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堀之内妙法寺

 再訪である。今回は東高円寺駅から「蚕糸の森公園」を抜けて環七通りを南に下り、「妙法寺入口」から妙法寺に入った。蚕糸の森公園は小規模だが池もあり、恵まれた風景。ただ環七通りは車通りが多く興ざめではある。

図1 蚕糸の森公園


 妙法寺は最近、「波の伊八」(武志伊八郎信由1752-1824)の彫刻があることで改めて注目された(波の伊八と妙法寺)。
 日蓮宗本山とある。身延山久遠寺から元禄12年1699年3月に迎えた祖師像を祀る。久遠寺の直末寺。祖師像は日蓮の弟子の日郎上人が、弘長元年1261年伊豆伊東に流罪になった日蓮上人の無事を祈って彫刻し祈願したもので、3年後の日蓮上人の無事帰還につながったとの言われがある。故に厄除け大師像とも。
 再訪して改めて、江戸後期の伽藍の多くが健在であることに感心した。まず、山門(仁王門 天明7年1787年)。門の左右には、明治元年1868年に麹町日吉山王社から寄進をうけたという金剛力士像が収まっている。
 そして山門の斜め正面にあるのは祖師堂(文化8年1811年 間口5間、奥行き7間とされる)。祖師堂に先ほど述べた祖師像が祀られている。またこの祖師堂には冒頭述べた「波の伊八」の見事な彫刻も残る。向拝の「五態の龍」はその一例。
 祖師堂の右側奥には、本堂(文政2年1819年)がある。祖師堂裏手には寛政年間(1780-1800)に建てられた千部講中石塔がそびえている。この石塔からは、妙法寺への信仰が江戸以外に広がる規模であったことが伺える。
 妙法寺のほかにも「柴又帝釈天」「雑司ヶ谷法明寺の鬼子母神」など、江戸には多くの大衆の人気を集めた日蓮宗寺院があったし、そもそも大本山である「池上本門寺」もある。妙法寺を拝見して、江戸時代、江戸では日蓮宗の勢いが強かったことを改めて感じた。
 アクセス 地下鉄「高円寺駅」より蚕糸の森公園を抜け、環七通りを南に歩くと間もなく「妙法寺入口」。


図2 山門前の緑が残されている

図3 山門(天明7年1787年建立)から祖師堂へ
図4 山門彫刻(部分)
図5 祖師堂(文政2年1819年建立)
図6 祖師堂向拝(五態の龍)
図7 祖師堂向拝部木鼻
図8 祖師堂屋根の装飾
図9 祖師堂正面側面
図10  手水舎の彫刻(部分)
図11 本堂(文政2年1819年建立)
図12 本堂より祖師堂を振り返る
図13 祖師堂裏の千部講中石塔





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