見出し画像

遊行寺(ゆぎょうじ)

 かつて藤澤に住んでいた折に、時々訪ねたのは、この遊行寺と龍口寺だった。遊行寺の正式名称は清浄光寺。時宗の総本山である。
 時宗は四天王寺や高野山でも学んだ一遍上人(1239-1289)が始めた。今回、遊行寺を訪ね、徳川家との関係や、明治天皇が遊行寺に宿泊されたことなどを学んだ。一遍上人というと、念仏踊りが思い出され、庶民的な教えというイメージが私には強いが、どうもこのお寺はそれだけではないようだ。
 開山は遊行四代上人呑海にょり、正中二年(1325年)。その後、戦乱のため当地を離れることもあったが、慶長12年1607年にこの地に再興された。その後の遊行寺の歴史は、度重なる火災、天災で色どられており、古い伽藍は残念ながら見当たらない。
 アクセスはJR藤澤駅からは徒歩で15分。しかし北口からのバス便なら3分ほどで、それほど悪くはない。バスを遊行寺前で降りたら、横断歩道を渡り少し藤澤駅方面に戻ると、惣門に通じる道がみつかる。
 惣門(黒門)は江戸末期のもの。その前には一対の青銅製の巨大な灯篭がそびえている。この灯篭は江戸講中や戸塚宿など篤志家の人々が寄進したもので、高さは2.8M、石の台座を併せると3.9Mの高さがある。右側の灯篭に天保13年1842年建立と銘文にあるが、左側のものは嘉永元年1848年以降のものとされる。鋳造師は平河天満宮鳥居も手掛けた江戸神田の西村和泉守藤原政時と判明している。
 惣門から石畳の坂をすすむと大イチョウと本堂が見えている。
 本堂は昭和12年1937年の再建である。桁梁それぞれ30M規模の堂々たる木造建築である(建築面積841㎡)。後光厳天皇(1338-1374)の勅額「清浄光寺」を掲げているとのこと。その本堂手前には、巨大な大イチョウがある。これは樹齢500年から700年と推定されているが、この木は、再興以来、この寺が度重なる火災天災を乗り越えてきた証と言えないだろうか。なお今一つこの寺の歴史を証言するのは、延文元年1356年の銘が入った梵鐘である。そしてこの梵鐘(総高167cm 口径92cm)がなお現役であることも、感慨深い。
 この寺に明治天皇が宿泊されたのは、明治元年1868年10月10日のこと。東京行幸に際してとのことだが、受け入れ準備は大変であったとともに、ご宿泊は大きな名誉と貴重な経験でもあったのではないか。ただ他方でこの寺は徳川家とも深い繋がりがあったことが、安政6年1859年建立の中雀門(勅使門)の鬼瓦に葵紋があることなどからも見て取れる。幕末に徳川家とも関係の深い当寺院は、江戸幕府と新政府との間でどのように立ち回ったのだろうか。
 時宗の教えそのものは庶民的なもの。しかし他方で、本山である当寺院は天皇から勅額をいただくなどの、格式を保ってきたことも伺える。
 アクセス 藤澤駅北口よりバスで3分遊行寺前下車。

図1 青銅灯篭
図2 本堂

図4 一遍上人像(部分)
図5 本堂から見た大イチョウ
図6   14世紀半ば鋳造の梵鐘
図7 中雀門(勅使門)


main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp