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17歳で英語挫折。31歳セブ留学体験で話せるようになってわかった方法

「君の英語、全然ダメだね」

私が英語コンプレックスになったきっかけは、17歳の頃にさかのぼります。

小さい頃から英語が好き。高校は英語の成績に支えられて入学。英語はできるものと思っていたあの頃。

英検の二次試験の面接対策のため、学校のイギリス人AET先生(Assistant English Teacher)に面接対策の練習をしてもらったときに、その言葉を投げられたのです。

日本語で談笑したあと、いざ英語で先生と話そうとしたら、急にあがって頭の中が真っ白になってしまう。自分でも驚き、戸惑いました。そんな私に言ったイギリス人先生の言葉、

「全然ダメだね」

それも日本語で……

私はたったその一言で英語が苦手になり、話すことが怖くなり、コンプレックスになってしまったのです。

この記事ではそんな私の挫折経験から、英語コンプレックスを克服するまでのストーリーと、話せるようになるポイントをお話しします。

社会人になっても抱えたコンプレックス

できると思っていた英語。実はまったくできなかったことで自信をなくしたまま、社会人になりました。

働いていたファッションの会社は、パリコレクションなど海外に関わっています。憧れて入社したのにも関わらず、自分には縁のないところと心を閉ざしていました。

何度かの転職を経て、ご縁をいただいたのは外資系企業。PR(広報)職でお仕事をともにするのは、日本のマスコミやスタイリストさんで、日本語使用。日常業務に支障はありませんでした。

しかし、たまにかかってくるヨーロッパの本国や海外拠点からの国際電話。ああいう電話って、どうしてひとりでいるときに限ってかかってくるのでしょう……

電話機が鳴るたびに緊張が走る毎日。液晶画面に番号通知で映る、不思議な数字の羅列=国際電話だ! 受話器を持つ手が震えます。まったく話すことができず、無言で保留ボタンを押したことも何度か。

さすがにまずいので、電話機に「One moment please.(ワンモーメントプリーズ)※少々お待ちください」と書いたふせんを貼り、どんなにあがっても、その紙を見ると決めてやりすごしていました。

外資系企業ですから、周りは英語が流暢どころか、米国や英国の大学を卒業しているエリートばかり。派遣社員でもある私は、肩身がせまく、ただただ恥ずかしく、劣等感にさいなまれていました。

何をやっても話せるようにならない

そんな自分を変えたくて、英会話の本を買ったり、英会話スクールに通ったり、マンツーマンのカフェ英会話をやったり…… だけど、何も身につきませんでした。

・英会話の本
実際に使う英語と距離があるように感じて応用がきかない

・英会話スクール(グループレッスン)
先生に「Hey! What's up?」と言われても、パニクって話せない。先生は超いい人なのに申し訳ない……

・カフェ英会話(スタバでマンツーマン)
結局そもそも話せないので会話にならなくて気まずいだけ。先生に「Don't be shy!」と励ましてもらうけど、それ以前の問題だと気づきました。

私はどんなにやっても話せるようにならない。
いったいどうしたら話せるようになるの…?


できれば海外に行きたい、でも勇気がない。

30代を迎える私は、英語以外の悩みも多い。

「もう30歳だよ、この先どうしよう」
「結婚……? このまま結婚しちゃっていいの……?」
「本当はやりたいことあるんじゃないの? 」
「何がしたいのかわからない」
「何でもできるなら海外に行きたい。だけど正直勇気がない」

友人とそんな話をしていたある夜、お店の席を立つと、私たちの席の上にはアントニオ猪木さんのお言葉が。

「夢を持て」
「一歩 踏み出す勇気」

このメッセージが、私の背中を押すことになったのです。

偶然のできごとから、ずっと頭から離れなかった「海外」。

海外へ行くには…… 会社を辞める勇気がありませんでした。夢だった仕事に就けたけど、やりたかったことは達成してしまい、先が見えているのに。

ところが、その翌週に上司に呼び出されて、契約終了を告げられたのです。
その言葉を聞いたとき、私は号泣しました。終了が悲しかったわけではありません。ついに「そのとき」が来てしまったことを感じて、心が震えたのです。


英語ゼロからのセブ留学のはじまり

ーーー2012年4月1日、日曜日。晴れ。31歳を迎えた私は成田空港にいました。勇気と緊張、期待と不安を持って。

生まれてはじめて行く、東南アジア。フィリピン・セブ島への英語留学へ旅立ったのです。

いざ入学したものの、入学時のレベルチェックテストはひどいものでした。

先生:自己紹介してください

私:Nice to meet you. I'm Hiroko Onozato. I'm from Japan.

先生:他に何か話せませんか?

私:(頭の中パニック)
My hobby is playing tennis.(中学1年の教科書で出てくるあれです)

先生:苦笑
ところで、なぜ英語が話せるようになりたいの?

私:(英語を話せるようになって、人生の可能性を広げたい。だけど英語でなんて言っていいかわからない。えっと、Whyで聞かれたからBecause…?)

Because, I want to study English.(そうだよ、だから留学に来たんだよ、そうなのよ、わかってるの、あ〜何言ってるの……)

先生:そうだよね。英語が話せるようになりたいんだよね。それでどうして英語が話せるようになりたいの?

私:I........... want to study English…….

<テスト終了>

入学時のレベルは、1番下の英語ゼロでした。

17歳まで得意だった英語も過去の話。すっかり忘れていて、筆記試験もひどいものでした(スマホの辞書でカンニングしても最下位でした、ごめんなさい)

そんな私でも、セブ留学で英語コンプレックスを乗り越え、話せるようになりました。セブ留学後はアメリカやイギリス、マルタ、ドイツなど世界各国の語学学校に足を運んで仕事をしたり、海外のどこでもひとりで旅行をして楽しめるようになったり、世界が広がったのです。

いったいセブ島で何をやってきたのかを振り返ります。


セブ留学で取り組んだこと

私が通った学校では、1日6時間ほどの英語レッスンがありました。マンツーマン授業が1日 220分(約3時間半)、グループ授業が1日 110分(約2時間)の計5時間半ほど。
※今主流の語学学校より授業時間が短め

英語のレッスンはフィリピン人の外国人講師が英語で教えます。日本語は一切通じません。「意味がわかりません」「トイレ行きたいです」などもすべて英語で伝える必要があります。

それを平日5日間やり続けるのです。1週間で約27時間。信じられますか? 行ってみて思ったのは、これで話せるようにならないわけがない。もう「コンプレックスが」などとは言っていられないのです。

留学中はそれはそれは必死で学びました。うまくいったことも、失敗したこともあります。長くなるので、具体的にどんなことをやったのかは別の記事でまとめます。

取り急ぎ、英語ゼロの私が上達したステップはこんな感じ↓

英語上達までのステップ

  • 1か月目 言っていることがわかるけど、まったく答えられない

  • 2か月目 少しずつ短い会話ができるようになってきた

  • 3か月目 だいぶ会話ができるようになってきて、意欲が湧く

  • 4か月目 もっとできるようになりたい!日本人だらけの環境がいやで外国人コミュニティに飛び込む

  • 5か月目 ひとり旅に出て友達を作る
    ※はじめは2か月くらいで大丈夫だろうと思っていましたが、まったくその読みは甘くて延長しました

決してスイスイいったわけでなく、5か月の留学中は何度も挫折しかけて、メンタルもやられました。30代ではじめてホームシックという感情を知りました。何度も泣きました。自分はこんなに弱いのだと知りました。

しかし、できるまで日本に戻らないと覚悟を決めていたので、何が何でもやり遂げました。非日常の環境だったからこそ、必死になれたのかもしれません。この経験で英語だけでなく、マインドも大きく成長することができました。

セブ島でお世話になったフィリピン人の先生たち

そして気づいたんです。実は多くの日本人は「できない」と思い込んでいるだけじゃないかということに。


英語話せる=ペラペラの幻想

実際、英語ゼロから身につけて気づいたのは、英語習得にはステップがあるということ。

言語習得の国際基準であるCEFRでは、習得レベルを「A:基礎段階」「B:自立段階」「C:熟達段階」に分けており、その中でさらに2段階に分かれています(計6段階)。

実は、多くの日本人が望む「旅行で話せるようになりたい」は思ったより低く「A:基礎段階」のうち上段階なんです。

ネイティブに近いレベルは「C:熟達段階」。実際そこまで必要でしょうか? 日本の完璧主義は良いところもありますが、ときに偏りがあり、自己肯定感を下げることにつながります。

セブ留学のあとにいったマルタ留学では「A:基礎段階」の下段階のブラジル人留学生が、文法めちゃくちゃでも堂々と話し、楽しそうに過ごしていました。

私ははっとしました。テクニックにこだわりすぎて、本来のコミュニケーションができていなかったのではないかと。英語はコミュニケーションのためのツールでしかないのに……

授業中に投げキッスとナンパしてきた陽気なブラジル人クラスメイト

間違いや人目を気にし、減点法の日本人マインド

日本人は間違いを気にするなど、ちょっとしたことを恥と捉えがちです。私自身が受けた「君の英語、全然ダメだね」という言葉を「全部ダメだ」と捉えてしまった私自身のマインドにも問題があると思っています。

できないところもあるけど、できるところもある。フィリピン人の先生は明るく前向きな加点法マインドを持っています。「Hiroko、今日はここができるようになったね! 昨日から一歩進んでるよ!」と何度励まされたことか。

先生のおかげで少しずつ「私もできているところもある」「自信をもっていいんだ」と思えるようになり、立ち直ることができました。


私だけじゃない、みんな乗り越えられた。

14年間も抱えた英語コンプレックスを打破するきっかけは、セブ(フィリピン)への留学でした。

私はこの感動をもとに、これから海外へチャレンジしたい方のために留学サポートを行い10年になります。同じように英語苦手を乗り越えて、夢を叶えた留学生がたくさんいます。

Yさん(20代)運送配達員
留学前:
・タイで働く夢があり、配達員をしながら海外費用を貯金
・英語が苦手で私の留学エージェント名「English Bird」が読めない
・セブのセミスパルタ学校に3か月留学

留学後:
・日常会話が話せるようになり、念願のタイで日系有名企業へ就職

Yさんの体験談はHPで読むことができます(上から4人目)


Yさん(20代)エステティシャン

留学前:
・ローマ字のBとD、dの違いがわからない、膨らみが右? 左?
・セブのセミスパルタ学校に5か月留学

留学後:
・日常会話ができるようになり、海外旅行も楽しめるようになる


Cさん(30代)旅行添乗員

留学前:
・仕事で海外に行った時に「トゥエンティファイブ(25)」と言われたが、数字がわからなかった
・セブのセミスパルタ学校に5か月留学

留学後:
・セブ留学後にマルタ留学へ行き、ヨーロッパなどインターナショナルな留学生とすぐに溶け込む
・ヨーロッパ旅行も楽しむ

Cさんの体験談はHPで読むことができます

こんな風に、留学を経て英語コンプレックスを乗り越えて、人生がより良くなった人がたくさんいます。


誰にでもチャンスがある

私がこの経験から学んだことは「誰にでもチャンスがある」ということ。そして、コンプレックスは乗り越えられるということ。だけど、その方法がわからないから、解決できない現実があると思うんです。

私の場合は、セブ(フィリピン)留学に出会っていなければ、今もなお「いつか話せるようになりたい」と思いながら、過去を悔やみ、人をうらやんで生きていたことでしょう。セブ留学に出会えて、本当によかった。人生はほんの少しのチャンスで変わるからこそ、この存在を伝えたいと思っています。

もちろん、留学してほしい、とすすめているのではありません。
今の時代は無料で学べるものもたくさんあるし、選択肢も数多くあります。ただ、その中のひとつとして、こんな手段もある、と知っておくだけでも心強いと思うのです。

どれがいい悪いではなく、まずできることからやってみませんか。そこから見えるものがあり、諦めなければ道は開けます。理想の自分になれる。たとえ、どんな挫折があったとしても。


誰もが自分らしく生きられる世の中をつくりたい

私のnoteでは、数々の逆境やコンプレックスを乗り越えた経験を綴っていきます。「いつも楽しそう」と言っていただくことが多い私ですが、実は誰にも言えない悩みを抱えるなど、つらいことの多い人生でした。

そんな私でも自分を変えることで、自分らしい人生を生きられるようになりました。

幸せを感じられるようになった今、どんなことがあっても、いくつになっても人生は変えられると確信してます。なりたい自分になり、自分らしく生きていいんです。

経験から学んだことや想いを伝えることで、同じように悩む、世界のどこかにいる誰かが前に進むヒントになれば、とてもうれしく思います。人生は一度きり。一緒に歩んでいきませんか。

お読みいただきありがとうございました。


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