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『透明なゆりかご』を見て読んで、透明な命になった我が子・ゆきとを偲ぶ。

できることなら我が子の亡骸を引き取りたかった。12週以降でないと引き取れないと知った。別料金が発生しても構わないから、引き取らせてもらえないか、病院に懇願した。けれど9週の胎児は病院側で引き受ける決まりがあるらしく、我が子だというのに、一度も見ることも触れることもできなかった。それが今でも心残りで仕方ない。百歩譲って、中絶は仕方のない選択だったと後悔を抑えることはできる。けれど我が子を直に見られなかったこと、自分の手で供養できなかったことだけは未だに後悔してしまう。12週以降なら火葬の義務があるから、引き取らせてもらえると知った時、それなら中絶を12週以降に伸ばそうかとまで考えた。けれど病院から、胎児に会いたいからと言って中絶を遅めるのは母体に良くない、母体に負担を掛けないためには少しでも早い方が良いと諭され、諦めていた。産まないと決めたはずなのに、会いたいなんて虫が良すぎるけど、ただひと目、自分の胎内で育まれていた命を自分で確かめたかった。それが叶わなかったから、胎内から引きずり出された我が子がどうなったのか、せめてその行方を知りたかった。
 
その答えが『透明なゆりかご』に描かれていた。
原作は漫画で、2018年にドラマ化されていたことは知っていた。けれど見たことはなかった。中絶を経験した後、漫画を読もうかと思ったことはあったけれど、躊躇っていた。2024年1月下旬、ドラマが深夜に一挙再放送され、見てしまった。自分にも思い当たる心情、共感できる気持ちばかりで泣けたし、いろいろ考えさせられて眠れなくなった。思い出してしまうし、これ以上は見ない方がいいかもしれないと思いつつ、録画も含めて全10話を見終えた後、ドラマを元に書かれた小説まで読んでしまった。
 
“透明なゆりかご”とはたぶん、中絶後、胎児を入れるのに使用される透明なプラスチックのケースのこと。中絶を医学用語で“アウス”ということもドラマのおかげで初めて知った。子宮から取り出された胎児は膿盆と呼ばれる銀色の皿に置かれ、ピンセットでつままれ、プラスチックケースの中に入れられる。その中にホルマリン液を流し、つまり水中を漂わせるような亡き胎児の小さなゆりかごが完成する。蓋をしたら「9W」などと週数を書いたシールをケースに貼る。透明なゆりかごの中に入れられた亡き胎児のことをこの物語の中では“命のかけら”と呼んでいた。命のかけらが入ったケースはドラマを見る限りでは、フィルムケースのようだった。その中に赤い命のかけらが入れられ、「一人、二人…」ではなく、「一体、二体…」と数え、それぞれの命のかけらが入った透明なゆりかごをまとめて箱へ入れ、業者に引き渡す。それこそ、私が知りたかった我が子の行方だった。物語の設定は1997年だったから、当時と今、小さな産婦人科病院と総合病院では手法は違うのかもしれないけれど、それぞれの胎児をケースに入れ、専門業者にまとめて渡すのはそう変わらないだろう。
 
中絶直後、私は産汚物などを取り扱う胞衣業者の会社で働きたいと思った。そこに行けば、我が子に会える気がして。我が子には会えないとしても、どんな風に胎盤や亡くなった胎児が処分されるのか知りたかった。今でも知りたいと思っている。けれどそう多くある業者ではないし、中絶を経験した自分では精神的にもたないことも分かっているから、そこで働くのは現実的ではない。だから想像するに留まったけれど。
今年に入って、宮城県の産業廃棄物処理会社で病院から引き受けた胎盤や血液など、感染性廃棄物が長年処理されず、放置されていたことが明るみに出て、ぞっとした。その中にもしも我が子の命のかけらが含まれていたら、未だに供養されていないことになるから。やっぱりどうにかして自分の手で火葬すべきだったのではないかとまた後悔の念に襲われた。
 
話を『透明なゆりかご』に戻すと、作中で命のかけらたちを透明なケースに入れ、業者に引き渡す係をしていた看護師見習いの主人公・アオイは透明なゆりかごに入った亡き胎児たちに話しかけ、すぐに箱にしまわず、外の世界を見せてあげていた。その行為に心救われた。現実ではそんなことをしてくれるナースはいないだろうし、火葬されるまで光を感じることなく、暗所で保管されると分かっているけれど、アオイのように命のかけらになった子にも話しかけ、光を感じさせてあげる人がいてくれたら中絶した母親たちはどんなに救われるだろうと思った。本当は人任せではなく、自分でそれをしたかった。透明なケース越しだとしても、胸の近くで手のひらの中で抱きしめてあげて、話しかけて、外の世界や光を感じさせてあげてから、火葬して、供養したかった。わずかしか残らないであろう遺灰をずっと手元に残して、自分が死ぬまで側に置いておきたかった。それができなかったことが悲しいし、悔しい。たぶん私は何に後悔しているのかというと、中絶そのものより、中絶後引き取れなかったことに後悔しているんだと思う、ずっと。
 
《胎児はエタノールに入れると、鮮やかな朱色になって輝く。かなしいのに、きれい。それが私には、いつも不思議だった。》

できることなら産みたかったけれど、無理してシングルで産んだところでおそらく、作中に登場した不倫相手の子を未受診のまま産んで、生後1ヶ月満たないうちに産んだ子を死なせてしまった母親のようになっていた気がする。死なせることはないとしても、育児で頼れる人がいなかったら、ネグレクトや虐待に近いことは起き得たと思う。「どうして産んだんだろう。産まなきゃ良かった。」と後悔したかもしれない。それを想像する度、中絶という選択は間違いではなかったと信じたくなる。中絶を正当化するために、悪い想像をしているだけかもしれないけど。「産まなきゃ良かった」という後悔より、「産めば良かった」という後悔の方がまだマシ。前者は残酷だけど、後者はまだ綺麗だから。産む、産まない、どっちの道を選んでも後悔するのは分かっていて、よりマシな後悔を選択したに過ぎない。産んで、一人で我が子を抱えきれなくなって、愛せなくなるより、産まないで我が子に会いたくて仕方なくて、一生愛し続ける方を私は選んだ。産めなかった方が、我が子を嫌いになる要素がないから。一度も会えなかった分、好きな気持ちしか残らない。会えなかった悲しみは残るけれど、育児を知らない分、そのつらさは知り得ない。だからネグレクトの反対で亡き子を過度に干渉し、依存してしまう。それはそれで健全ではないかもしれないけど、愛しかなくて、子を嫌いにならずに済む。だから私は中絶を選んだと自分に言い聞かせながら生きてきた。
 
作中では一度は中絶を選択して、でも結局自分の視力を失ってでも産むと決めた母親や、私と同じように中絶を選んだ母親も何人か登場した。産婦人科医院が舞台で、望まれて生まれてくる輝かしい命だけでなく、望まれず人知れず消えていく透明な命の両者が描かれていた点が一番良かった。望まれて生まれた命の方がすごいとか優劣つけることなく、どちらの命も対等で、たとえ生まれられない命だとしても命の重みは変わらず、《命とは、そこに存在するだけで等しく尊く、愛おしいもの》と言い切られていたところに感銘を受けた。
 
二度目の中絶手術を経験した18歳の子は《赤ちゃんはもっと馬鹿だ。産めないあたしのところに来るなんて。もっとちゃんと産んでくれる人のとこに行けばいいのにね》と呟いていた。それに対してアオイは《どんなに悲しい結果になってしまったとしても、赤ちゃんはなにかメッセージを残してくれてるんじゃないかって》と考えていた。
私も18歳の子と同じことを考えた。産めそうにない自分のところじゃなくて、授かりたくても授かれない、どうしても産みたいって真剣に思ってる人のおなかに宿れば良かったのにって。結果として産めなかったし、宿ってくれた子に何もしてあげられなかったからつらいけど、我が子からたくさんのメッセージは受け取った。
赤ちゃんや子どもなんて別に興味なかったし、好きでもなかったし、苦手なくらいだったのに、母性をもらったおかげで、やさしい気持ちや愛する気持ちを教わったし、産めない自分の不甲斐なさや愚かさも痛感した。結局、私は孤独で相手も母親も味方にはなってくれないことに気づけたし、それでも我が子と一緒に未来を生きたいと思えた瞬間が確かにあって、希望や幸せも感じた。我が子の命を守れない絶望やつらさだけじゃなくて。妊娠に気づくまで考えたこともないことをたくさん考えて、悩んで、葛藤して、泣いて…そのすべての工程は我が子がくれたものだから、苦しかったけど、おなかに我が子がいてくれた時期は幸せだった。ひとりじゃなかったから、がんばれた。
 
疾患が見つかり長くは生きられない子を産むと決めた登場人物は、《ずっとお腹のなかにいてくれたらいいのに》《この子にとっての幸せは、今みたいにお腹のなかで守られて、痛いことも苦しいこともなんにもなくて、ただ安心していられる。そういうことなんじゃないのかな》と言っていた。
私もそうだった。生まれられないなら、このままおなかの中にいて、密かにずっと二人で生きれたらいいのにと考えたし、生まれたとして父親がいなくていろいろ言われてつらい目に遭うなら、やっぱりおなかの中にいた方が幸せだよねと考えたりしてた。子の尊い心拍を見てしまった母親のエゴなんだろうけど、おなかに隠したまま、我が子と二人で生きれたらいいのにって本気で願ったこともあった。
 
もう一人、中絶を選択した登場人物は、中絶を経験した後、精神不安定になり、同年代の妊婦に憎悪を抱き、突き飛ばしてケガさせてしまった。《あんたは産めるのに。お金だっていっぱい持ってるんでしょ?それなのにもう嫌だとか逃げたいとかぐちぐちと、贅沢なのよ!そんなに嫌なら産むのをやめればいいじゃない!》と毒舌を吐いていた。
私も中絶後は時々そう思うようになった。ネットとかでつわりが苦しいとか書いてる人を見かけると、もやもやして、じゃあ産むのをやめればいいじゃんとよく思うようになった。たぶん中絶仲間を増やしたいんだと思う。流産や死産と違って、自己責任の中絶は、誰にも寄り添ってはもらえないから。唯一、共感してくれるのはたぶん中絶を経験した人だけだから。毒づいた彼女にはすでに二人の子がいて、三人目は年齢面と経済面で無理と判断し、中絶した設定だったから、二人も産んでいて産めなかったことを後悔するなんて贅沢と言いたくもなるけれど、三人目の子もかけがえのないひとりの人間だから、それを考えれば彼女の気持ちは分からなくもない。
《無理でも…思ってあげればよかった。産めなくても、一度くらい》《産みたいって、言ってあげればよかった》と迷うことなく淡々と中絶を選択してしまったことを彼女は後悔していた。私は…産めなかったけど、産みたいって気持ちも芽生えて、どうにかして産めないか思案したから、彼女みたいに後悔しなくていいのかな。産みたい、一緒に生きていたいよって気持ちは我が子に伝えたはずだから。
 
14歳で妊娠し、産むことを選んだ子の話では、子は無事生まれたものの、生後1ヶ月ほどで自分の四十代の母親の死を経験していた。心筋梗塞による急死だったため、《わたしが妊娠なんかしたからママは死んじゃった。ごめんさない、ママ。》と母になったばかりの14歳は泣いていた。
私は母からこんなことを言われたことがあった。「未婚で産むと言われたら、私の精神がもたない。殺す気か。」と…。大袈裟でもなんでもなく、世間体を気にする母のことだから本当に精神を病んで、物語みたいに急逝していたかもしれない。結局、私は子の命より、母親の命を優先したんだと思う。母の精神を守るため、自分の心を殺して。障害者の妹の面倒を見ているから、母に孫の世話を頼めないのは分かっていたけれど、孫という存在を受け入れてもらえなかったことは悲しかった。開口一番に言われた言葉は「始末しなさい」だったから…。14歳とか十代ではなく、39歳といういい歳だったから、経済力と精神力さえあれば、シングルでも産めたかもしれないけど、母に殺す気かと言われてしまったら、返す言葉はみつからなかった。
この世に存在できる命の数は決まっているらしく、死んだら生まれる、生まれたら死ぬというのはよくある話だと思う。実際、妊娠する前の年に祖父母を亡くしていた。だから我が子は祖父母の生まれ変わりのような気がして、なおさら産みたくなった。コロナ禍だったせいで、祖父のことは看取れなかったし、もう一度会いたい思いは強かった。祖父の血も僅かに流れているはずの我が子を産みたかったけれど、産んだら今度はショックで母が死んでしまったかもしれない。そう思うと、母の命を守るため、産まない選択は賢明だったかもしれない。本当は母の命より、自分の命より、続いてほしい命だったけれど…。中絶当日も「子の心拍を止めるなんて、本当は自分の心臓を止められるより嫌」と母に最後の抵抗を示していたし。
 
14歳で産んだ子の話と似たケースで、アオイと同い年くらいの子が自宅風呂場で孤立出産し、アオイが働く産婦人科医院の敷地内に赤ちゃんを遺棄した話も描かれていた。リアルでも時々ニュースになる赤ちゃんの遺棄。産んで捨てるなんてひどい母親と一般的には母親は咎められるだろうけど、産めなかった私から見れば産んだだけでもすごいし、せっかく産めたのなら、どこか然るべき所に頼って、養子や里子に出せばいいと思ってしまう。産んだら大人になるまで育てるのが親の責任で義務なのかもしれないけど、育てることだけは他の人に頼ってもいいと思う。産むのはどうしたって子の母親にしかできないことで、誰も代わってはあげられないけれど、親が無理な場合、社会が代理で子を育てることをあらかじめ母親に伝えられたら、遺棄される子は減ると思う。密かにおなかで育て続けて、たったひとりで子を産むことができた母親は本来、たくましい人間だと思うから、誰かが代わりに育てる救いの手を差し伸べてあげられたらいいのにと思う。育児できなくても、出産できただけですごいことなんだから。
 
他にも《出産は、あなたの存在意義を確かめるためにするものではありません》《堕ろすなんていやだ。この子が消えちゃうなんていやだ。目が見えなくなる?それが何よ。私は産みたい。この子を産みたいんだ、って身体が叫びだして》《出産は人の人生を変える》《子供を産むってどういうことか、今みたいにちゃんとわかってたら、怖くて産めなかったかもしれません。だって人生変えちゃうんだもの。自分のだけじゃなくて、まわりの人生も》《この子がお腹にいるってわかったとき、世界がぱあって明るくなった気がした》《あの台にあがって、できたらまた堕ろせばいいなんて、そんなふうに思え人はいないと思うよ》《私は子供を産まないっていう自分の決断がまちがっていたとは思わない。でも別の道を選んだ人を見るとね、どうしても考えてしまうの。私は正しかったんだろうか、って》《自分の子供をもつって、こんなにも自分勝手になることなんですね》《誰より自分の子が大事。それが親の気持ちの本質でしょ?》など刺さるフレーズがたくさんあった。
妊娠が分かったら、自分はこの子に会うために生まれて、この子を身ごもるために生きていたんじゃないかと存在意義を確かめてしまったし、本当は堕ろしたくないって身体は叫んでいた。でも人生を変える勇気がなくて、怖気づいたから産めなかった。初めて我が子の心拍を見た時は、目の前が明るくなって、世界が輝き出したのを覚えている。何度も中絶を繰り返す人が時々いるけど、それはなんでだろうってずっと疑問だったけど、分かってしまった。たぶん産めなかったからこそ、次こそ産みたいって夢見てしまって、でも状況は変わってないから結局産めなくて…と中絶すると子に会いたい気持ちが強まるから、繰り返す人がいるんだと思う。妊娠すると我が子が一番大切に思えて、他のこととか他の人のことまで考えられなくなって、すごくわがままになる。どんなに物分かりの良い人でも、人が変わったように、我が子を優先的に守ろうとする気持ちが強まることも、授かったことで気づけた。
産めなかったことは残念だし、中絶が良いこととは肯定できないけど、でも妊娠しなきゃ気づけなかったことばかりだから、私は我が子を授かれたことだけは後悔したことはない。産んではあげられなかったけれど、授かれて良かったと思ってしまう。
 
だから何でそんなに後悔してしまうんだろうと深掘りして、最近やっと気づいたのはたぶん、消えない悲しみを誰にも分かってもらえないことが悔しいんだと思う。
中絶直後、相手は八つ当たりしたいならいくらでも八つ当たりしていいよと言った。母はいくらでも私を憎んで恨めばいいし、私が死んだ後いつか、お母さんが言った通りに産まなくて良かったと気づけばいいと言った。私はそんなこと望んでいないのに。八つ当たりや憎しみを誰かにぶつけたいわけじゃなくて、ただ一緒に命のかけらにしてしまった亡き子を思い出して、供養してくれる存在がほしいだけなんだと思う。産まなくて良かったって思える日は一生来るはずないし。産まない限り、産まなきゃ良かったという後悔は生まれないから。もし産まなくて良かったと思えるようになるとすれば、それは私が出産を経験した後の話。今さら、産めないのは分かってるけど。でもまだ本気でがんばればギリギリ間に合うかもしれない。我が子に会うチャンスは皆無ではない。あの時よりさらに状況は悪くなっていて、高齢で、ますます肥満になって、お金もないというのに産みたいと思うなんて馬鹿げていると分かっている。それに一番愛する子を産めなくて、会えなかったのに、他の子を産みたいなんて産めなかった子に申し訳ないし、妊娠できたらあの子を忘れてしまう気がして、それも嫌。だから二度と妊娠や出産なんて考えてはいけないと分かっていても、なぜか時々考えてしまう。特に生理が来るタイミングで。たぶん子宮があの子を思い出すからだと思うけど。
 
アオイは自分の働く産婦人科の先生にどうして中絶手術を引き受けるのか尋ねていた。すると先生はこう言った。
《アウスはいつか望んだとき、またちゃんと妊娠できるようにするための手術だ。…中絶も分娩も同じようなものだと僕は思う。どちらも新しい命を迎えるための仕事なんだよ》
そうだとすれば、私は望んでもいいのかな。あの子が子宮に来てくれて、命を感じて、幸せで、でも産めなくて、悲しくて…今度こそ産みたいって願ってしまうのは案外、本能みたいなものなのかな。
 
中絶後、手術を受けた病院ではない病院で子宮の様子を確認してもらった時、「残り物は何もなくてきれいですよ」と言われた。先生に悪気はなかったけど、少しだけ悲しかった。我が子の名残りが何もないと言われた気がして…。
最近、50年以上もの間、妊娠に気づかず石灰化した胎児と共に生きていた女性のニュースを聞いた時、少しだけ羨ましくなった。亡くなった胎児が体内にいることで健康は脅かされただろうけど、そんなに長い間、自分の身体の中に我が子を入れておけたなら、子も母親も幸せだったんじゃないかと。私もたとえ亡くなる子だとしても体内に留めておきたかった。命のかけらを胎内に残したかった。ずっと一緒にいたかった…。
 
産めないとしても、母子手帳やマタニティマークもほしかった。申請する前に中絶してしまったから、我が子と自分をつなぐ証みたいなものがほとんど残っていない。あるとすれば数枚のエコー写真くらい。あの子のエコー写真は間違いなく、生涯で一番の宝物で、何枚も複製して、データ化もして、肌身離さず持ち歩いている。供養というより、あの子は私の拠り所。
その写真を使って、ハート型の手作りキーホルダーも作ってしまったりして、まるでそれはアウスマーク。何年経ってもそれ以上、成長しない子をかばんにつけて、一緒に歩いてる。今やnoteは中絶手帳みたいなもので、綴る内容は中絶(後)日記ばかり…。忘れたくないし、忘れられない。私の胎内で生きてくれた透明な命のことは。
BUMP OF CHICKENの『ray』を思い出した。
 
《お別れしたのはもっと 前の事だったような 悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ 君といた時は見えた 今は見えなくなった 透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している…寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから》
《お別れしたのは何で 何のためだったんだろうな 悲しい光が僕の影を 前に長く伸ばしている…あまり泣かなくなっても 靴を新しくしても 大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない》
《お別れした事は 出会った事と繋がっている あの透明な彗星は 透明だから無くならない》
 
透明はたぶん何色にも勝る。見えないから消えない。透明な魂がどこかにいてくれると信じて、今日も私はあの子がくれた心のゆりかごの中で、息をする。悲しくてやさしい光を感じながら…。
 
『透明なゆりかご』は妊娠・中絶を体験した後だからこそ、心に響いたドラマであり、小説だった。全部自分事のように自分と重なる部分があり過ぎたから、こんな私でもたぶん、母親になれていたんだと思う。妊娠を経験する前、2018年にリアルタイムで見ていたとしても、こんなに心揺さぶられなかったと思う。
『おかえりモネ』が好きだから、今回『透明なゆりかご』の再放送を見ようと思った。『透明なゆりかご』に興味を持つきっかけを作ってくれたのがモネだから、モネと出会えて、モネを好きで良かったと思えた。『透明なゆりかご』と出会うための『おかえりモネ』だった気もする。

ゆきとのことをみんな邪魔者、厄介者扱いしたけど、私にとっては大事な存在だったよ。
もう生きてはいないけれど、ゆきとは未だにいろんな気づきを与えてくれるね。
歯医者に行けば、ゆきとのことは一度も歯みがきしてあげられなかったなとぼんやり考えてしまったよ。生まれていないから、まだ歯も生えていなかったね。
髪の毛をカットすれば、ゆきとの髪は一度も切ってあげられなかったなとやっぱり考えてしまうよ。9週だったからまだ髪の毛も生えてはいなかったよね。
何もしてあげられなくて、どこにも連れて行ってあげられなくて、何も経験させてあげられなかったって悔やんでしまうよ。
もういないのに、たくさんのことを考えさせてくれて、教え続けてくれるから、子どもって存在はすごいなって思う。一緒に生きていられたら、さらにたくさん教わっただろうなって思う。
 
アプリで自分の写真からゆきとの想像写真を作って気づいたよ。
お母さん、ブスな自分の顔が大嫌いで、何でこんな顔で生まれたんだろうってずっと悲観していたんだけど、自分の幼少期に似ているゆきとの顔が生成されたら、その顔がたまらなく愛しく思えたの。我が子は整った美形じゃない方が好きって気づいたの。不細工でもかわいいというより、不細工な方がかわいいって思った。自分の顔は嫌いなはずなのに、自分に似ている顔の子の方が好きってちょっと矛盾してるよね。
それもゆきとが教えてくれたこと。初めて不細工な自分の顔を肯定できたよ。ゆきとのおかげで。お母さんにそっくりな不細工な顔で生まれていたら、ゆきと自身は嫌だったかもしれないけど、お母さんはそんな顔さえ大好きで、ゆきとのすべてをきっと愛したよ。ブスがいいなんて思えたのはほんとに初めて。
 
ゆきとはもういないけど、これからもきっといろんな気づきを与えてくれるね。それなのに、何もお返しできなくてごめんね。せめてどこかで生まれ変われて、ゆきとが幸せでありますようにといつも神さまに願っているよ。

「透明なゆきとの唄」
 
赤ちゃんなんて興味なくて 子どもなんて嫌いだった
どうしてみんな 赤ちゃんをかわいいと言うの
子どもが好きなの?
それが分からないから 分かりたいから
妊娠してみたかった ためらいなく すぐに堕ろせるから
 
「不妊症の傾向があります」医師から告げられていた
実際生理不順だし 諦めていた
愛してくれない片想いの彼と 身体を重ねて
死んだように 投げやりな気持ちで 生きていた
 
そんな私を試すように あざ笑うように
ふいにあなたは私の元へやって来た
私の知らないうちに 密やかに
あなたは私の命の中で 命を始めて
私に命を委ねていた
 
ウソでしょ どうしよう 困った
何かの間違いかもしれない
戸惑い 不安 恐怖さえ感じながら
病院に駆け込んだ
あなたの命を確認してもらった瞬間
私の世界は色づいて 輝き出した
 
どうしよう なぜか分からないけど
すごくうれしい すごく愛しい
あなたが刻み続ける 心拍を見せられたら
幸せが込み上げてきて
この命を守りたい あなたと共に生きられたらと
夢見始めたよ
あなたの命の瞬きを 瞳に焼きつけながら
 
だけどあなたのお父さんは もちろん認知してくれなかった
「できたとしても堕ろす約束だったでしょ?」と
産みたいなんて心変わりした私のことを蔑み たしなめた
友だちや助産師さんからはシングルマザーの過酷さを教えられた
産むなら味方が必要と気づいた私は
あなたのことをあなたのおばあちゃんに打ち明けた
だけどあなたのおばあちゃんは 味方になってくれるどころか
「始末しなさい」と血相を変えて突き放した
「私を殺す気か」と脅しながら
 
味方をみつけられなかったお母さんは孤独を感じたよ
ひとりぼっちなんだと泣いていたら
ひとりじゃないと気づいたの
あなたがいたから ふたりぼっちだったと
あなたとお母さんは この世に居場所なんてなくて
だけど あなたの命の居場所だけは守りたいと思ったよ
お母さんしかあなたを愛する人はこの世界に存在しないから
お母さんだけはあなたが大切だったよ
たとえ誰も認めてくれないとしても
 
中絶しなきゃいけないくらいなら
流産してくれた方がマシだって
そんな残酷なことも過っていたよ
殺すより 自然に死んでくれた方が諦めもつくって
そんな時 不正出血が起きて
慌てて病院で診てもらったら
トクトク トクトク 心拍は続いていて
あなたは元気に生きていたの
流産を願ったはずなのに
どうしよう あなたが生きていることがたまらなくうれしい
心拍が止まっていなくて良かったと安心してしまったよ
ずっと ずっと 二人で一緒に生きられたらいいのにと
私なんかよりたくましい 生命力が強くて
生きることにひたむきなあなたのことがますます好きになったよ
 
けれど あなたの味方になってくれる人がいないことが
たまらなく不安になって ひとりであなたを守り切れるのか
悩んで 泣いて 葛藤し続けていたら
パニックになって 息が苦しくなって こんな弱い私じゃ
あなたを守れないと悟ったの 過呼吸になった朝に
 
何より誰より大事なあなただから幸せにしてあげたいのに
無力で愚かな私ひとりでは あなたを守れそうにない
それに気づいた私は あなたの命を諦めることにした
自分の心臓を止めるより嫌だったけれど
あなたの命の時間を止めることにした
私は 母親失格 そして 人間失格
 
ごめんね ありがとう 大好きだよ
その言葉を繰り返しながら
ほんとは離れたくなかったけれど
あなたを抱きしめられないうちに手放したよ
一度も触れてあげられなかった 私の中にいてくれたのに
あなたが残してくれた命の残像をみつめながら
今日もあなたのことばかり考えています
 
あなたが見せてくれた命の瞬きは忘れてないよ
あなたが必死に成長してくれたあの時期を忘れたことなんてないよ
もし あのとき ほんとに流産していたら
人間の姿に成長したあなたは見られなかったね
大きくなった かわいい姿を最後に残してくれてありがとう
ずっと 一生覚えていたいから 何度も反芻しているよ
あなたが色褪せないように 私の心の中ではあなたを生かしているよ
 
あなたは生まれたかっただろうに 中絶してしまったから
妊娠してみたいなんて野暮なことは考えずに
最初から存在させなきゃ良かったと言う人もいるけど
私はあなたと出会う前の自分より 今の自分の方が好き
あなたを手放してしまった後悔や無念を抱えながら
あなたがくれた母性や愛を知ることのできた自分として生きてゆきます
 
中絶は後悔してしまうけれど 妊娠したことは後悔できないよ
あなたの命を感じられたことは幸せだったから
あなたを殺しておきながら身勝手なことばかり言ってごめんなさい
何者になれなくても ちゃんとあなたのお母さんになれたら
最高の人生だったのに
 
あなたの魂が安らかでありますように
できることならやさしいお母さんの元へ生まれ変われていますようにと
あなたの幸せをずっと願っています
 
2022年 令和4年 寅年 乙女座生まれだったはずのあなたへ
この唄を捧げます
 
※鼻歌でメロディを歌いながら、この詩を考えました。つまりメロディ付きの詩です。

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