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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 後編 13

 廣女を初めて抱いた帰り、彼の手の中には、まだ彼女の匂いが仄かに残っていた。

 彼は、そこに彼女がいるかのごとく抱きかかえる格好をした。

 ―― こんな風だったかな?

 初めての経験は、彼に人の不思議さを味合わせていた。

 あんな大きなものが、雪女のような細い体の中から出てくるのだから。

 そして、あんな小さな子供が大きくなっていくのだから。

 やがて、死を迎えるのだから。

 それは、彼に人生を学ばせるに十分な経験であった。

「如何したん、こんな所で?」

 声を掛けてきたのは稲女(いねめ)であった。

 不意のことに、弟成は自分の格好が恥ずかしくなった。

「いや、その、雪女姉ちゃんところに廣女を見て来たところやねん」

「そうなん? ええな、うちも見たかったな。ねえ、可愛かったやろ」

 稲女の輝いている目を、弟成は見ていられなかった。

 彼は、彼女の目を見ずに歩き出す。

 稲女も、彼の後ろに続く。

「うん、まあ……」

「そうか……、ねえ、抱かせてもろうた?」

 弟成は返事をする代わりに頷いた。

「ええな、うちも抱きたいな」

「稲女って、子供好きなん?」

 弟成は、何気に聞いてみた。

「もちろん好きや! めっちゃ好き! うちも早く生みたいもん」

 弟成は、振り返って笑顔の彼女を見た。

 が、それは単に、彼がそうしたかっただけで、深い意味はない。

 しかし、稲女は、自分の言った言葉が変に取られたのかと思って、真赤になって俯いてしまった。

「稲女って、笑うと可愛いよね」

 彼はそう言うと、再び歩き出した。

 男は、無責任な言葉を容易に発するものである。

 稲女は、真赤な顔を、ますます赤くさせて彼に付いて行った。

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