【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 後編 6
難波に行った群臣の半数が飛鳥に戻って来た頃、弟成は同年代の少年たちとともに、斑鳩寺が所有している馬の世話をすることとなった。
もちろん、黒万呂も他の少年たちに漏れず、この仕事を仰せつかった。
馬の世話といっても、馬は大変神経質な動物なので、その世話には専門職の者がおり、弟成たちが馬に直接携わることはない。
彼らの仕事は、その専門職の下働き、要は雑用係りであった。
彼らは、日もまだ開け切らぬ頃から叩き起こされ、厩に飼葉を運び入れた。
が、10代前半の子供にとって、早起きは辛い。
特にそれが、岩場から湧き出る水も、そのままの形で凍てつくような朝などは、夜具から抜け出したくはない。
ただでさえ、板間から吹き付ける風と寒さ凌ぎにもならない薄っぺらな夜具の中である。
足や指先が冷たくて寝られたものではない。
一晩中、震えて、眠れないこともある。
それでも、明け方近くになって、ようやくうとうととしてくるのだが、半時も目を瞑らないうちに起こされるのである。
彼らは、重い体を夜具から引きずり出すのだが、あまりの寒さに、また夜具の中に潜り込む。
薄っぺらい夜具でも、ないよりは増しだ。
が、起きずにのろのろしていると、決まって厩長(うまやのおさ)から、2、3発お見舞いされるのであった。
彼らは、身支度を整え外に出る。
空には、まだ星が瞬いている。
その星も、まるで凍っているようだ。
少年たちは、パンパンに膨らんだ両手に白い息を吹きかける。
1回、2回………………まだ、動かない。
3回、4回………………一寸動くようになったかな?
5回、6回………………何度も息を吹きかける。
そして、10回目でようやく指先が曲がるようになる。
と言っても、霜焼けで膨らんだ指は、いつもの半分も曲がらない。
霜焼けが破れて、赤身が痛々しい。
中には、赤身を通り過ごして、傷口が黒ずんだ少年もいる。
彼らは、僅かに動き出した両手を擦り合わせながら、飼葉小屋に入って行く。
寒かろうが、眠たかろうが、彼らは、文句は言わない。
いや、文句は言えない。
言えば、2、3発では済まされない。
一日中、木に括られて飯抜きということだってある。
それでも、お仕置きだけで済めばいいが、間違ってここを放り出されたら、彼は生きていくことができなかった。
まだ、飯が食えるだけましだ。
寺奴婢だから、仕事を我慢してやっていれば、衣食住は最低限保障されていた。
これが普通の民だったら、毎日が生死との戦いであっただろう。
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