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素人作家による小説論

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創作について考えること。素晴らしい小説を書くには?
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💐「小説において風景描写は必要なのか?」❻〜木を見て森を作る描写【エキストラを描写する】

💐「小説において風景描写は必要なのか?」❻〜木を見て森を作る描写【エキストラを描写する】

 

 「翌朝、ぼくはコーヒーとブリオッシュの朝食をとりに、サン・ミシェル大通りをスフロ通りまで歩いていった。気持ちのいい朝だった。リュクサンブール公園では、マロニエの花が真っ盛りだった。暑い日を予感させるような、早朝の爽やかさが漂っていた。コーヒーを飲みつつ新聞を読んでから、タバコをふかした。花売りの女たちが市場のほうからやってきて、一日分の花を並べにかかる。法律学校に向かう学生たちや、ソルボン

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📕「小説において風景描写は必要なのか」❺〜日本はまもなく四季ではなく二季になる?

📕「小説において風景描写は必要なのか」❺〜日本はまもなく四季ではなく二季になる?

 風景描写と言われてまずピンと来るのが、季節を感じさせる描写。もっと言えば、去りゆく季節、新しくやってくる季節を捉えることで、登場人物の心情をより生き生きと描く。これが風景描写のひとつのあり方だと思う。

 ところが、昨今の異常気象により、春と秋が年々、短くなっている。「日本はそのうち二季になります」と言っている専門家すらいる。いつまでも暑く、いつまでも寒い。ついこの前まで部屋で暖房をかけていたの

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📕「小説はストーリーを進めようと思って書いてはならない」

📕「小説はストーリーを進めようと思って書いてはならない」

 俺がしつこいくらいに言っている、このタイトルの意味をもう一度、咀嚼して解説してみようと思う。

 さて、かの心理学者アドラーは、「人生は線ではなく、点の連続である」と説いた。「過去と現在に因果関係はない」と主張した上で、過去に囚われることなく、また、未来を恐れることなく、現在を懸命に生きろ、という意味が含まれている。

 さて、このアドラーの考え方がそのまま、「小説はストーリーを進めようと思って

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「トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』から描写の基礎を学ぶ

「トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』から描写の基礎を学ぶ

①トーマス・ブッデンブロークは、メング通りを下手へ歩き続け、フェンフハウゼンまでおりた。上手をまわってブライテ通りを通るのは、知り合いの何人もに会い、帽子をいつも脱いでいなくてはならないので、それを避けたのであった。濃い灰色の暖かそうな襟付外套の大きいポケットに両手を突っ込み、こちこちに凍りついて、水晶のようにきらめいている雪の上を、きゅっきゅっと踏みながら、考えこみがちな顔をして歩いていた。誰も

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💐「トーマス・マン『ブッデンブロークの人々』から描写の基礎を学ぶ❷〜五感を刺激する風景描写に細部の動きを加えて、より奥行きのある描写に」

💐「トーマス・マン『ブッデンブロークの人々』から描写の基礎を学ぶ❷〜五感を刺激する風景描写に細部の動きを加えて、より奥行きのある描写に」

「二つの窓は開かれていて、庭園では朝の太陽が初めての蕾を温め、二、三の愛らしい鳥の囀りが明るく友を呼び合い、すがすがしい香りに満ちた春風が部屋へ吹いてきて、【ときどきカーテンがおだやかに、音もなく少し持ち上がった。】朝食の食卓の上には、ところどころに、パン屑が白いリンネルのカバーの上に散らばっていて、朝の太陽がカバーをまぶしく照らし、【臼の形のコーヒー茶碗の金塗りの上縁にまぶしくちらちらして、反転

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📕小山田浩子さんの描く現代社会の闇〜「工場」を読んで 

📕小山田浩子さんの描く現代社会の闇〜「工場」を読んで 

 『何だか自分と労働、自分と工場、自分と社会が、つながりあっていないような、薄紙一枚で隔てられていて、触れているのに触れていると認識されていないような、いっそずっと遠くにあるのに私が何か勘違いをしているような、そんな気分になってくる。私は何をやっているのだろう。二十年間生きてきて、まともに喋ることも、機械以上の労働をすることもできずにいる。私はシュレッダーを動かしているのではなく、シュレッダーの手

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🦅トルーマン・カポーティ「無頭の鷹」〜思わず真似したくなるその華麗な風景描写

🦅トルーマン・カポーティ「無頭の鷹」〜思わず真似したくなるその華麗な風景描写

「その日は明け方から空は暗く、今にも雨が降り出しそうだった。暑い雲が空を覆い、夕方五時の太陽を遮っていた」

「沈んでいこうとしている月は、夕暮れに昇ったばかりの月のようだ。湿った一ドル銀貨のように見える。暗闇を失っていく空は、灰色に洗われている。日の出とともに吹く風が、天国の樹の葉を揺さぶる。白んでくる光の中で、庭はその形を、物はその位置をはっきりとさせていく。あちこちの屋根からは、鳩の低い朝の

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小説の書き方にもルールがある。

「圧倒的なエピソード描写力を会得したい」

 今年に入って、トルストイの「戦争と平和」を読んだことを皮切りに、ヘッセやゲーテやトーマス・マン、あるいはカポーティを再読したりして、やはり、小説の質というものは、エピソード描写力に尽きると思った。

 なので、俺もしばらくは圧倒的なエピソード描写力を身につけるという強い意志を持って創作に臨んでいこうと思う。

 正直、noteもそうだけれど、ネットで挙

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「小説とは決して自由に書いて良いものではない」

「小説とは決して自由に書いて良いものではない」

 小説とはなぜ、小さく説くと書くのか?

 説くとは、物事や事情の成り行きを説明するという意味。これはそのまま小説のストーリーと置き換えることができる。しかし、問題はなぜ「小さく」なのか?

 小さいを辞書で引くと
「体積、面積などがわずかな場所を占める」という意味がある。これを小説で当てはめれば、作者の意図する「限られた世界」と言えるだろう。限られた世界とはすなわち、「定められた主題があって、そ

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📕「小説において風景描写は必要なのか」❹〜描写というのは用例だけが記されて意味が記されていない辞書のようなものだ

📕「小説において風景描写は必要なのか」❹〜描写というのは用例だけが記されて意味が記されていない辞書のようなものだ

 ヘミングウェイ「日はまた昇る」。

 この物語の風景描写は、車やバスの車窓から見える景色の流れが非常に多く見受けられます。例文を出せばよいのでしょうが、なんせ長くなってしまうので割愛。そういえば、トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」では、馬車から見える景色の流れが多く見受けられた。

 ここで気がついたことが、【被写体が動かないのであれば、カメラを動かしたらいやでも動きが出るのではないか】

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💐「小説において風景描写は必要なのか」❸〜五感を刺激する風景描写に細部の動きを加えて、より奥行きのある描写に

💐「小説において風景描写は必要なのか」❸〜五感を刺激する風景描写に細部の動きを加えて、より奥行きのある描写に

「二つの窓は開かれていて、庭園では朝の太陽が初めての蕾を温め、二、三の愛らしい鳥の囀りが明るく友を呼び合い、すがすがしい香りに満ちた春風が部屋へ吹いてきて、【ときどきカーテンがおだやかに、音もなく少し持ち上がった。】朝食の食卓の上には、ところどころに、パン屑が白いリンネルのカバーの上に散らばっていて、朝の太陽がカバーをまぶしく照らし、【臼の形のコーヒー茶碗の金塗りの上縁にまぶしくちらちらして、反転

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📕「小説において風景描写は必要なのか」❷

📕「小説において風景描写は必要なのか」❷

 「海辺のすぐそばを走っている若い山毛欅の並木道を馬車はすすんだ。海は青く、日光をのどかに反射していた。黄色い円形の燈台が見え、馬車は、入江、防波堤、小さい町の赤屋根、ボートの帆や策具をひろげた狭い港を眺めながらすすんだ。そして、馬車は、街道のはずれの家の間を通り抜け、教会を通り越し、川沿いにのびている「表通り」をガラガラと通り、葡萄の葉ですっかり被われているベランダがついている小ざっぱりとした家

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「小説において風景描写は必要なのか」❶

「小説において風景描写は必要なのか」❶

 「小説において風景描写は必要なのか?」

 そんなの必要に決まってる。当たり前のこと聞くなよ。と、、俺なんか思うんだけど、どうもネット界隈では違うらしい。

 『街並みを細かくくどくど描写される小説なんか、かったるくて読めやしない。繁華街って一言書けば良いだろう』

 はいはい、そうですか。俺から言わせれば「風景描写を読むのがかったるいなんていうのなら、小説なんか読むんじゃねえよ」となる。

 

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