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2022忙しかったでも飛躍した一年だった。そして2023も。

みなさん。
久しぶりにノートを書こうかと思い、今2022年の回想をしていました。
前置きが長くなるのもよくないので、まずは一言でこの一年を表現したいと思います。

2022年の一言

「猛烈に忙しかった。でも飛躍した一年だった」

タイトルにもある通りですが、まさにこの言葉が相応しいと思います。
全てを細かく書くと読みにくい文章になるので、一定期間ごとに分けてできるだけ簡潔になるように心がけて書いていきたいと思います。

2022年時系列

1月〜3月

この期間でしたこととすれば、環境サークルの立ち上げともう一つのサークルの引き継ぎです。
僕は2021年12月に体育会サッカー部を引退しました。
そこから僕がこの人生を懸けてやりたいことに専念しようと決心しました。
環境サークルを立ち上げようと思ったきっかけは、僕の恩師でもあり、1番の理解者でもあるニュージーランドの先生の一言からでした。
いつも僕の背中を力強く押し、そして支えてくれる素晴らしい先生です。

いざ、環境サークルを立ち上げるとなると沢山の壁にぶつかりました。
右も左もわからず、ただ素直に愚直に、そして直向きに目標に突き進んできました。ただサークルを立ち上げるのではなく、「これは社会(起業家)の縮図だ」と言い聞かせ、自分を鼓舞し続けてきました。結果としてビジネスコンテストに出場し、経済産業省の方ともお話しする機会を得ることができました。このサークル立ち上げにおいて学んだことが2つあります。
1つ目は、自分が本当に解決したい問題、提供したい価値を明確にして突き進むこと。
2つ目は、ビジョンに共感し支えてくるひと、全ての人に感謝をすること
この2つは起業家の精神として必要なものだと学びました。

サークルの引き継ぎに関しては、僕のコンサルタント力と実行力が試される挑戦でした。
このサークルは国際サークルで、コロナ期間は英語学習サークルとして活動しておりました。しかしながら、日に日に減る参加者に僕はどこか心虚しさを感じました。
僕の心の中では「あぁ、こんな風にして企業は苦戦しているんだな」と思いました。すごく未熟で浅はかな経験だったかもしれません。ただ、何かを運営するということは、それなりの責任が伴うことを肌で実感しました。

3月中頃から留学生が戻ってくるという知らせを耳にしました。
僕はここがV字復活のチャンスと考えました。
僕はこの時のために、いろんなネイティブの先生に外国人目線で意見を頂いていました。
僕は英語学習サークルから、日本文化発信方イベントを開催するサークルにしようと決めていました。
ただ、顔も知らない主催者のイベントって正直に行きにくいですよね。
だから僕はできるだけ全ての留学生が日本について最寄駅に到着した際のピックアップに行っていました。
僕は幸いにもある程度英語が話せたので、ファーストインプレッションに気をつけながら、英語で歓迎しました。
そのおかげで全ての留学生が僕の顔を知っていたと思います。

またイベント開催にあたって、ターゲットも絞らないといけません。
僕はこのように仮説を立てました。
「留学生は日本文化と友達作りに興味があり、来日している。
一方で、日本人学生は留学生と友達になりたい人と、英語を実際に話したい人がいる。ここで重要になるターゲットは留学生である。参加留学生が増えれば、比例的に日本人学生も増える。」
僕はウェルカムイベントの開催にあたり、たくさんの大人の方々とコミュケーションを取りました。また幹部たちとも、念入りに計画をしました。
結果として、イベントは70以上の学生が参加して、大盛況でした。
コロナ禍では5人以下の日も多かったサークルでしたが、70人を超える学生を集められたのは、自分にとってものすごく良い経験でした。
ここでは、書ききれないほどの裏方作業もありましたが、幹部が率先的に手伝ってくれてスムーズにイベントを遂行することができました。

ここで学んだことは、ターゲットを絞り、成功率を高めるために最善策を尽くし続けることです。ステークホルダーへのフォローも徹底的に行うことが何をするにおいても必要だと学びました。

4月〜6月

この期間にあった出来事で言えば、2022年度大学のポスターと特集記事を掲載していただいたことと留学準備、そしてビジネスコンテストへの準備です。

大学ポスターと特集記事をパンフレットに掲載していただいたことは、この上なく光栄なことでした。僕はこの縁とこれまで支えていただいた方々に多大なる感謝を申し上げたいです。

この期間は主には準備期間でした。
もちろん定期的に国際サークルを運営しながら、塾でアルバイトもしていました。終電になることが多く、帰宅が夜12時を超えることもよくありました。
また初の海外で、しかも1年の滞在なので何をすればいいのかわからないという、本当に手探りで留学準備を進めていました。正直に言うと、かなりストレスを感じることもありました。
そのおかげで、ストレス性難聴と円形脱毛症になりましたけどね、、笑
(今だから言えることですが、笑)
さらにビジネスコンテストも初めての経験だったので、これもまたかなり苦戦しました。

こんな状況でも自分を奮い立たせ突き進んで来れたのは、周りで僕を応援してくれる方々と仲間たちの存在でした。特に道半ばに引退した体育会サッカー部の仲間たちが僕の背中を押してくれて、引退してもなお常に僕と切磋琢磨してくれました。本当に大感謝です。

ここで学んだことは、一緒に汗と涙を流してくれる仲間は一生の仲間ということです。
今日の僕があるのも、この素晴らしい仲間たちのおかげだといってもとても過言ではありません。


7月〜9月


この期間では、ビジネスコンテスト本番、小論文(英語&日本語)を2本、そして英語学習に関するプレゼンテーションと、史上初オープンキャンパスに岡田洋之佑のブースが設置されたことです。

余談ではありますが、これまでのサークル活動と日頃の努力が評価され、光栄なことに大学国際センターから国際センター公認の学生団体の代表へのお誘いをいただきました。僕は二つ返事で「ぜひやらせてください」とお願いをしました。素晴らしいご縁と評価してくださった方々に感謝です。

ビジネスコンテストに関してですが、日経新聞主催のシンポジウムでした。感じたことない雰囲気で凄くワクワクしたことを覚えています。
これまで大舞台では味わったことがない、変わった雰囲気でした。
僕は1位を本気で狙っていました。
しかし、入賞すらできませんでした。
本当に本当に悔しくて泣きまくりたくなったことを今でも思い出します。
あの時に経済産業省の方からいただいた助言は今日も僕を支えています。
ただこの失敗が僕の人生を豊かにしたと言っても過言ではないでしょう。
凄く煌びやかな2022年を送っていたと思っていた僕に釘をさしてくれました。
この失敗が今日の僕に深みを出してくれている。
あの悔しさがなければ明日も僕もいない。

そう思っています。

この悔しさを胸に次の挑戦をしようと思いました。
それは僕の英語学習の過程が誰かのためになると思い、本気で英語が話せるようになりたい人、世界を変えたい人に向けたスピーチを行いたいと国際センターに直談判しました。

国際センターの職員の方は快く承諾してくださいました。
あの日経験した失敗を2度としたくないと思い、徹底的に資料を作り込みました。
それだけではなく、できるだけ多くの学生に来てほしいと思い、僕が知っているすべての先生に頭を下げてお願いをしました。
結果として、大学に関与するすべての人に僕のイベントに関するメールが届けられました。
本当にありがとうございました。
スピーチは無事に成功できたと自負しています。
多くの方に評価をいただき、他キャンパスでの開催の誘いも有り難いことに受けることができました。
合計100人近くの方々に僕の声を届けられました。
本当にありがとうございました。

精力的に活動していたこともあり、多くの大学職員の方々が僕の存在をしってくれていました。
(おそらく、ほぼ毎日同じ服を来ていたこともありますが、、笑)

光栄なことに2022年度大学パンフレットの表紙と特集記事の取材のお誘いを受けました。あの日に僕が掲げた目標の一つを達成したと同時に証明をすることができました。

少し余談になります。お付き合いいただけると幸いですが、飛ばしていただいても結構です。^^

あの日とは僕が大学選びをしている時です。
僕の大学選びの軸は3つでした。学業面で逆境を突きつけられる環境か?国際的な勉強ができる環境か?サッカー強豪校か?でした。
まずは、なぜこの軸なのかについて説明していきます。
僕はとにかく逆境が大好きです。その理由はシンプルです。耐え抜き、進み続ければ、必ず成長ができることが担保されていることです。
もう少し具体的にいうと、逆境と感じられるということは、自分が得たいものがそこにあることは知っている。ただまだ得られずに苦戦していること。
だと僕は解釈しています。
もうサッカー選手引退したから恥じなく言いますが、僕は相対的に見てある程度できるGKだったと思います。
ただ僕はひとりでここまで上り詰めることができた訳では決してありません。
僕の周りには常に僕より優れたGKがいました。当時は「まじかよ」と思うこともありました。ただレベルが上がるにつれて「なんて幸せな環境なんだろうか」と思うようになりました。
常に僕の周りのGKは僕に無いものを持っていました。僕は喉から手が出るほど欲していました。ただその度に挫折という苦境に立たされていました。
そうした環境で自分と向き合い続けた結果、全国大会や国体、選抜に選ばれるなど、素晴らしい経験をさせていただきました。
ただ僕はそんな素晴らしいライバルたちに背を向ける形でサッカー選手を引退しました。今もなお、僕が叶えたかった夢を実現するために日々身を削り努力しているライベルを心の底から尊敬し、応援しています。

と。少し余談が長くなりましたが、僕は成長するためには逆境と思わされるほどの環境が必要なのです。そこで僕は今自分が指定校推薦で選べる大学で1番偏差値が高く、国際的な勉強ができ、サッカーできる大学を選択しました。勿論、高校時代は勉強という勉強は自分自身あまりしたことはありませんでした。定期テストは全教科の答えを暗記してクラス1位をキープしていたおかげで、指定校推薦は選び放題でした。

サッカーの事しか考えた事がなかった僕が大学に入学してから、まずはここで一番の存在になってやろうと若気の至りかわかりませんが、覚悟を決めていました。勿論、英語の授業も他の授業も何を言っているのかチンプンカンプンでした。
でも、自分は自分を証明するためにここにきた。ここで挫ける訳にはいかない。と志を持ちしがみつくように勉強をしました。僕は高校時代に行動の大切さを身を持って学ばせてもらったので、とにかく行動するしかない腹を括っていました。やはりこの時に心の中で響き続けた言葉はこれでした。

「迷ったら、辛い方」「誰かのために」

とにかくやる。失敗したら学ぶ。常に謙虚に、物腰低く。学力の「が」の字もありませんでしたが、僕には「人間力」があったようです。僕は高校3年間で僕に生きとし生けるものの本質を叩き込んでくれた先生方に感謝の気持ちを伝えたいです。ありがとうございました。帰国した際は挨拶に出向きたいと思います。

このような信念を持ち続けた結果、気づけば大学のポスターになり、特集記事も書いていただきました。また、オープンキャンパスでは僕のブースが設置され、多くの高校生とお話しさせていただきました。
学内だけではなく、読売新聞社の方にも注目していただき、取材をしてくださいました。(近日中に出版があると思います)
この素晴らしい経験をさせていただき、誠にありがとうございました。
感謝しても感謝しきれませんが、心から伝えさせてください。

そして9月から遂にドイツ留学が始まりました。
希望を胸に飛び立ちましたが、ドイツに到着してからすぐに洗礼を受けました。
電車が70分も遅れるという。。。。笑
20時間を超えるフライトで疲れきった身体に追い討ちを喰らいました。笑
今ではもう慣れましたが、笑

授業に関しては、やはり難しいと感じました。
授業形態は少人数ですが、院生も一緒に受講するので必然的にレベルは上がります。それでも、僕のコミュ力で友達をたくさん作り、どうすれば生き残れるかを考えました。笑

初の海外旅行であるオランダにも行きましたね!
旅行というより、春学期に来ていた留学生に会いに行ったという感じですが、笑
ただそこでものすごく考えさせられることがありました。
実は僕、オランダであまりお金を使っていません。
別にオランダの物価が安いという訳ではありません。むしろ高いです。
なぜか?それは僕の友達が「Hiroは私たちが日本にいる時に、私たちに素晴らしい経験をさせてくれたから、その恩返しだよ」と言ってくれました。
僕は別に見返りを求めて国際サークルを運営していた訳ではありません。ただ本当に「誰かのために」と思い、おもてなしをしたかっただけです。
思わぬ形で、恩返しをいただきました。
本当の因果応報は存在するんだろうなと考えさせられました。
友達が日本に来た際は、最大のおもてなしをしたいと思います。

10月〜12月

ややこし過ぎる、携帯会社の登録や銀行の開設、VISAの申請、保険の申込をようやく終わらせることができました。

時が進むにつれて、友達との関係性が濃くなってきました。
試合があれば、街に行きビールと共に応援するし、どこか行くとなれば、みんなで探検に行くし、ご飯食べる時は、みんなで集まってご飯を食べる。時には、みんなで放課後に映画を見に行く。本当に楽しい日々でした。

テスト期間も同様にみんなで遅くまで図書館に篭り勉強をしました。わからないことがあれば互いに助け合う。国際会計に関しては、院生がいたので、よく質問をしていました。本当に優しくていつも事細かく教えてくれました。僕は今いる大学唯一の日本人です。また母語で話し合える人なんて当然いません。他の学生はスペイン語やノルウェー語、中国語で詳細まで理解し合えましたが、僕だけがそれができませんでした。正直、苦しく思うこともありました。ただいつもいつもみんなが助けてくれるし、時として僕も助けていました。
僕はこの経験は人生で掛け替えのないものだと思っています。
その理由は、国籍問わずみんなが一つの目標に向かい助け合う経験ができたからです。僕は今の世界があるべき姿を少しだけ見ることができたのかも知れません。
無事にテストを終え、その後みんなとお別れパーティをしました。
和気藹々としていましたが、どこか寂しい空気も流れていました。
僕はとても寂しかったです。
ただ僕の親友が最後にこう言いました。


At this moment, this is the end. But this is just the end of our first chapter. At the same time, our second chapter has started. So, when we retire, we can come together again, and let's talk our the experience that we've done so far at this bar!
訳:今この瞬間、これが終わりです。しかし、これは第一章の終わりに過ぎません。同時に、私たちの第2章も始まっている。だから、引退したらまた集まって、このバーで今までの経験を語り合おうよ。

この言葉はみんなの心に刺さりました。
そして、この言葉のあとに Cheers!(乾杯!)と。

僕は本当にいい友達と出会ったなと、心から感じました。
本当にありがとう。

2022年総括

みなさん、いかがだったでしょうか?
とにかく忙しいながらもたくさん経験できた、成長しまくった一年だったと思います。

ここで2023年の目標も宣言します。

2023年目標宣言

学生最後の1年。思い残すことなく挑戦して失敗して学び成長する。
僕の夢は変わりません。
「ひとつでも多くの環境問題をビジネスを通じて解決する」
です。

まずはこの約3ヶ月の冬休みは、プログラミングの全体理解、たくさんの人に会うことを注力します。
ドイツは環境系ITベンチャーが多いです。
僕はまだまだ未熟者ですが、たくさんの同士に出会いたいと思います。

セメスターが始まれば、ITのみならず実践的な財務会計も授業で学んでいきたいと思います。可能であれば環境IT系ベンチャーでインターンシップもしたいと思います。
帰国後はインドか他のアジア諸国に出向きインターンシップをしたいと考えています。そしてITの重要度と現状問題に対しての理解を深めたいと思います。
とにかく、たくさん挑戦して、失敗する。そして学び、爆裂に成長する2023年にします。
とにかく自分を使い切ります。

みなさんここまで読んでいただきありがとうございました。
2023も岡田洋之佑をよろしくお願いします^^

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