見出し画像

【連載小説】吾輩はガットである⑥

気が付くと吾輩は今でくつろぐパオロの膝の上にいた。マウリツィオと夏休みの話をしているらしい。

「夏はどこか行くの?」パオロが聞いている。
「うん、今年も母の実家のサヴォナに行ってゆっくりしようと思ってね。海岸沿いを車で走ればニースくらいまではすぐだから、毎日同じビーチにいなくていいしね。ずっと同じ場所にいると佳子がすぐ退屈しちゃうし。」
「そうだよね。うちも去年の夏にマルケに行ったらそうだった。友達の海の家がポルトレカナーティにあって、8月の中頃から月末まで使っていいよって言われて奈緒美と出かけたんだけれど、ポルトレカナーティは小さな街だから、ビーチはきれいなんだけれど、だんだん飽きてきて、あの辺りの街を日替わりであちこち移動して観光したよ。結局どこ行っても似たようなものなんだけれどね。」
「やっぱりそうだよね。なんで日本人は海の太陽の下でのんびりするのにすぐ飽きちゃうんだろうね。ドイツ人もアメリカ人も結構のんびりしてるみたいだけれど。」
「おかしいよね、だって日本だって周り全部海の国なのに。」

パオロとマウリツィオによると、日本もイタリアも海に囲まれた細長い国で、環境は割と近いということだけれど、休みの過ごし方に違いがあるようだ。

この夏休みというのも国によって随分と違いがあるようで、イタリアでは夏に1ヶ月休みになるのが当たり前らしく、パオロもこの期間はゆっくり仕事から離れた時間を過ごす。朝にネクタイで首を絞めつけて出かける必要がなくなる充電期間だそうだ。吾輩は人間は機械ではないと認識しているが、人間も機械のように充電することがあるらしい。

しかし奈緒美の生まれた日本では、夏休みはオボン休みと呼ばれ、せいぜい1週間だけの休みなのだそうだ。吾輩の想像するところによると、日本では急速充電機の発展が進んでいるということなのだろう。しかし日本でも子供達は1ヶ月の夏休みがあると聞いている。子供の方が充電には時間がかかるということなのかもしれない。イタリアの子供には3か月の夏休みがあるということだから、やはり子供の充電能力の問題なのであろう。

吾輩のようなガットにはそもそも仕事だの休みだのの概念がないため、人間から見れば毎日が休日のような生活を維持できる特権階級なのであろうが、変化なく平和な日々を愛する我々には1年のある期間に気分転換したり充電したりするような真似をしなくてよいため、悩みの種も少なくてすむというものである。人間は、この変化のない平和な日々の幸せを思い出すのが、何か大ごとがあって大変な思いをした時と言うから気が利かない。

さて、マウリツィオはイタリア製のモノを外国に売る仕事をしているそうで、コーヒー豆やら化粧品のパッケージやら業務用の機械やら、イタリア製なら何でも売る会社の仕事らしく、最近はジェラートを作る機械を売る担当なのだとか。そういう仕事なので、外国へ出かけることが多く、いろんな国のことを知っている物知りだからパオロも退屈することなく話が出来て一緒にいるのは楽しいらしい。

「最近はどこ行った?」
「先月はパリで、1月はミュンヘン、あと、秋には一度フランクフルトの見本市に行かなきゃ。でもCOVIDで中国出張がなくなったのが残念だなあ。また香港や上海行きたいと思ってるところ。」
「上海はどんな感じ?ずっと中華食べるの?」
「上海はすごいよ、なんでもあるからね。今じゃあ僕が出張で出かける街では一番のメガロポリスだね。あそこはいつも見本市会場で一緒になるイタリア人とフランス人なんかのグループがあったんだよね。それで、グループで毎日誰かがおごる係で、前回は一緒にイタリアのリストランテに行った時が僕の順番でね。結構な出費だったよ。やっぱりイタリア料理を外国で食べると割高だからね。料理はまあおいしいしいいとして、ワインが高いんだよね。その時もワイン選んでって言われて、バローロなんかは580ユーロとかだから、カベルネソービニオンにしたんだけれど、それでも90ユーロだもん、イタリアならリストランテでも30ユーロくらいなやつなのに。そういえば、あの時はグループにあるメーカーの人も来ててね、イタリアの。その人の順番の時にはパブに飲みに行こうっていうんだぜ。ケチだよね。何か食べ物もあるでしょうとか言って。それでビール飲んでおつまみで夕食。アペリティーヴォみたいな感じでね。僕はハンバーガー食べたんだけど。オランダ人はケチと言うけれど、同胞にそういう人がいるのはちょっとした発見だったよ。」
「なんで?他の日は払ってないんだったら自分の順番の日におごっても日数で割ればそんなに差は出ないんじゃないの?」
「どうもそのメーカーで他の人達との会食費は経費で落ちないらしいんだよね。だから自分の財布からは払いたくないってことみたいだったけれど、じゃあ他の日におごってもらってた分は誰の経費かってことだよね。だからああいう人は商売ができないんだよ。あの時も契約交渉はゼロで帰ったはずだよ。メーカーのお偉いさんは業者を挟まないで直接顧客を開拓出来ればもっと儲かるはずだと送り込んでる人なんだけれど、僕に見本市会場で誰がプレイヤーなのか?って聞いて来るんだぜ。なんならコンサルタント料を会社に請求しましょうかって話だよね。」
「まあ、そういう外国での付き合いは会社では誰もチェックできないしね。じゃあ上海でもおいしいイタリア料理も食べれるわけだ。」
「だってあそこには10コルソコモがあるんだぜ。上海のコルソコモはほとんどイタリアのリストランテみたいに思われているらしく、ブティックの方はガラガラだけどね。ただ、あそこのリストランテはむやみに高いと聞いたから行かないけど。あ、でもあそこの本屋。ヨーロッパのアート系の本なら多分中国でも一番の品揃えだと思う。」
「ええ、10コルソコモなんてミラノにいてもなかなか行く機会ないけどなあ。」
「ね、上海はホントに何でもあるんだよ。それで、中華なら向こうのお客さんがおいしいお店に連れて行ってくれるから、割とグループの人はそれぞれおいしいお店は知ってるんだよ。おいしいというか、外国人でも頼みやすいお店ね。英語のメニューがあったり。」
「いいなあ、うちの会社も出張行くのはマーケティングとセールスの人ばかりで設計からはホントにたまにしか連れて行ってもらえないもんなあ。」
「でもどこ行ってもやっぱりそこの人が食べてるものが一番おいしいけれどね。外国に行ってもイタリア料理しか食べない人いるけど、もったいないなあと思うもの。日本行ったら佳子が連れて行ってくれる焼き鳥やがあって、ああいうお店の料理ってイタリアにある和食屋じゃ食べれないじゃない。」
「ああ、ぼくも日本に行ったら奈緒美にお任せにするんだけれど、イザカヤはいいよね。なんか味噌で煮込んだトリッパみたいなやつ、そうそう、モツニもおいしかったなあ。それに、その上海のワインの話じゃないけれど、日本でサケ飲むと安いよね。だから日本に行った時は何食べるときでもずっとサケ飲んでるもん。」
「今度行くロンドンもね、みんな英国はまずいって言うけど僕は毎回フィッシュ&チップスとパブとバルティは外さないんだ。パブも何件かお肉のパイみたいなのがおいしいところ知ってるんだよね。あそこに行ってイタリア人のグループが集まると必ず行くピッツェリアがあって、ナポリの家族がやってる店でね。料理もおいしいんだけれど、毎日そこで食べる気にはならなくってね。ほら、ミラノにインド料理の有名なお店あるじゃない、ナヴィリオの辺りに。」
「ああ、ミシュランに載ってるお店ね。前に奈緒美と行ったことがある。」
「そうそうあのお店、でもロンドンのその辺のバルティハウスで食べるとあのミシュランに出てるお店と遜色なく美味しいんだよね。安いし、ほら、他のものはみんな物価が高いからそう感じるんだろうけれど。むしろ僕はあれの方が好きなんだよね。あれは大英帝国からの関係で、インド人が昔から多かったおかげなんだろうね。」
「あ、そう言えば奈緒美も日本のカレーはインドからでなくイングランドから伝わったっていってたなあ。」
「あ、そうそう、ロンドンでも日本のコトレッタがのったカレーが人気だなあ。なんだっけ?そう、カツカレー。ちょっと甘いやつ。でも、パオロにはこんな話できるけれど、ロンドンでイタリア人のグループの人にナポリのお店行くの断ると変わった人扱いされるんだぜ。バルティハウス行きたいなんて言えないもん。」
「まあ、日本人のパートナーと一緒にいるくらいだから変わった人だよね。日本語分からないのに。」
「ハイ、ソウデスネ。でも『僕が』じゃないよ、『私達は』変った人なんだから。」
「はは、そりゃそうだ。お互い様だ。」

国籍の違う2人が一緒にいると何かと人に言えないもやもやをため込むようで、そういうもやもやを共有し話すことが出来る間柄の関係は、それはそれで楽しそうでもある。吾輩は仕事などということをしなくてもいい身分なので、仕事で経済活動をしなければならない人間を常々不憫に思うのであるが、そういう仕事のしがらみ、国籍のしがらみなど、多方面に気を使いながら生きている人間たちは、そういう環境の中で見付ける楽しみを何とか謳歌しようと一生懸命で、何だか愛おしくもあるようである。吾輩の存在がこの不憫な人間達の癒しになるのなら悪くはない役回りであるとも解釈できる。

春から初夏と言われる時期、空はどこまでも青く、新緑の木も茂り始め、一年で最も過ごしやすい輝く季節、イタリア語と日本語それぞれの夜が更けてゆく。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?