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社会からはみ出して権力と社会を疑いまくれ、フーコー編、現代思想入門③


 千葉雅也著、現代思想入門を読んで哲学を学ぶシリーズは今回で一旦終わりにします。
今回取り上げるのはミッシェル・フーコーです。


フーコーは「監獄の誕生」などの著作で現代社会は権力者の監視によって自由や多様性が失われていると指摘しました。
フーコー自身、同性愛者であり、自らのアイデンティティと性的嗜好をを取り巻く社会状況について考察しました。フーコーはAIDSによって亡くなった初めてのフランスの公人でした。


監獄の誕生とはなんなのか


 フーコーは、監獄の誕生において現代における監視社会の誕生について考察しています。
フーコーはパノプティコンという刑務所の監視システムを例に出します。

真ん中に監視塔があります↑
監視塔から個別の部屋にいる囚人を監視します


パノプティコンとは、ぐるっと丸の壁に沿って作られた囚人たちの部屋を、監視しているかどうか囚人達からは分からなくなっている真ん中の監視塔から監視するという建物です。


 こうされると、囚人としては、看守が見ているか見ていないのか分からないので、仮に見ていなかったとしても変な行動はできなくなります。つまり、自制心が形成されていくのです。

例として挙げたいのがこの映画です。
この映画の世界では、植物が汚いものとされています。
しかし、 それは綺麗な空気を売って儲けたい支配者のプロパガンダでした。主人公たちは支配者に立ち向うために植物を植えます。


 近代の社会も、こういった感じで誰かに見られているのか見られていないのか分からなくても、監視されているように行動するという人が多いわけです。これは権力者による人々への矯正のようなものだとフーコーは言います。


 日本には神道で言えば、「お天道様が見ている」や仏教の因果応報などの自制心の教えがありますね。
フーコーは、西洋ではキリスト教の原罪の概念がこういった自制心の形成に繋がったと考察します。


逸脱者をクリーン化しようとする社会


近代社会は資本主義のシステムのために、より効率よく、より快適な社会を目指してきました。

しかし、そのためには逸脱者を社会から隔離してクリーンな社会にしていくことが必要でした。


・例1 多様性は大義名分ではない

例えば、アンチヴィーガンとヴィーガンが闘論するとします。
ヴィーガン側からすれば、アンチヴィーガンをクリーン化したいわけです。

両者の主義主張は真逆で、これは価値と価値の衝突、二項対立にしかなりません。

 【例1】で示したのは、他者の意見を聞こうとせずに正義がぶつかり合ってしまう状態のことです。

より建設的な議論や解決のためには、二項対立を脱して、合意形成を目指し、その人の行動や言動についてそのつど理解し合うのが必要です。(しかし一部の過激派ヴィーガンなどの何を言っても二項対立から脱そうとしない人もいるので難しいですが) 

お互いをクリーン化しようとするのではなく、

【そういう考えの人もいるよね、と相手を泳がせる余裕】こそが本当の多様性なのです。
本当の多様性とは包摂力のある社会です。


男性女性のフェミニズムの問題もそうです。

大切なのは意見を主張することより、相手の意見もしっかり聞くことです。

・例2 学校の教室での子ども

 発達障害の診断を受ける子供が増えているというのも例の1つです。
フーコーは、近代化とは社会から逸脱した人を隔離して社会をクリーンにしていく行為だと言います。

かなり踏み込んだ書き方になってしまいますが、
教室という環境の中で逸脱した行為をする子は発達障害だとして隔離されて【クリーン化】が起こることがあります。

今までは、認められていた存在が近年は認められなくなってきています。社会の包摂力が弱まっているのです。

【生徒はこうあるべきだ】との違いを少し我慢するのではなく、多数派の子供が快適に効率良く生きられるようにクリーン化していくのが最近の学校教育だと思わざるを得ません。

 カリキュラムを遂行するためには、しょうがないことなのだとは分かっているし、自分もそういう教育をうけてきたのですが、社会の包摂力は弱まっていると思います。 

それを打壊するのがゆとり教育だったはずです。

イーロンマスクやジョブズもきっと教室にいたら逸脱者だったはずです。


そういう人こそが変革をもたらすのは歴史上よくあることです。
やはり、そういう人材を作るためにゆとり教育は経済界からの使令で行われたようです。

しかし、皮肉なことにタイパコスパ重視のクリーン化された社会では、ゆとりは悪とされました。

 あくまで発達障害というのは1例ですが、職業差別や学歴差別などの頑張るべきなのに頑張らなかったという自己責任論もこれに近いです。

自己責任論では、一方的な主観で他者を負け犬として差別して見捨て、社会をクリーン化しようとするのです。

それは資本主義のシステムの中でコスパやタイパを重視するエリート層にありがちだと思います。

マルクスが指摘した資本主義の欠点はこういう所なはずなんですが、社会主義国家はこの問題の克服するどころかクリーン化を粛清などで推し進め、社会主義国はどれも酷い有り様です。

そこで警鐘をならす哲学者がいます。
アメリカの哲学者マイケルサンデルです。
過剰な能力主義はクリーン化を推し進めてしまいます。↓


まとめると、

 フーコーが指摘した近代化とは、社会が動きやすくなるために逸脱者を隔離し、社会をクリーン化していくことでした。

犯罪者を監獄に隔離した場合には、前述のパプノティコンのシステムによって自制心を身に付けさせる洗脳を行い社会に戻すクリーン化を行います。


クリーン化は最後は、争いや差別をもたらします。
他人の意見をしっかり聞いて、タイパ・コスパ重視の資本主義の奴隷にならずに、他者の意見を泳がせる余裕を持つのが大切という話でした。長文失礼。

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