『ノリコのお弁当』7.23


 雨あがりの水たまりで、つがいのツバメがあそんでいる。会社帰り、自転車をひきながら園山は、たべきれなかった弁当の中身をどうするか考えていた。
 あと数日で、社会人になってから一年がたつ。園山はやっと生活になれ、節約のために自炊をはじめたが、いつも量の加減がわからなくて困ってしまう。
 ネットにおちているレシピ通りにつくると、どんな料理でもうまくできる。園山自身がその味を信じられないほどだ。いつも大量に作ってしまい、食べきれないと、神さまにわびたくなる気持ちになる。朝がくれば腹がへる。また大量に作ってしまう。もはや憧れていた、料理のできる自分に、酔っている場合ではなかった。
 元はといえば、オカンがつくる弁当がゲロマズで、量を減らしに減らしてもらっていたのがいけなかった。ぜんぶ食べきっても、腹をすかせて弁当箱をもちかえった、子どもの頃のオレのあの健気さ。すなおに言えばよかった、と園山はひもじさを思いだすたびに思う。
 けれどオカンの、あのやさしい笑顔。あんな表情で「おいしかった?」ときかれたら、「おいしかった!」と言わざるを得ない。仕方なかった。オレはわるくない、だれもわるくない。うまい弁当を山もり持っていき、赤子のように午後ねむくなる体験をどうしてもしたくなる、それは動物的本能だ、園山は自分にそう言いきかせ、ため息をついた。
 あのツバメたちに食べてもらう、というわけにもいかないしなぁ。園山は公園に入り、ベンチに座る。
 視線の正面で、まるで天使のようなクルンとした目つきの女性が、しゃがんで砂場からじっと、ブランコの向こうの低木の下を見つめていた。
 つられて園山も、同じ方向を見る。女神のような美しい目が光っている。おもわず、ヒュウと口笛をふいた。天使の女性がいきおいよくふり向く。
「あっ!」
 彼女の動きに反応して、女神のような目がすばやく動いた。園山は長い尻尾がフェンスにのぼるのを見て、「ノリコ、きょうも美人なぁ」とつぶやく。白い尻尾に青い目のノリコは、園山を見ると、ヒャーンとないて消えていった。
「あの」
 園山はハッとして、女性を見、すぐに目をそらした。スーツ姿のいい歳した男が、猫に話しかけているところをみられてしまった。いつもやっているとはいえ、彼女の顔といったら。
 真っ赤だった。
「……スミマセン」
「いえ、あの、あやまることじゃないですけど」
 真っ赤な彼女がうつむく。園山も、自分の顔が紅潮してくるのを感じる。
「あの子、ノリコちゃんって名前なんです?」
 彼女が一歩すすんできたので、園山はこぶし二つ分ほど横にずれて、ベンチをあけた。
「そうぇ、そうです。はなすと長くなりますが、あの子はオレが引っ越してきたときからの知り合いで、いやその、猫を知り合いって表現するの変ですよね」
「びっくりしました。わたしもノリコなので」
 なんだって。園山は面食らった。ついでにノリコが、コンビニ弁当を持っていることに気付く。
「あっ、弁当」
 園山はノリコの弁当がスープパスタだけなのを見て、自分がやっていた行為がさらに恥ずかしくなり、だまりこんだ。この子は節制しているというのに、自分は。ベルトに若干の肉がのる園山に比べ、ノリコは猫のように細い。
「なにかあったんですか? 哀しそうな顔、してますけど……」
「ノリコに申し訳なくて」
「えっ、わたし?」
「あっ、猫のほうです。あの子細いでしょ」
 色白のノリコが、キョトンと目を丸くした。園山は「あぁ」と言いながら、「長くなるので、スープパスタ、さめちゃいますから……」と頭を沼に沈めるように俯いていく。
「ここで食べてもいいですか。話、ききますよ」
「えっ、いや、職質とかされるかも」園山は首を振る。
「わたし? どうしよう」
「ちがいます、オレ、いい歳して猫と話してたし」
「それなら大丈夫です。わたしも家では喋ります」
 どうぞ、猫だと思ってうちあけてください。ノリコがスープパスタのビニールをむきながら言った。
「……ノリコさん、それで飯、足りるんすか」
「足りません」
「えっ」
「わたしの話も長くなりますから、お先にどうぞ。それで?」
「……オレ、いつも弁当作りすぎちゃうんです。食いきれなくて、情けなくなって、家、余り飯だらけで……」
 カッ、とノリコの目が開いた。野良猫がネズミを捕らえる瞬間のようだった。腕を掴まれて、園山はビクッと跳ねる。
「もしかして、そのご飯食べきれなくて困ってるんです?」ノリコが言う。
「そ、そうっすね」
「わたしの話も聞いてください。わたし、就職きまって引っ越してきて、一年目になります。ネイリストです。正直、まだ全然稼げません」
「あっ、同じ……爪長くてきれいっすね……」
「恥ずかしながら、料理、全くできません。猫を飼っているので、自炊しなきゃやっていけないのに、ダメにする量の方が多いんです。神さまにお詫びしたくなるような気持ちになります」
 園山は、その瞬間、運命を感じた。もしかしてこの子は、オレの前に舞い降りた天使なのでは? 一瞬本気でそう思ってから、そんなわけないだろ、と自己完結してだまりこむ。ヒャーン、と猫の声がした。
 野良猫のノリコが、園山のひざの上に乗る。長い爪が、足にささる。
「いってぇ!」
「お金払います。お願いです。ご飯、はんぶんこしませんか」
 夢じゃない。園山はまた逃げていった野良猫のノリコの背を見てから、人間のノリコを見た。美人局の可能性や、よからぬ撮影の可能性も考えた。しかし、それ以上にノリコはかわいかった。
「うす」
「やった! あったかいご飯たべれる!」
「いやでも、あぶないっすよ、知らない男についていっちゃ、何もしないですけども」
「大丈夫ですよ、みてましたから!」
 ノリコはふふ、と笑って、立ちあがった。再び低木の前にしゃがみ、指先をさしだすと、野良猫のノリコがヒャーンと寄ってきた。ノリコがノリコを抱き上げる。
「この子と仲良しなの、引っ越してきたその日から、知ってましたから」
 ね、と天使が笑うと、猫がヒャーンとないた。つがいのツバメが仲よさそうに、遠くへと飛んでいった。


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