【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 後編 10
南門の前では、くじ引きで選ばれた家人たちが、家族と別れを惜しんでいた。
派遣される家人は、草衣之馬手(くさころものうまて)・凡波多(おおしのはた)・犬甘弓削(いぬかいのゆげ)・三山次麻呂(みやまのつぎまろ)・孔王部小徳(あなおうべのしょうとこ)・孔王部宇志麻呂(あなおうべのうしまろ)・物部百足(もののべのむかで)・物部鳥(もののべのとり)の8名である。
そして、黒万呂も家族と涙の別れをしていた。
「黒万呂、必ず帰って来いや、無理はあかんで。何かあったら、すぐ逃げるんやで」
「母ちゃん、そげいなこと言うても、俺だけ逃げられんやろ。大丈夫やて、俺らは荷方やから、戦には出んのやから、必ず帰って来るって」
当初こそ、くじ引きに当って呆然としていた黒万呂だったが、仕事が荷方だと聞いてからは、いつものごとく明るく頼りがいのある彼に戻っていた。
「父ちゃん、もう年やから、あんまり無理せんとな。それから、倉人万呂、若万呂、俺の分まで父ちゃんと母ちゃんの手伝いすんのやで」
「兄ちゃん……」
「そげぇな情けない声だすな。母ちゃんが心配するやろ」
黒万呂の家族の隣では、弟成の家族が別れを惜しんでいた。
「母ちゃん、しばらくの別れやけど、元気でな。必ず帰って来るからな」
弟成は、黒女を悲しませまいとそんなことを言ったが、帰って来れる保障など何処にもない。
が、息子の無事を信じる母親には、それは残酷な現実である。
黒女は涙を流して、ただ、うん、うんと頷いている ―― それ以上は、言葉にはならなかった。
「姉ちゃん、忍人義兄と幸せにな」
「弟成、あんた……」
雪女も涙を流している。
場の雰囲気を察したのか、彼女の胸の廣女も先程から大声を上げて泣いていた。
「弟成……、おれは……」
忍人が何か言おうとしたが、弟成はそれを制した。
「義兄さん、大丈夫やって。俺は必ず戻って来るから、気にせんといていな。それに、義兄さんは、姉ちゃんにも、廣女にも大事な人やからな。俺には……、もう、そんな人もおらへんし」
「弟成……」
忍人は、弟成をぐっと抱き締めた。
弟成も、彼を抱き返した。
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