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池上本門寺

 日蓮宗大本山である。江戸時代に秀忠や吉宗など徳川将軍家の信仰が厚かった。この寺は弘安5年1282年に日蓮上人がこの地で入滅されたときに、池上宗仲公が約7万坪の土地を寄進したことが始まりである。それで池上本門寺と呼ぶ。
 また昭和20年1945年4月15日のいわゆる川崎大空襲で伽藍のほとんどを焼失したものの、惣門、五重塔、宝塔、経蔵が焼失を免れた不幸中の幸運も知られている。その後、大堂を昭和39年1964年に、また仁王門(三門)を昭和52年1977年に、再建し、墓石などに戦災の跡を残しながら、往時の伽藍をほぼ回復している。
 アクセスは東急池上線池上より徒歩12分。タクシーなら2分ほどで惣門につく。この惣門は元禄年間(1688-1704)建立のもの。その後ろに境内に上がる96段の石段が見える。これは加藤清正公が寄進したとされる。寄進時期は慶長11年1606年頃と推定される。清正公は、巨大な大堂も寄進したとされる。

図1 清正公寄進の石段
図2 仁王門(昭和52年1977年再建)
図3 大堂(昭和39年1964年再建)
図4 大堂


 石段を上がると見えるのが仁王門(三門)。これは既述のように昭和52年1977年の再建。仁王門であるので、仁王尊が左右に収められている(木彫りで昭和54年1979年造立)。
 仁王門奥には大堂が見える。これは昭和39年1964年の再建。その外陣の天井画は川端龍子の遺作になったもの。未完の龍の絵である。奥村土牛が川端の思いを継いで目を入れたという。
 仁王門右手奥には五重塔がそびえる。これは徳川秀忠公の母の乳母岡部局が願主となり、秀忠公が建立寄進したもの。慶長8年1608年建立。塔高29.4M。関東で現存する最古の五重塔である。重要文化財。
    ちなみに関東圏の現存の五重塔を創建年順に並べて見ると以下の通り。
   池上本門寺  慶長8年1608年     重文指定明治44年1911年
   中山法華経寺 元和8年1622年  重文指定大正5年1916年
   旧寛永寺   寛永16年1639年 重文指定明治44年1911年
   日光東照宮  文政元年1818年 重文指定明治41年1908年
   龍口寺    明治43年1910年
   浅草寺    昭和48年1973年
   高幡不動   昭和55年1980年
   川崎大師   昭和59年1984年  
 この塔は慶長19年1614年の大震災で傾いたとされ、元禄15年1702年に現在の場所に移築されている。そして平成9年1997年から平成14年2002年まで大修理が行われた。
 大堂の左手には、天明4年1784年再建の経蔵が見える。昭和7年1932年に修復されている。この経蔵は内部が輪蔵方式になっているのが特徴とのこと。ただし輪蔵であるかは開口部が狭くて良く分からない(鎌倉長谷寺の輪蔵の写真を参考として図7に添付しておく)。
 今回、本門寺を訪れるにあたって、とくに見たいと思ったのは、華麗とされる宝塔(重文指定平成22年2010年)である。宝塔は、大堂よりさらに奥の左手の道路を渡り、階段を少し下ったところにある。ここは日蓮上人を荼毘に付したところ。神聖な場所といえる。宝塔は文政13年1830年の建立。その後、天保10年1839年まで内部の彩色をしたということから、長期間かけて装飾を施したことが分かる。残念ながら華麗な内部を見ることはできないが、外から見ても、大変美しい建物である。こちらも平成19年2007年から平成22年2010年までの間、大修理が行われた。
 アクセスは東急池上線池上より徒歩12分。タクシーの利用を勧める。

図5 本門寺五重塔
図6 本門寺経蔵
図7 参考(鎌倉長谷寺輪蔵)
図8 本門寺宝塔
図9 本門寺宝塔(部分)


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