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川崎大師平間寺

 「かわさきだいしへいけんじ」と読む。川崎大師は大正12年1923年の関東大震災で大きな被害を受け、一旦そこから復興したにもかかわらず、第二次大戦時の川崎大空襲(昭和20年1945年4月15日夜)で全焼した。
 現在の伽藍は、そうした壊滅した状態からの復興であることを考えると意義深い。
 その復興の建築設計を担ったのは、大岡實(みのる 明治33年1900年―昭和62年1987年)という人。この人の名前は、浅草寺本堂(昭和29年1954年)、あるいは増上寺大殿(昭和48年1973年)などでもあがる。ただ川崎大師の伽藍整備には、長期にわたってほぼそのすべてに関わったという点で、川崎大師全体が、この大岡さんの作品なのかもしれない。また大岡が高齢になってからは、助手を務める松岡弘二さんが大きな役割をはたしてきたともされる。建設は一貫して大林組である。
 大本堂 昭和39年1964年5月落慶 大岡實 田島美穂
 大山門 昭和52年1987年11月落慶 大岡實 松岡弘二
 八角五重塔 昭和59年1984年落慶 大岡實 松岡弘二   高さ31.5M
 薬師殿 平成20年2008年11月開設
   ところで川崎大師は首都圏では、成田山新勝寺、明治神宮とならんで、初詣で訪れる人が多いところとして、知られている。しかし初詣では、ゆっくり境内を散歩して建物を眺めることはできないのではないか。その意味で一度、初詣の雑踏を避けて訪れられることを提案したい。近くにある大師公園と組み合わせると、半日ゆっくり過ごせるだろう。
 アクセスは、京急の川崎大師駅から徒歩10分ほど。正面から入るのは実は少し遠回り(清浄光院の塔が見えたら塀に沿って進み西解脱門から入るとはるかに近い)。ただ見事な大山門を拝むために最初は、遠回りでも正面からを勧めたい。大山門の四方には、見ごたえのある四天王像が収められている(京都東寺の四天王像の模刻)。そして大山門の奥に見えるのが大本堂である。大本堂堂内では護摩祈祷を毎日拝見できる。
 大山門の左手に見えるのは八角五重塔。大変美しい。その近くにある門は不動門と呼ばれる木造の門。戦後昭和23年1948年に有縁の地から当地に移築され、大山門ができるまでの間、山門として使われたもので、戦後の川崎大師の復興を象徴する門とされている。
 この不動門そばの「つるの池」を「やすらぎ橋」を越えて渡ったところに、金色の釈迦如来坐像(昭和52年1977年造立)が置かれている。そしてそれをさらに奥に進むと、「駐車場」を備えた「やすらぎ広場」。さらにインド風の「薬師殿」(平成20年2008年11月開設)がある。
 このように見てゆくと古い建物こそないが、時間をかけて作られてきた、さまざまな建物や意匠はなかなか魅力的である。
 建築史家 大岡實(みのる)の建築     建築学会
    アクセス 京急川崎より京急大師線にて川崎大師南口より下車。徒歩10分。

図1 大山門
図2 大本堂
図3 大本堂側から大山門(七五三参りの親子連れ)
図4 八角五重塔
図5 八角五重塔と不動門
図6   不動門
図7 釈迦如来坐像
図8 薬師殿

図9 薬師殿前の風景


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