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雑記ー20230116

本日、心療内科に隣接しているカウンセリングを受けた。

昨年の11月から心療内科を受け、すでに適応障害的な症状はほぼなく、むしろプラスの状況にまで持ち上げつつあるが、認知行動療法で学んだことをこれからのキャリアにする必要があると思ったのである。

まず自分は、41歳の今のタイミングで、自分の限界を知ったと思う。

人間は能力的にエクスパンドできるのかという問題に関しては、多分できない。これが自分の限界なんだと思う。それをこれからまた擦るのかと思うと、絶望的な気分になる。もう無理、と思う。

でも、おれは組織に馴染めない。だから今の仕事の仕方をしているのだと思っている。これはスティグマじゃなくて、ある一定の信憑性を持った、れっきとした事実なんだと思う。

まずカウンセラーにこのことを伝えた。
「スティグマ」と「事実」の違い、あるいは認識について。

俺はカウンセラーに聞いた。
「これは例え話ですが、4回も5回も結婚しては離婚している人、いますよね?」
「はい、いますね」
「例えばそういう人が、『私また結婚したい』と言ったら賛成しますか? 反対しますか?」
「基本的に、カウンセラーは賛成も反対もしません。ですが、その人が結婚したい、必要だと思ったら、結婚していいと思います。反対はしないです」
「なるほど。じゃあ、その人と結婚すると、相手がいつも不幸になるっていう前提だったらどうですか?」
「それでも答えは同様です」
「では、その人と結婚すると、相手がいつも自殺しちゃう、でも同じですか」
「同じです。なぜなら、その瞬間、人生のその期間においてその人が結婚することが必要だと思うのであれば、私は否定しません」

みたいな話である。

俺からすると、上の人のように、離婚歴がある一定以上にある人は、結婚に向いていない人ということで、これはスティグマや思い込みではなくて、あくまでも「事実」だと思うのだが、カウンセラーによれば、その線引きは難しく、難しいからこそ、「心赴くままにやるべきだ」というのが心理学的な結論、というとても文系らしいというか、医学なんだろうけど、めちゃくちゃ曖昧なところに帰結するらしい。

つまりウォンツを最も重視するのだ。
それが心の舵取りにすごく重要だということなのだ。

まぁそういうことで、なるほどわかったって感じなんだけど、おれはだから、これからのキャリアのことを説明した。これからどうしていきたいか、ということをだ。

おれは、こういうことを伝えた。

スティグマ1「 人とうまくできない」
組織に長く馴染めない。貢献して、長く信頼関係を結ぶというのができない。できたことがないのがコンプレックス。それは、やはり自尊心を保つために、人のことを下にみたり、小馬鹿にすることで、自分の位置を担保するなどしていた。でもそれは対処療法なので、長く同じ組織に居られないことがコンプレックス。ストレスになっている。

だから、努力することもできない。負けるのが怖いので、逃げる。それがセルフスティグマになって、自分を恥じているところがある。当然、これは自分自身の傷であり、認知の歪みがあることはわかっている。認知の歪みがあることはわかっていて、それでも歩み出せない場合、どうすればいいのか。セルフスティグマを解消するためにはどうすればいいのか。

スティグマ2「自分に強い自信が持てない」
もう一つは、特にコロナ渦において、色々な失敗体験が多く、そのセルフスティグマがかなり重厚なものになっていることである。これがもう一つのセルフスティグマである。問題は、セルフスティグマがセルフスティグマであり、現実には存在しないと頭では理解していていも、強固なビリーフシステムによって壊せないことである。

スティグマ3「人を許す範疇が小さい」
上の二つが作用して、自分を攻撃する人がまず嫌い。距離感が近い人が嫌い。

前述の通り、40になると、自分の限界が見えてくる。これで「おれまだ本気出してないだけ」といよいよ言えなくなったってことだ。自分にできることはできたけど、できなかったことは多かったし、できることをこれからやっていくのは、擦るのはもう無理だって話なで、それよりも、組織に入るのはすごく億劫だけど、チームを組んでやりたいことをやるということを続けるのを、どうにかやるしかないという感じなのだ。というか、自分の中ではそれを50対50のような感じで捉えていたのだが、カウンセラーの先生は、おれの話のトーンから「話を聞くところ、おそらくあなたは、今の状況に疲弊していて、これからもっと人と交わりたいと思っているようですね。それに対して、すごく疲れたり、めんどくさいことを懸念しつつも、それをやろうとしている。そっちの方に意識が向いているんですね」と言われた。

おれは一回のカウンセリングに6600円払っている。
そんでもって、おれがほとんど喋っている。
だから意味があるかというと、多分あんまりない。

だけど、こういう一言で、事態が前に進むこともある。
というか、流石に6000円払ったとなると人って元を取りたくなるんだよな。
だから人は、こういう発見をその対話の中から見出したりする。

これ、自費じゃなかったらそうはならないかもしれない。
だし、心療内科の先生の話だけだと、ちょっとそうならないかもしれないなと思う。なぜなら安いからだ。

まぁそんなことはどうでもいいんだが、おれはおそらく、前に進もうとしている。
面倒なことだらけだし、傷つくことも多いだろう。
だが、それをやろうとしている。

それもこれも、鬱になるまで頑張って金を集めたからできたことだと思う。
それができるまでは、この判断に至ることすらできなかったはずだ。

だから、過去と現在と未来は繋がっている。
でも同じ間違いはしたくない。次は、どんな方向に具体的に進んでいくかということだ。
やるべきことは、これまでと同じ間違いを冒さぬよう、戦略的に前に進むことだろう。

おれは小学校のことから、運動会に積極的に参加することができなかった。いつも冷めていた。それはどんな時でも一緒で、そのシニカルさ、対象を冷笑する精神がサブカルに繋がって、極端思考と、それをすることで他者との差別化を図るという行動原理につながった。恥ずかしながら、これが俺の人生を通したセルフスティグマである。自分が傷つくのが怖い。そのために人を貶めるような行動をとってきたと思う。だからうまくいかなかった。色々な人に迷惑をかけてきたと思う。だから、これまで自分の人生を大きく開花することができなかった。周りの足を引っ張ったこともあると思う。

おれは自分のことを運がいいと思っていた。
大きな失敗がないからだ。
が、そもそも相手にされていなかったのだ。
こんな体たらくだから、神様に相手にされていなかったのだ。
それだけのことであって、運が良くも悪くもないのだ。

自分のモチベーションを左右するような人為的あるいは作為的な何かに対して強い拒否反応があった。これは本当に根源的なもので、それを除外するのはこれからも難しいと思う。どうしても、人にやれと言われたら、やる気が出ないし、まるっきりやらないのだ。これはきっと確実に今後も続いていくことだと思われる。

こうやって言語化できるようになったら、あとは焦らずに、じぶんのやりたいことに進んでいきたい。なんとなくの組織に入ったり、なんとなく表面的な形で先に進むことは避けたいんだよな。心が震えない。

もうここまできたら、ゆっくりでいいから、適切な先に進みたいんだよな。

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