見出し画像

龍口寺(りゅうこうじ)

 日蓮(1222-1282)が龍ノ口刑場で鎌倉幕府によって処刑される危機に陥ったのは文永8年1271年9月13日の明け方のこと。伝承ではこのときまばゆい光が、刑の執行を妨げ、そこに刑の中止を伝える伝令が到着。日蓮は一難を逃れたとされる。その「龍ノ口の法難」の跡地に龍口寺がある。
 この寺は、私が藤澤に在住していたときに、時折尋ねたのであるが、正直にいえば、山頂部に向かう坂は急峻でいまだに全容を見るには至っていない。アクセス自体は江ノ電の「江の島」駅から江ノ電の鎌倉方面に向けて徒歩5分ほどで大変良い。
 寺院の左側に引っ越してしまった「龍口明神社」の跡地が放置されているのが異様ではある。明神社は刑場跡は縁起が良くないと遷宮してしまったとのこと。しかし日蓮宗の立場からは、刑場跡であるからこそ、ここは「法難」を歴史的に記録する重要な場所である。
 寺に到着して最初に見るのは仁王門。そこから階段を上がり、まず「龍口寺」の額を掲げた、元治元年1864年建立の山門がある。この山門の彫刻がなかなか素晴らしい(彫刻は全8面)。加嶋屋作五郎寄進とある(資料により加嶋の書き方に異同あり)。
   参道の左手に妙見堂がある。目立たない小さな建物で表札もなかったが、これが境内では享保5年1720年建立で最も古い建物(明治期以降に改修)。
 正面奥にあるのが天保3年1832年建立の大本堂である。間口12間、奥行き15間の木造の大建築である(一間1.8Mで換算すると間口21.6M 奥行27M 面積は594㎡)。この本堂にも彫刻のほか、天井絵など多くの装飾が見られる。日蓮が敷いたという敷布を残すというので敷布堂の異名がある。
 大本堂から山門を振り返ると左手に鐘楼と、大書院が見える。この大書院の屋根は重層的であることが特徴的なのだが、昭和10年1935年に信濃国松代藩の藩邸を移築したとある(建築面積399㎡)。
 大本堂の後ろの山を少し上ると、五重塔がある。これは明治43年1910年に建立されたもの(高さ25M 竹中工務店が建設)。神奈川県で唯一の木造五重塔として知られる。この五重塔も先ほどの山門と同様に、彫刻が素晴らしいとされ1層から4層まで日蓮上人の一生が彫られているとのことだが、五重塔は緑陰の影に隠れて薄暗く彫刻を拝むことは難しかった。
 五重塔からの帰路、大本堂の屋根越しに海を望める。いつか山頂にあるというパコダ(仏舎利)を見ようとは思っているのだが、今回もこの海を見ると得心してしまい帰路についてしまった。
 アクセス 江ノ電で「江の島」下車。江ノ電の線路沿いに鎌倉方面に向かってほどなく。

図1 仁王門
図2 山門
図3 山門彫刻(一部)
図4 山門彫刻(一部)
図5   山門彫刻(一部)
図6 大本堂
図7 大本堂正面
図7 大本堂正面中央上部
図8 大書院
図9 五重塔
図10  五重塔低層部
図11  大本堂大屋根
図12 大屋根越しに海が見える


main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp