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20年間封印されていた「一太郎」ファイルから企画をサルベージしてみたら…

現在はマイクロソフトのWordユーザーだが、以前は四国が誇るIT企業「ジャストシステム」(余談だが、ジャストシステムでは週に一度、社員食堂で副社長が蕎麦を茹でてくれるらしい笑)のワープロソフト「一太郎」信奉者だった。(台本をメールする時「一太郎」だと先方が開けないため、泣く泣くWordに。今でもATOKだけは頑なに使い続けている。)

というわけで、昔創った一太郎ファイルは開けないままPCの片隅に放置していたのだが、最近になってWordでも開けることが判明。20年前に書いた企画を救出してみた。

NHKに提出した硬派な企画。でも、今一番やりたいのは意外とこういう番組かもしれない。

タイトル「東京駅誕生」 

 (ねらい) 

大正3年12月15日。首都東京に新しいランドマークが誕生した―「東京駅」。 

この番組は、日本国民誰もが知っている駅「東京駅」を取り上げ、「なぜ、あの場所に決められたのか。」「なぜ、あのような形におさまったのか。」という疑問に歴史的・建築技術的観点から多角的にせまっていく、「歴史検証ドキュメンタリー」である。  

年末年始、帰省・上京に賑わう首都の玄関口、東京駅。その誕生の裏側にある、知られていない秘話を紹介。視聴者の知的好奇心に応えていく。 

(内容・構成)  

●東京駅の謎に、帝都物語でおなじみの作家「荒俣宏」が迫る。  

●歴史資料をひもときながら、東京市改造計画の謎に迫る 明治15年、時の内務大臣「山県有朋」の手によってスタートした「東京市区改正計画」。それまで東海道本線の終着駅としての「新橋駅」、東北本線・上越線の終着駅としての「上野駅」、いずれにせよ、都心部をさけて位置していた。それを一本につなぎ、日本列島を一つにしようとした計画がこの計画である。鉄道のみならず、公園・劇場・上下水道など今日に根幹問題を視野に納めた画期的なこの計画にスポットを当て、東京駅の位置のルーツに迫る。  

●「内務省」と「外務省」―もう一つの東京駅建設計画 東京駅建築計画が進めれれた明治19年、政府内で内務省主導の市区改正計画に反対する立場をとった外務省によって、とんでもない案が出された。それは、鉄道をもう一度海寄りを貫通し「銀座」の商店街を潰して中央駅を建設するというもの。鉄道専門家に取材、立ち消えになったこの計画を詳細に紹介する。 また、当時の内務省と外務省のせめぎ合いを検証すると共に、外務省側が依頼したドイツ人建築家「エンデ」と「ベウクマン」の幻の「東京駅設計図」を紹介。実は外務省側が負けたあと、この設計図が「最高裁判所」のホール部分として流用されたいきさつを紹介する。  

●東京駅デザインの謎―日本人建築家「辰野金吾」とドイツ人建築家「バルツァー」 計画が進むに連れ、「横浜に荷物を運ぶための通過点」から「帝都のシンボル」としての東京駅へと性格が変わってゆく。この経緯を紹介すると共に、現在の東京駅の原型をデザインしたドイツ人「バルツァー」と、そのあとを引き継いだにもかかわらず、そのデザインを徹底的に否定した日本人建築家「辰野金吾」。現代建築の専門家にインタビュー、それぞれのデザインの意味を検証する。  

●時代が生んだ駅「東京駅」 東京駅の中央は実は「皇室専用入り口」だった。こういった東京駅の性格ふまえて、なぜあのようなデザインになったのか、その経緯を紹介する。 

東京駅と最高裁判所が逆だったかも、って話、好きなんだよな。

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