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鎌倉大仏

 鎌倉大仏は台座からの高さは13.4M、仏身は11.3Mとされる(銅造阿弥陀如来坐像 重要文化財指定明治30年1897年・国宝指定昭和33年1958年)。他方、東大寺の大仏は仏身だけで15M, 台座を合わせると18Mとされる。大きさで言えば、鎌倉大仏は東大寺大仏にかなわない。東大寺の大仏は開眼法会が天平勝宝4年752年とされる。鎌倉大仏は鋳造を始めた年が建長4年1252年と分かっているが、完成した年つまり開眼法会が行われた年が分からない。歴史的由来は東大寺大仏は8世紀に遡り、鎌倉大仏は13世紀に遡る。
 東大寺大仏が聖武天皇の発願により、国家的プロジェクトとして進められたのに対し、鎌倉大仏は僧浄光が勧進により集めた浄財により制作とされるが、しかしときの鎌倉幕府執権北条氏の関与がなかったとは言えないと考えられる。鎌倉大仏の仏殿は建立間もない14世紀に損壊し、以降、鎌倉大仏は露座の大仏となった。ただ大仏像は13世紀半ばに鋳造された当時の姿をそのまま残している。
    他方、現在の東大寺は治承4年1181年と永禄10年1567年の2度にわたり諸堂焼失という戦火にあい、そのたびに復興されたもので、とくに永禄10年1567年の火災では、大仏そのものも原型をとどめないほど熔け崩れたとされている(東大寺の歴史による)。現在の東大寺大仏は元禄5年1692年の2度目の再興に際して多くを新たに造立したものとされ、創建当初から伝わるものは一部にとどまっている(大仏殿も宝永6年1709年の再興)。
 つまり鋳造年代でみると、現存の東大寺大仏の多くの部分は17世紀に鋳造されたものであるのに、鎌倉大仏は13世紀鋳造当初の姿をとどめている。東大寺大仏が古くて大きいから有難いとは単純には言えず、二つの仏像にはそれぞれの歴史的背景があり、その意義はそれぞれ固有のものと見た方がよさそうだ。
 なお今でこそ鎌倉は観光地として賑わいを見せているが、鎌倉そして鎌倉大仏は鎌倉時代のあとは、荒廃した時期も少なくなかった。大仏入口の仁王門は、明和5年1768年の移築。江戸時代中期、祐天上人により大仏が修復復興された後の時期に当地に移築されたもの。木造の仁王像が収められている。
 お寺の名前は高徳院、浄土宗である。なお正岡子規の俳句に「大佛のうつらうつらと春日かな」(明治27年1894年3月27日)がある。さらに与謝野晶子の短歌「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」(明治37年1904年)はとても有名。この晶子の歌を論じた大町桂月の『鎌倉大仏論』も、よく知られている。
 アクセス JR鎌倉駅より江ノ電に乗り換え長谷で下車徒歩10分
    資料 鎌倉大佛史研究会編『鎌倉大佛縁起』鎌倉大佛殿高徳院 平成14年2002年10月26日

図1 仁王門
図2 仁王像(右側の阿形)
図3 真横から見た鎌倉大仏
図4 托鉢僧と鎌倉大仏


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