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水野寛です。フィクションを書いてます。ヨーロッパを舞台とした美術ミステリー「ルドルフ・…

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水野寛です。フィクションを書いてます。ヨーロッパを舞台とした美術ミステリー「ルドルフ・コンプレックス」シリーズ、中世日本を舞台とした青春サバイバル小説「疫神の夏」など。いっとき、世間の憂さを忘れて楽しんでいただけたら。

最近の記事

ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(31)

エピローグ  アッペンツェルアルプスの急峻な谷に爆音が響き渡る。 「コントロール、こちらオスカー・ワン。予定通り一〇三〇到着予定」 「こちらコントロール、了解したオスカー・ワン」 「こちらオスカー・ワン、天候は問題ないか」 「こちらコントロール、現地は少しガスってる。気をつけろ」  機体は前方の巨大な岩を避けて左旋回した。突然、霧に隠れていた反対側の絶壁がヨナスの眼前に出現し、機体は吸い寄せられるようにどんどん近づいていく。岩のくぼみに生える草一本一本が見分けられるほどだ。

    • ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(30)

      第3章 ゼンティスザンクト・ガレン州立病院  病院のベッドにヴァーツラフが横たわっている。頭と両手には包帯が巻かれ、腕には点滴のチューブが入っているが、それを除けば問題なさそうだ。ドアが開いてエミリアが顔を出した。 「ヴァシェク…」 「やあ、ミリィ」  顔は微笑んでいるが、さすがに声は弱々しい。彼女はベッドのそばに駆け寄った。 「大丈夫なのね?低体温症だって聞いたし、頭の検査もしたんでしょう。病院の人に聞いたんだけど、あと少し救出が遅れたら大変なことになってたって…」 「あ

      • ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(29)

        第3章 ゼンティスプラハ フロレンツ 「クラーラ、朝早くからすまんが」 「サー・ジェフリー。どうしたんです、こんな時間に」  電話に出た彼女はベッドから身を起こして棚の時計を見た。7時5分を指している。 「緊急事態なんでな。とにかくテレビをつけてくれ」 「なんですって?」 「いいからテレビをつけるんだ。一大事なんだ」  クラーラはサー・ジェフリーの声にかつてない緊迫感を感じ、急いでガウンを羽織るとテレビのある部屋に向かった。 「なにごとですか、そんなにあわてて」 「テレビは

        • ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(28)

          第3章 ゼンティスゼンティス山頂 アルター・ゼンティス 3  風が少し収まって目を上げると、さっきまで誰かがいた所に人影はない。ヴァーツラフはそこまで這うように進み、崖下を覗き込んだが漆黒の闇が広がるばかりで何ひとつ見えない。転落したのだろうか。その時急に今まで吹きつけていた風がやみ、月が姿を現した。満月の光は思いのほか明るく周囲を照らし出した。崖の下に何かが光るのが見える。ヴァーツラフはそこまで降りようと、そばにあったロープを掴んだ。引っ張ると上で固定してあるらしく、手応

        ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(31)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(27)

          第3章 ゼンティスゼンティス山頂 アルター・ゼンティス 2  突然、暗い室内にアラームが鳴り響く。ヴァーツラフは飛び起きてベッド脇に置いたスマホをつかんだ。暗闇にスマホの光を受けた彼の顔が浮かぶ。深夜0時30分。隣のエミリアがおっとり声をかけた。 「なあに」 「しっ」 「え?」 ――緊急、緊急。当館に爆弾を仕掛けたという電話がありました。念の為、館内にいる方はすべて、テラスにお集まりください  館内放送が避難を呼びかけている。二人は顔を見合わせた。 「爆弾?」 「しーっ

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(27)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(26)

          第3章 ゼンティスゼンティス山頂 アルター・ゼンティス 1 「それは外に出てから。いま着けたら床が傷だらけになるよ」 「あ、そうか」  ヴァーツラフはアイゼンを手に持ってぶらぶらさせている。エミリアはお互いの雪崩ビーコンのスイッチを入れ、テストしてから彼に渡した。 「ホルダーにしまっといて」  ヴァーツラフは素直に腰ベルトに付けたホルダーにセットした。さらに彼女はピッケルを渡す。「これはザックの外側に固定して」  二人は山小屋の部屋で装備を身に着けている。おのおの小さめのザ

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(26)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(25)

          第3章 ゼンティスプラハ ヴィノフラディ 「なんて言ったの」  マルチェッロは国立博物館の裏手にある地元の人しか来ないようなレストランにラニアを誘った。店の人とチェコ語とドイツ語と英語をごちゃまぜにして話している。もちろん身振り手振りを交えてだが、もっとも意思疎通に貢献したのは彼の双眸に浮かぶ熱意だったようだ。なんとか意味は通じたらしく、ウエイターはにっこり笑ってうなずくと、二人を奥まった静かな席に案内した。 「世界的に有名な中東の歴史学者を接待してるってね」彼は無邪気にウ

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(25)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(24)

          第3章 ゼンティスザンクト・ガレン州シュヴェーガルプ 「おぉ…」  ゼンティス山の麓シュヴェーガルプにはロープウェイの駅とホテルしかない。駐車場に車を止めた二人は凍りついた外気の洗礼をまともに受けた。 「大丈夫、すぐ慣れるから。それより早く後ろ、開けて」  二人は大きなリュックを背負ってロープウェイの駅舎に入った。しかし建物の中は、あきれたことに外と同じ寒さだった。チケット売り場の窓は暖房が漏れないようにしっかりと閉められているが、奥の改札からは冷たい風が盛大に吹き込んでい

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(24)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(23)

          第3章 ゼンティスプラハ 美術史研究所 「はい。エジプトとの共同調査の時に」  長い黒髪を際立たせるような鮮やかなスカーフを首に巻いたその女性は、クラーラには少し若すぎるように思えたが、履歴は申し分ない上、各地で遺跡発掘調査の経験も積んでいるらしい。 「素晴らしい経歴だ。あなたなら、パリでもハーグでも十分やっていけると思うが」 「でも、ルドルフ二世時代の研究はここが一番ですから」  そう言って笑うと歯の白さが際立った。クラーラはもう一度履歴書に目を落としてから目の前の女性を

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(23)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(22)

          第3章 ゼンティスアッペンツェル 路上 「シュミットさん?」  アッペンツェルの町外れにある寂しい裏道で、髭面の大男が道を塞ぐように彼の前に立っていた。山あいの町は日暮れも早く、冬のこの時期、傾いた陽を背にした大男の表情はわからなかった。問われた中年男性はいぶかしげに答える。 「なんです?」 「アルター・ゼンティスにお務めですか」 「それがなにか。あんた誰です」 「じゃあ、間違いないな」  大男はいきなり男に覆いかぶさり、羽交い締めにした。シュミットは抵抗するが、圧倒的な体

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(22)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(21)

          第2章 3つめのスケッチプラハ ファウストの家 2 「男の名はグレゴール・アントン・クロイツポイントナー。夫婦はハインリヒとレナ・ハース。クロイツポイントナーはバイエルンからスイスのアッペンツェルにやって来た。19の頃だ。靴職人だったがスキーと登山が得意で、地元のスポーツクラブでは人気者だった。私の説はこうだ。その頃、彼は裕福なメレンドルフ家の娘ヴィルヘルミーナと知り合い、愛し合うようになる。メレンドルフ家はアッペンツェルの隣のザンクト・ガレンを拠点に手広く建設業を営み、当

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(21)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(20)

          第2章 3つめのスケッチプラハ 美術史研究所 「捨てた?」  クラーラは書類に落としていた目を上げて正面に立っているヴァーツラフを見た。 「はい。ミリィ、いえエミリアから連絡がありました」 「ミリィ?もしかしてウィーンのプフィッツナー博士のことか」 「決まってるじゃないですか」 「それはそれは…」  クラーラは改めて自分の部下を眺めた。若干気弱ではあるが真面目そうだし見た目も悪くない。いままで女っ気がないのは興味がないせいだと彼女は思っていたのだが。 「なんですか」 「いや

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(20)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(19)

          第2章 3つめのスケッチウィーン ヴェーリンガー通り 「あの子、いったいどういうつもり?あたしたちみんな、あの子に振り回されてたってこと?何が不吉よ、何が呪いのペンダントよ!バカじゃないの」  ウィーン大学美術史研究所にほど近いカフェのテラスは、テーブルの間に点在するストーブのおかげで意外に暖かかった。エミリアはタバコの煙を吐きだして天を仰いだ。 「しかたないよ。プライベートなことなんだから」大きなマフラーを首に巻きつけたヴァーツラフは、犬を連れた通行人を目で追っている。

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(19)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(18)

          第2章 3つめのスケッチ京都府南丹市 「え?なんでそんなこと聞くの?もう何度も謝ったじゃない」  京都府中部の小さな盆地にあるその学校は、工芸の実践的な教育を主眼としている。もともと留学生は少なく、仏像彫刻科にはパトリツィア一人だけだったが、彼女にとってはそんなことはまったく問題にならなかった。通常、仏像彫刻を学ぼうとすれば仏師に弟子入りするしかなく、そうなると住み込みで10年はかかってしまう。パトリツィアもそこまでは求めていなかったので、いわばカジュアルに仏像彫刻を学べる

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(18)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(17)

          第2章 3つめのスケッチチューリッヒ ベルビュー 「以前はそれほどでもなかったけど、今じゃ予約を取るのもたいへんなの」  湖からほど近いレストランは昼時ということもあり、かなり混雑していた。この季節はさすがに観光客は少ないが、それでも人気の店らしく続々と人が入ってくる。 「やっぱり野菜のメゼにしようかな」 「あたしも。ヒツジのケバブ付きで」  エミリアに頼み込んでステラ・尹のインタビューをお膳立てしてもらったヴァーツラフは、指定されたレストランにたどり着いて紹介もそこそこに

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(17)

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(16)

          第2章 3つめのスケッチミュンヘン ドーナー研究所 「どう思うかね、ハルト」  雪こそ降らないが底冷えのする曇天の午後、室内は暖房が効きすぎるほどだったにも関わらずヴァーツラフは体の芯が冷えきっているのを感じた。目の前に座っている眼光鋭いデューラーの専門家は読み終えた報告書をデスクに置くと、ゆっくり眼鏡をはずした。隣に座るマエストロは声をかけてはみたものの、だらしなく椅子に座って眠そうにしている。 「興味深いね。そう、たいへん興味深い」  ハース教授は細い指を組み合わせて静

          ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(16)