作品のタイトルは、「観る前の人に向けたもの」であるべきである。
※長すぎたので投稿、公開後2記事に分けました(後編)※
前回の記事のフルバージョンを8000字で公開してから、明らかに2記事分を1記事にしちゃってることに気づいたので、公開後ですが2記事に分けることにしました。
前回の記事、、「やってみてわかったこと」を「まだやってない人に伝える」のは、大変である。」書いてて出た結論、ざっくり言うと"Afterの人のマインドをBeforeの人と共有することは困難"という考え方は、作品づくりに応用できるんじゃないか…?と思ったのだ。
つまり、「つくってる人間は、初見の人の気持ちにはなかなかなれない」と同じ構造では?
そうなのだ、これが難しいのだ。
CMや映画制作でもそうだ。
こっちは企画or脚本開発から撮影、編集、仕上げまでどっぷりその映像に浸かってるから、視聴時の理解の解像度がものすごいことになっている。
1フレーム単位で編集の違いがわかるようになってるし、1db単位で音の差もわかるようになってる(少し盛りました)。
でも視聴者や観客は当然だが初見である。この隔たりが曲者だ。
CMを編集してても、こんつめて編集しきったあとに編集室のソファでわざとだらしない姿勢になって、エディターさんに「ぼーっとしてるんで突然流してください」とお願いして、ぼーっとした状態で見直すようにしている。そんときに理解がおっつかなければアウトだ。やりなおし。
脚本でも、初稿では一気に書くから観客の初見の状態に近くて、「ここはさっき描写済みだから省略できる」とかを自然に配慮できるけど、リライトするたびにその"初見感"や"一気感"が濁ってきて、観客が初見で一気見したときの感覚から離れてしまうことが多い。
コツコツ時間かけてつくる作者は"その作品を初見で一気に観る観客"には永遠になれない。
「その作品を初見で一気に観る観客のことを考えて書くのだ」というような、前回の記事で言うところの"ふりかえってまとめたことば"を聞いたところで、これは経験と実感を積まないとけっこう無理ゲーだろうな。がんばります。
で、思った。これ作品のタイトルの話にも適用できそうだ。
タイトルを決めないで話を書いて、最後にタイトルつける人いますよね。
書き終わって(観終わって)具体を全て頭に入れた状態で、"ふりかえってまとめたことば"としてのタイトルをつけてることになる。
作者であり最初の読者である自分や、内容を知っている関係者にとっては「これ以外ない!」っていう納得度が高いタイトルに思えるだろう。
でも、具体的な内容を未体験な初見の、というか観る前の観客にとっても、それはベストと言えるだろうか?
タイトルには、この作品はこういう作品であった。ふむふむ。という"ふりかえってまとめたタイトル"と、
この作品はこういう作品なんだろうな。みたい!という"見る前の期待値を上げるタイトル"があるんではないか。(当たり前だったらすんません)
「観たくなるか」と「作品の内容をあらわせてるか」という2軸で考えてわかりやすく邦画の4作品でマッピングしてみる。
これは完全なる僕の独断と偏見の、個人的なマッピングである。
マジで独断と偏見です。先に謝っておきます。すいません。
もう一度謝ります。すいません。
「淵に立つ」と「あん」は観てないんです。
観なきゃだし観たいと思ってるんですが、どうしてもタイトルで食わず嫌いしてるんです。だって観たくならないんだもん…ううう。すいません。観ます。
観る前の人にとっても観たくなるシズルがあるし、観たあとにあらためて考えてもこのタイトルが正しいと思える、というのが良いタイトルとしよう。
観たくなるかどうかは趣味趣向好みに大きく左右されるが、ここでは僕の趣味趣向でいってみる。
「日本沈没」
観る前…日本が沈没する話!?観たい!
観た後…日本が沈没する話だった!
「世界の中心で、愛をさけぶ」
観る前…世界の中心で愛をさけぶのかぁ。観たい。
観た後…世界の中心で愛をさけんではいたっぽいけど、忘れられない思春期の悲恋の話だよね。
「淵に立つ」
観る前…淵に立つのか。へー。
観た後…うん、たしかにこれは「淵に立つ」という話だった。(※推測です)
「あん」
観る前…あん?何?
観た後…うん、たしかにつまるところこの話は「あん」だな。(※推測です)
つまり。
観てよかった、って関係者が思ったなら。
観たあとに納得度が高いだけではなくて、なおかつ観る前の人がもっと観たくなるようなタイトルまで高めた方が結果観てくれる人は増えるはずだし、それを考えてタイトルはつけた方がいいよね、ということだ。
この基準に照らし合わせて、
内容をあらわしてて正しいし、観たくなる度も高いタイトルを○
内容をあらわしてて正しいけど観たくなる度が低いタイトルを☓
として、個人的に「このタイトルはいい悪い」を感じてた具体例をだーっと並べてみます。洋邦混ざってるけど気にせずにお願いします。
日本沈没○
時をかける少女○
太陽を盗んだ男○
県警対組織暴力○
ゴジラvs怪獣名○
君の名は。△
ウォーターボーイズ○
天空の城ラピュタ○
もののけ姫○
魔女の宅急便○
千と千尋の神隠し○
風立ちぬ☓
攻殻機動隊○
イノセンス☓
七人の侍○
乱○
夢△
天国と地獄△
まあだだよ☓
どですかでん☓
バック・トゥ・ザ・フューチャー○
スター・ウォーズ○
ホーム・アローン○
ライオン・キング○
ミッション・インポッシブル○
ゴーストバスターズ○
ジュラシック・パーク○
その男、凶暴につき○
キッズ・リターン○
ソナチネ☓
トイ・ストーリー○
世界の中心で、愛を叫ぶ△
GO△
滝を見に行く△
余命1ヶ月の花嫁◯
淵に立つ☓
あん☓
ふむふむ。
いやまぁふむふむでしかないんですけど。おおいに、主観ですね。
じゃあベストなタイトルはどうつけたらいいのか考えて、
良い映画と言われる基準を持ってきてみる。
映画はmovie、だから行動(動詞)で表現せよという話と、
映画は人間を描くものである、という話と、
映画はビジュアルで表現せよ、という話を組み合わせてみる。
ビジュアルはシチュエーションでもよしとする。
人物と行動とビジュアルを感じさせるものがいいよね、と乱暴に。
○をつけたタイトルがどの要素を満たしているか考える。
日本沈没○…ビジュアル
時をかける少女○…行動、人物
太陽を盗んだ男○…行動、人物
県警対組織暴力○…人物、ビジュアル
ゴジラvs怪獣名○…人物、ビジュアル
ウォーターボーイズ○…人物、ビジュアル
天空の城ラピュタ○…ビジュアル
もののけ姫○…人物、ビジュアル
魔女の宅急便○…行動、人物、ビジュアル
千と千尋の神隠し○…行動、ビジュアル
攻殻機動隊○…行動、ビジュアル
七人の侍○…行動、人物、ビジュアル
乱○…行動、ビジュアル
バック・トゥ・ザ・フューチャー○…行動、ビジュアル
スター・ウォーズ○…行動、ビジュアル
ホーム・アローン○…ビジュアル
ライオン・キング○…人物
ミッション・インポッシブル○…ビジュアル
ゴーストバスターズ○…行動、人物、ビジュアル
ジュラシック・パーク○…人物、ビジュアル
その男、凶暴につき○…人物、行動
キッズ・リターン○…人物、行動
トイ・ストーリー○…人物、ビジュアル
出ました。殿堂入り。
魔女の宅急便
七人の侍
ゴーストバスターズ
あ、これ全部職業名的なもん入ってる。職業名は行動とそれにともなう人物像をある程度規定できるから、便利だな。
宅急便…誰かになにかを届ける人
機動隊…なんか武装して悪いやつと戦う人
侍…剣で戦う人
ゴーストバスター…ゴーストを倒す人
もっと噛み砕くと、○○ラーってことか。
デリバラー、ソードバトラー、ゴーストバスター。
○○ラーは、行動と、それをする人という意味を込められるから便利だ。
じゃあ、「ターミネーター」も殿堂入りですね。さすがキャメロン!
この理屈をまとめると、人物と行動を期待させる「○○ラー型タイトル」が最強ということになる。
○○ラーが何を○○するのかは、職業名でもかまわない。
ここまで書いて「攻殻機動隊」と「七人の侍」はちょっと惜しいと思い直したので、以下の2つを暫定最強タイトルとします。
「ゴーストバスターズ」
人物…バスターする人
行動…ぶっ倒す
ビジュアル…ゴースト
「魔女の宅急便」
人物…魔女/デリバリーする人
行動…なにかを誰かに届ける
ビジュアル…魔女
それでいうと「トラック野郎」とかもすごい優れたタイトルということになる。実際そうだと思う。
ちょっと強引かもしれないけど、今回はそういうことにしておこう。
あ、拙作「東京彗星」は殿堂入りならず…。
人物が見えませんね。でも人物は出てきますよ。
こうすると物語という意味では小説と映画の違いはどうすんだということにもなるのだが、当然そこはビジュアルがあるかないか、という話である。つまり映画のタイトルはビジュアルが浮かぶ方がいいということだ。
「淵に立つ」と「あん」に僕がピンとこないのはそういうことかもしれない。
描かれる人物や行動、心情を総括するとそれが正しいのかもしれないけど、どういうビジュアルで楽しませてくれるかが想像しづらい、ということだ。
売れた小説のタイトルをそのまま映画のタイトルにしたときに、映画としての魅力的なタイトルじゃなくなるということもきっとこういう理屈で起きているはずだ。
小説は具体的なビジュアルを伴わない概念も含めての体験だが、映画は具体的なビジュアルで全て表現される。
「世界の中心で、愛をさけぶ」は小説としては最強タイトルだけど、映画にすると、え、ウルルのことかい、となって齟齬が起きてるのかもしれない。
「僕の、世界の中心は、君だ」の方が全体的に学生(人物、ビジュアル)が思いそうな言葉だし、映画的かも。大いに主観ですが。
例外はある。むしろ例外だらけだ。
・なぜか劇中の小道具的なものがタイトルになってるミュージカル
「RENT」
「グリース」
「ヘアスプレー」
・ジャンル名そのものがタイトル
「クリフハンガー」
「ジュブナイル」
「ハイスクール・ミュージカル」
・そもそも個人名がそのままタイトルになってる
「ロッキー」
「バーフバリ」
「レオン」
「古畑任三郎」
「半沢直樹」
・人物も行動もビジュアルも説明できてるが長くてピンと来ない
「空へ-救いの翼RESCUE WING-」
「S-最後の警官-奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE」
・言葉自体が美しい/かっこいい
「遥かな時代の階段を」
「俺たちに明日はない」
「時計じかけのオレンジ」
・それだけで結末まで言っちゃってる
「8年越しの花嫁」
これやりはじめるとキリがない。
キリがないので、最初に合体記事をアップしたときはここから強引に"Afterの人のマインドをBeforeの人と共有することは困難"という前記事の結論に結びつけてシメていたのだが、そんなことを書いてるわりに、じゃあ新人教育の話と映画のタイトルの話しがいっしょくたになった記事のタイトルとして、「やってみてわかったこと」を「まだやってない人に伝える」のは、大変である。」で正しいかというと、違うやろと考え直して、2日後に2記事に分けて再アップした後半が本記事である。
「やってみてわかったこと」を「まだやってない人に伝える」のは、大変である。」というタイトルを読んで期待した人に、4000字近く過ぎてから映画のタイトルの話までしても、それこそ"ぽかーん"であることにあとから気づいたのだ。
前回の記事から発展させて得た別の結論"映画のタイトルは、「観る前の人が作中の行動、人物、ビジュアルを想像し期待できるもの」であるべきである。"という結論を応用して、じゃあこのnoteにおいて正しいタイトルとはなにかって考え直したとき。
"noteのタイトルは「読む前の人が記事の結論、根拠、モチーフを想像し期待できるもの」であるべきである"と思い至った。
ゆえに、この記事のタイトルはあらためてこうなったのであーる。
「作品のタイトルは、「観る前の人に向けたもの」であるべきである。」
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