてそれは結局は希望なんだという
陳腐な結論がこの詩集である

今の私の力量はここまで
でもまだ10年は前に進める

そして私の本懐は 
常に守破離の破であるから
破壊するために学ぶことも書き添えておく

ここまで読んでくださった方々に私の過去の詩集をお教えしたい ありがとうございました

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