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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 6

 新兵衛に連れて行かれたのは、南町奉行所であった。

 何ゆえ敵地にと思ったが、

「寺社奉行所と町奉行所が反目していると同じように、南と北も競り合っているのですよ」

 と、新兵衛は教えてくれた。

 紹介されたのは、神田界隈を受け持つ同心本多源五郎(ほんだげんごろう)である。

 鼻をじゅくじゅくと言わせながら、

「どうも、お待たせしまして」

 と、挨拶した。

「本多さんとは飲み仲間でね。江戸に来たときは、ちょくちょく遊びにきてるんだよ」

「磯野さん、どう、今夜辺り」

「いいですね」

 と、2人で盛り上がっている。

 このままだと、そのまま飲みに行きそうなので、話しを遮り、ここに来た理由(わけ)を説明した。

 源五郎は、手鼻でちゅんとやってから、

「北町の大澤ですね。あいつには、こちらも迷惑させられているんですよ」

 と、本当に迷惑そうに言った。

「強請(ゆす)り、集(たか)りなんてあたりまえですからね。十手を預けているやつらも最低で、何かあればすぐに町方の名を出して、美味しい思いをしているようです」

 政吉、そして寅吉と名乗った男のことだなと思った。

「南町で板橋を受け持っている木下という同心がいるんですが、いつもぶつかってますよ。まあ、大澤は北町でも鼻摘みものでね、この前寺社方と揉めて謹慎になったときは、これでやつも年貢の納め時かなんて皆で言ってたんですが、やつめ、しぶとく戻ってきやがって」

「その大澤ですが、最近本田さんの受け場に姿を現してるなんて聞いたんですが」

「そうなんだよ、磯野さん。霜月の初め頃からかな。やつが謹慎中にだよ。神田で十手を預けている巳之助(みのすけ)っていうのがいるんですが、そいつから大澤のやつがちょくちょく顔を見せるって聞いてね、何してるんだと探らせたんだよ。そしたら、女の家にしけこんでるっていうじゃないかですか。どんな女だと聞いたら、何でも最近越してきた女とか。名は、おかるというんですが、なんと亭主持じゃないですか。こっちも驚きです」

「不義ですか」

「まあ、そうなんでしょうが、そこがどうも分からねぇんだよな」

 源五郎は頭をぼりぼりと掻く。

「何か、あるんですか」

「いや、その亭主、名を文吉(ぶんきち)っていうんですが、大工の見習いで、年はまだ20そこそこだ。一方のおかるっていうのが30過ぎ、姉さん女房にしては、年が離れすぎてないですか。それに、文吉と大澤が話しているのも見かけたっていうんですから、知らない仲じゃない。これは何かありそうだと、それとなく探りをいれている最中なんです」

「さすがは本多さんだ。手際がいいね。実はだ……」

 新兵衛は、源五郎におはまの件を語った。

「なるほど、そいつは面白い。もしおかるが、そのおはまという女であれば、これには途轍もない陰謀があると思っていいわけですね。それを暴けば、今度こそ大澤もお陀仏だ。早速、現場にいってみますか」

 惣太郎は頷いた。

 おかるという女は、神田佐久間町の長屋に住んでいた。

 惣太郎たちが現場についたときには、戸はきっちりと閉められていた。

 井戸端では、女たちが夕餉の準備に追われている。

 巳之助の話では、その中におかるという女はいないという。

「ということは、長屋の中か。おそらく、女も夕飯の準備で顔を出すと思いますが……」

 そう言っているうちに、ひとりの女が釜を抱えて顔を出した。

「あれです、あれがおかるです」

 巳之助の言葉に、よくよく目を凝らす。

「いかがです、おはまという女ですか」

 源五郎は訊くが、何とも言えない。

 正直、惣太郎がおはまを見たのは、庫裡の土間で飯の準備をしていたときの1回だけ、しかも遠目にちらりとだったので、詳しい特徴までは覚えてはいない。ただ年齢の割りに若々しい印象だったが、おかるにも妙な初々しさがあった。

 おかるは、井戸端の奥さん連中と談笑している。かなり打ち解けているようだ。

「う~ん、どうでしょう、私は一度しかはまを見たことがありませんので……。磯野さまはどうですか」

「どうだろう、私もあまり見たことがないので、そう言われればそうだし、そうでないと言えばそうでないし……、聊か決めかねますな。何かこう……大きな特徴があればいいのですが、目の下に黒子があったとか、首筋や腕に痣があるとか」

「確か、目立った特長はなかったですね。一番おはまを知っているのは、父上なんですが……」

「では、お父上様にご足労願いましょうか」

 それが善いということになって、惣太郎は事の次第と御足労願う趣旨のことを父に書き送った。

 父からはすぐに返事がきた。

 大変驚いた様子で、すぐにでも御府内に向かうという。

 父がこちらに来るまでの間、新兵衛は江戸来訪の本来の目的を果たすべく動き、惣太郎は女の詳しい素性を調べ、その動向を把握するために、南町の源五郎の手を借りて、おかるを見張った。

 巳之助が仕入れてきた話しでは、

「大家が言うには、北町の旦那の紹介だったので、間違いないだろうと思って入居を許したとのことです。それ以前は品川辺りで暮らしていたと聞いているそうです。暮らし始めて一月(ひとつき)ちょいですが、特に問題を起こすこともなく、古い住民とも仔細なく生活しているようです」

 とのこと、さらに亭主の文吉については、

「頭領に聞いたんですが、やはり北町の旦那からの頼みだったので、入れてやったそうです。ただ、以前は違う仕事をやっていたようで、腕のほうはまだまだのようです。ですが、人当たりは良く、仕事も熱心らしくて、仲間からも文句はでてないそうです」

 と、語った。

「特に何か、変わった話はありませんか」

「ありますよ、少々下種な話になりますが」と断った上で、巳之助は出っ張った頬を窮屈そうに歪めてにやりと笑い、話し出した、「長屋のおかみさん連中の話ですが、北町の旦那とおかるは確かにできてるらしいですぜ。亭主が留守のときに、北町の旦那がよくやってきて、長いことおかると2人っきりでいるとか。何せ、壁の薄いのが長屋の特徴ですからね、隣のやってる音が聞えてくるって、おかみさん方、笑ってましたよ。若い亭主に、渋い中年男と、ふたりの世話になって羨ましいことだと言ってましたがね」

 こっちが赤面するような話だ。

「兎も角、もうしばらく見張ってもらえますか。父が来れば、すべてがはっきりしますので、お願いします」

 惣太郎は頭を下げ、さらにこれで何か美味いものでもと、岡っ引きの袂に落とした。

「こいつはどうも。へい、いつまでも見張っておりますので。その他にも、何かありましら言いつけてくださいまし」

 巳之助は、殊更機嫌が良くなった。

 実のところ、それは新兵衛から言われたことである。ほんの少しでも包むと、相手の働きが違うと。惣太郎は、そんなに違うものかと疑っていたが、新兵衛の言ったとおりであった。

 人というは、実に素直である。

 あとは巳之助に任せて、惣太郎は奉行所へと戻ることにした。

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