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公衆衛生としての宗教【連載】人を右と左に分ける3つの価値観 ―進化心理学からの視座―

※本記事は連載で、全体の目次はこちらになります。第1回から読む方はこちらです。

 宗教には、共同体意識を強めたり性生活を制限する役割だけでなく、病気から身を守る習慣や規則も豊富に含まれています。例えば、ユダヤ教とキリスト教の正典である『旧約聖書』に書かれているモーセの律法には、現代の公衆衛生の観点から見ても、病気の広がりを抑えるために有効なノウハウが詰まっています(注22)。たとえば、この律法は病気が流行していた当時の肥沃な三日月地域(ペルシア湾からシリアを経てパレスチナ、エジプトに至る地域)で「ユダヤ人の聖職者は手を洗わなければならない」と宣言しただけでなく、次のようなことを信者に説いています。

・安息日(毎土曜日)の入浴
・血、糞、膿、精液などの体液に触れた場合は、清掃の儀式を行なうこと
・皿と食器は使用後に熱湯に沈めること
・戦利品を分配する際には、高熱に耐える物体(金、銀、銅、錫でできたもの)は炎を通す(つまり、高温で消毒する)こと
・火に耐えないものは「清めの水」(水、灰、動物の脂を混ぜたもので、古典的な石鹸のレシピ)で洗うこと
・井戸にふたをすること(害獣や昆虫の侵入を防ぐのに有効)
・ハンセン病その他の皮膚病の人々を隔離し、地域社会で感染が収まらなければ衣服を焼くこと
・死体は腐敗の前に迅速に埋葬すること
・自然に死んだ(病気で倒れたのかもしれない)動物の肉は食べないこと。また、二日(悪臭がしはじめるギリギリの日数)前より古い肉を食べないこと
・豚肉(旋毛虫病、回虫による寄生虫病の原因)と貝(汚染物質を凝縮する濾過摂取動物)を食べるのを避けること
・息子を割礼すること(細菌は陰茎包皮の下に集まることがあるため、それを取り除けば性感染症の広がりを抑えられると信じられている)
・親には娘が売春婦になることを許さないよう忠告すること
・結婚前の性行為、姦通、男性の同性愛、獣姦はすべて、禁止しないが思いとどまること

 このように、モーセの律法に含まれている衛生の知識は、現代的な視点で見てみても驚くべきもので、人類が病原菌を発見するよりはるか昔に、すでに潜在的な感染源は目に見えず、ほんのわずかな体の接触でも広がることを暗示しています。そして、これらに対して手洗い、入浴、火による殺菌、煮沸、石鹸、隔離、体毛除去、爪の手入れまで、あらゆる効果的な手段を推奨したり、義務付けているのです。これらの教えに従わない者を、神は「高熱」、「エジプトの腫物」、「疥癬と皮癬」、「狂気と盲目」で罰するとモーセの律法は明言しています。
 モーセの律法に含まれる「清潔は敬神に次ぐ美徳」という格言は、その後キリスト教とイスラム教によって受け継がれました。たとえば、肉体の清めはキリスト教の洗礼、イスラム教のウドゥ(礼拝の前に体の一部を洗う儀式)などの儀式に取り込まれています。これとは独立して発達したヒンドゥー教も、同じように祈りの前の入浴や体の汚れに関する心配、他人の物や体に触れる際の規則を豊富に含んでいます。たとえば左手は不浄の手とされトイレで使うことから、他人や食べものを触ってはいけないとされています。
 日本の神社でも、神に参拝する前に流れる水によって手と口を清める作法(手水)があります。これは、川や海の水の浄化力により、心と体の穢れを取り去る「禊(みそぎ)」という儀礼が簡略化されたものです。

 なぜ主要な宗教には、病原菌などの寄生生物の感染拡大を食い止めるような決まり事がたくさん含まれているのか、と疑問に思われるかもしれませんが、これにはある程度必然性があると考えられます。というのも、優れた公衆衛生パッケージを規則として備えた宗教の信者は、その時代の数ある宗教の中で、感染症にかかりにくく生き延びやすかったために、それが最も強力なミーム(文化遺伝子)として生き延びてきたという側面もあるからです。
 先ほど、気温が高い地域に住んでいる集団では、こういった病原体負荷が高いことから、内向きで性道徳が厳しい集団主義的な共同体を形成する傾向にあることを紹介しました。実際に、米国を見てみても北部ほどリベラルで個人主義的な文化が多い一方、南部は保守的な文化が多い傾向にあります。
 ヨーロッパでも、ローマ教皇をトップとした強い一本集権性を持つ伝統主義的なカトリックは南側諸国で信者が多いのに対して、個人主義的で聖書を自分なりに解釈し主体的に行動すべきだと考えるプロテスタントは、北側諸国に多い傾向にあります。
 イスラム教でも、保守的で血統を何よりも重視する「スンニ派」の信者の多いサウジアラビアなどの国は南側に位置しています。イスラムの理想的な社会作りのためには暴力すら容認し、世界各国でテロを起こしてきたイスラム過激派のISIL(イラク・レバントのイスラム国)は、このスンニ派の極右団体です。これに対して、宗教的存在を絵にすることへのタブーも緩い、ややリベラル寄りの「シーア派」はサウジアラビアよりも、やや北側に位置するイランを盟主としています。
 仏教でも、それまでの決まり事や伝統を守り、辛い修行をした人だけが救われるという厳格な考えの「小乗仏教」は、ミャンマー、タイ、スリランカ、カンボジア、ラオスなど東アジアの南側の国に多くの信者がいます。これに対して、厳しい修行を重ねてきた人だけでなく、あらゆる人を救うという寛大な考えを持った「大乗仏教」は、日本をはじめとしてネパール、ベトナム、ブータン、チャイナ、朝鮮など、東アジアの比較的北に位置する国で多くの人に支持され広まっています。

注22. John Durant, The Paleo Manifesto: Ancient Wisdom for Lifelong Health (Harmony, 2013), Chapter 4.

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