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「トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』から描写の基礎を学ぶ

①トーマス・ブッデンブロークは、メング通りを下手へ歩き続け、フェンフハウゼンまでおりた。上手をまわってブライテ通りを通るのは、知り合いの何人もに会い、帽子をいつも脱いでいなくてはならないので、それを避けたのであった。濃い灰色の暖かそうな襟付外套の大きいポケットに両手を突っ込み、こちこちに凍りついて、水晶のようにきらめいている雪の上を、きゅっきゅっと踏みながら、考えこみがちな顔をして歩いていた。誰も知らない、自分だけが知っている道だった。、、、、空は、明るく青く輝いていた。すがすがしい澄んだかぐわしい空気に満ち、風のない、きりっとした、からっとした清らかな五度の空気、またとないような二月のある日だった。

②店内は静かだった。小さい店の中に土と花の湿ったにおいが立ちこめていた。戸外では、冬の太陽が沈もうとしていた。おだやかな清らかな夕焼が、川向こうの空を、陶器に彩色をしたように淡く色どっていた。通行人たちが、外套の襟を立て、顎をそのなかへ埋めるようにして、かざり窓の前を急ぎ足で通り過ぎ、花を売る小さな店の隅で、別れを惜しんでいる二人に気が付かなかった。

 〜トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」第三部最終章より抜粋

これまで何度か世界名作文学から印象的な描写を抜粋してきましたが、今日はトーマス・マンの「ブッデンブロークの人々」から。①が章の書き出し②が章のラストの文章になります。

どちらも印象的な描写だと思います。そしてよく読めばなんだか対照的な①と②。

共通しているところは、

①動きのある人物描写
②視覚だけに頼らない風景描写

①と②が連動することによって、とても印象深い描写になるということだと思います。

ところが、自分でいざ、小説を書いてみようとすると、風景描写が視覚に頼りすぎていたり、人物描写に全く動きがなかったりする。そういうどこか欠落のある描写をしてしまうと、読者に深い印象を与える文章にもならないし、キャラも立たない。

古典の名作を読んで思うことは、文体を勉強する素材がそこかしこに散らばっていること。そういう素晴らしい素材を見つけることもまた、名作を読む面白さだと思うのです。

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