【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その三 おりつの一件始末 4
母と由利が、父たちの御八つにと焼き芋を持っていくと、やえと二人っきりになった惣太郎は、微妙な沈黙に耐えがたく、これ以上自分のことが話題になるのも困るので、こうなったら物のついでだと、気になっていたことをそれとなく聞いてみた。
「やえさまは子を生んで、夫婦仲が変わりましたか」
惣太郎の質問の意味が分からず、やえは首を傾げた。
「それは、どういうことでしょう。うちのが何か申しておりましたか」
惣太郎は慌てて否定した。女は鋭い。
「いえ、そうではありません。その……、本日おりつという女が駆け込んできたのですが……」
と、話を逸らし、子のいる夫婦と、子のない夫婦というは違うものだろうか、女としてどう思っているのか訊いてみたかったと語った。
惣太郎には、いまいち子のない親の気持ちが分かりかねた。確かに、惣太郎もいつかは所帯を持って、子を持つことになるだろう。息子が生まれなければ、立木家の跡取りはどうなるのだと悩むかもしれない。まだ、その立場にないだけに、それほどの焦燥感も、現実味もない。
ただ、女の子であれば、婿養子をとればいいだけだし、子ができなければ、養子をもらえばいいと思う。
それでは駄目なのだろうかと、惣太郎は思っている。
親というのは、それほど生んだ子に拘るのだろうか。
「まだ子どもどころか、嫁もいませんので、そういうところがちょっと分からないものですから」
「だったら、早くお嫁さんをもらわれるべきですわ。うちの……」
と、また話が戻りそうだったので、
「いえいえ、その話はまたいずれ。いまは、女として心持ちということで」
「そうですね……」と、丸っこい頬に手をあてがい、しばらく考えた、「やはり違いますね。子を生むと、女として強くなれるというか、何でもどんとこいといった感じなりますね。それに、ようやく一人前になったような気がします」
「子を生んでですか」
「やはり世間では、女の役目は子を生むためなんて目がありますからね。子どもがないうちは、やはりどこか宙ぶらりんで、自分が女じゃないような気もするものです。それで、焦るというか、心が荒ぶというか、やりきれなくなるんですよね」
「はあ、なるほど、なるほど。それは、男には分からないことですな」
やえはにこりと微笑む。
「子を生まないと、やはりそれほど神経を使いますか」
「当然ですよ、針のむしろです。とくに跡取りを待ち望んでいるとなると。そのおりつさんという人は、相当まいっていると思いますよ。そういうときに、亭主が味方についてくれればいいんですが、他所に女を作ったなんてなれば……、全く男っていうは、こっちが苦労してるのに、全然分かってないんだから」
それはおりつの亭主に怒っているのだろうか、それとも自分の亭主に?
惣太郎が唖然と見ていると、やえは自分の言ったことに気がつき、赤面した。
「あら、こんなこと、惣太郎さん、すませんね」
「いえいえ、大変ありがとうございます」
「でも、惣太郎さんみたいに、少しでも女の気持ちを分かろうと努力なさってくれるのは素晴らしいことですわ」
「そうですか」
「そうですとも、世の殿方というのは、本当に女の気持ちを知らないし、分かろうともしないんだから。全く、本当に……」
また怪しい雰囲気になったので、惣太郎は早々に役所に退散した。
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