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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その三 おりつの一件始末 2

「あのような取調べでよろしかったでしょうか、中村さま」

 物書部屋に戻って、清次郎に尋ねた。

 寺役人の見習として三月(みつき)ほど過ぎた。

 霜月である。手先が冷たい。部屋には火鉢が入れられ、宋左衛門は手を炙りながら書き物をしている。

 嘉平が女が駆け込んできたと報せにきたとき、父から、そろそろ惣太郎も調べをしてみろと言われ、おりつを取調べた。

 初めての取調べだけでも緊張するのだが、後ろで清次郎が見ているのかと思うと殊更緊張して、冬というのに手の平がじんわりと湿っていた。

 おりつも緊張していたが、惣太郎はさらに緊張していたのである。

 惣太郎は、清次郎から、ひとこと、ふたこと小言をいわれることを覚悟していた。

 実際、清次郎はふたつほど注意した。が、あとはおおむね結構だという。

 惣太郎は大役を終えて、ほっと胸を撫で下ろした。

 清次郎でよかった。これが寺社奉行の用人御手洗主水であったら、鰻の蒲焼の如く、身体にたれをべっとり、ねっちょりと塗られ、炭火のうえでじりじりと燻るように責められるだろう。

 その点、厳しいが、はっきり、すっぱりと言ってくれる清次郎のほうが、こちらとしてもありがたいのである。

 清次郎は、珍しく笑みを零し、

「惣太郎さんは、なかなか筋がよろしい。これなら、安心して任せられます。このお役、向いているのかもしれませんよ」

 と、言った。

「私がですか。そうですかね」

 自分ほど寺役が似合わない者はいないと、惣太郎は自負している。

 おりつの身の上を聞き出すだけで一苦労。あの女はまだ素直に話してくれたが、自分の親ほどの年の女を相手にしなければならないこともあろう、そんなとき、こんな若造に素直に夫婦のことなど話してくれるのか。

 それだけではない、ひと癖もふた癖もある亭主やその関係者から話を聞きだしたり、ときに説き伏せたりできるのか。

 おみね、おけい、おはまと3人の女の駆け込みを見てきたが、到底父や清次郎のように上手く事を処理できそうにない。

 特に、おはまの一件では、それを痛感させられた。

 自分が担当者だったら、お役御免を出しているところだろう。

 が、父は、あの事件を忘れたかのように、けろっとしている。風邪で数日寝込んでいたが ―― 本当はふて寝をしていたのだが、床から出ると、普段と変わらずお役に励んでいる。

 逆に、

『うむ、あの一件で、重荷を下ろすことができた。これで、心置きなくお役を退くことができるわい』

 と、喜んでいた。

 清次郎も、何事もなかったように働き、新兵衛でさえ、腕の傷が癒えると、はてどこに刀傷があったろかというほど元気に腕を振り回していた。

『立木殿、このお役では忘れることが一番重要です。でないと、次から次へと女が駆け込んでくる、寺自体の仕事もある、いちいち前の女の一件を気にしていたら、仕事になりませんよ』と、新兵衛は言う、『立木さまも、中村さんも、もうすっかり忘れてますよ』

 だとすると、なかなか忘れることのできない自分は、このお役に向いていないと思うのだが………………

「あまり女に深入りせぬことです。でないと、女に情が移って、正しい判断ができなくなります。女が嘘をついていると見抜けないこともありますからね。あのぐらい、突き放した調べ方のほうがいいのです」

「はあ、確かに。しかし、女の涙を見ると、どうもその……」

「惣太郎殿、騙されてはなりません。女と言う生き物は、平気で嘘涙を流しますから。顔で泣いて、心で舌を出しているなんて、ざらです。私は、そういう女をたくさん見てきましたから。そういう女を見ていると、本当にこのお役が嫌になりますよ」

「だから、中村さまはこのお役が嫌いなんですか」

「ええ、嫌いです」

 相変わらずはっきりと物を言う人だ。

 そっと父を見ると、聞えなかったように書き物を続けていた。

「では、おりつの取調べを整えて、おりつの父親……勝五郎でしかた、それを呼び出しましょう」

 おりつの身元調べを紙に書きとめ、勝五郎あての呼状を書いた。

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