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岡本太郎美術館

私は、太陽の塔が大好きだ。

写真で見るのと、実物を見るのは大違いだ。太陽の塔を目の当たりにして、なんだかとっても感動して、大好きになった。

なんだか分からない奇妙なものを、とてつもない大きさで見せつけられているという状況の滑稽さに圧倒されたからだと思う。心地よい混乱だった。

1.常設展「前衛たちの足跡 岡本太郎とその時代」

常設展の「太郎と出会う空間」で、インタビュー映像の太郎さんと出会う。大阪万博で太陽の塔を創作した時の思いや、調和、伝統、美しさについての話がとても興味深かった。

調和は、お互いの力を調整して合わせるのではなく、お互いの力をぶつけ合うこと。伝統は、守る伝統だけでなく、今に合わせて創り出す伝統もあること。

綺麗と美しさの違い。綺麗なものや、心地よいものではなく、気持ち悪いものが人々の興味を引き出す。なんだか分からないからこそ、気になる。見てしまう。それが美しさ。

私が太陽の塔に感じたのも、太郎さんのいう美しさだったのだ。

そして、太陽の塔のことを「すっとんきょうなもの」と表現した太郎さんの言葉を聞いて、とても親近感がわいた。

目を見開いた表情の写真を見ると、とても個性的だから、話すことも尖っているのかと誤解していた。話している事は過激なようで、実はとても紳士的でフラットだ。素敵だった。作品の愛らしさは、岡本太郎の愛らしさなのかもしれない。

いつか太陽の塔の中に入ってみたいなあ。

作品に共通する滑らかな曲線の美しさは、お母さんの書の影響なのかな。

彫刻作品や立体作品の、艶々した曲線や表面を見ていると、子どもの頃、紙粘土で遊んだ時の質感を思い出す。水を付けた指先で紙粘土を何度も撫でる。艶々に整うまで撫でる。水と紙粘土が混じった指の感触。だんだんと整い、つるつると滑る指先。その心地よさ。その記憶が愛おしい。

でも、心地よさや気持ちよさよりも、違和感を重視する太郎作品。「坐ることを拒否する椅子」は、お尻にゴツゴツとした違和感を感じられて、おもしろい。違和感はあるけれど、座っていられないほどの不快さではなくて、なんだか落ち着かないなあという感じのゴツゴツさ。そのさじ加減がまたいい。岡本太郎美術館に行ったら、ぜひ座って体感してほしい。

「坐ることを拒否する椅子」に座れる。
「手の椅子」にも座れる。

2.企画展「生命の交歓 岡本太郎の食」

私のお気に入りは「四ツ足(1956年)」。とても可愛い。

四ツ足(右)

企画展に展示されていた写真「いるか漁/沖縄(1959年)」を見て、「あ、ひーとぅーだ」とうちなーぐちが思い浮かぶ自分がこっそり嬉しかった。

岡本太郎と沖縄は、縁が深い。写真集「岡本太郎の沖縄」は見たことがあったけれど、映画もあるとは知らなかった。

3.母の塔

常設展と企画展を見た後は、ぜひ外の階段を上がり、母の塔へ。太陽の塔に劣らず、大きくて訳のわからない迫力で迎えてくれるので、お見逃しなく。

高さ30mの「母の塔」は、岡本太郎美術館のシンボルタワー

今度は、岡本太郎記念館にも行きたい。


★岡本太郎美術館で購入した「沖縄文化論 忘れられた日本」を読む

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