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生まれは東北。現在は関東のお山。31歳。某団体職員。小学1年生の娘と3つ上の夫と3人暮…

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生まれは東北。現在は関東のお山。31歳。某団体職員。小学1年生の娘と3つ上の夫と3人暮らし。みんな違ってみんないい(金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」)がモットー。仕事と子育ての両立難しいと気づいたら適応障害。5月末からゆっくり復帰中。

最近の記事

人生休憩明け記録-4-『小1のムスメの強い心。親としての使命とは』

梅雨にも入っていないのに毎日30℃超えの日々。 夏にも入っていないのに、夏バテ気味。 暑すぎるのは苦手だが、かと言って天気が悪いと、何かあった訳ではないのに気分が沈む。これはADHDなのか適応障害なのかわからないが、天気に左右されてしまう自分に少し悔しくなる。  chatGPTに、「私はADHDです。今日は雨で気分が沈んでます。と話しかけてみると的確なアドバイスが返ってきて少し感動をした。今日この頃。 娘の最近… 6月も中旬となり、小1の娘もだいぶ一年生として慣れたが、

    • 人生休憩明け記録-3-『置かれた場所で咲くべきか否か』

      5月を過ぎてくると、暑さがだんだんと厳しくなり、日焼け止めを買ってはどこかに収納し、忘れて買い足すという…ザ・ADHDを実感する今日この頃。 適応障害となり今年の1月から4月上旬は記憶が白黒で、寝込んでいたのがだいぶ遠い記憶のようになってしまったが、物理的に仕事から離れたことによってだいぶ吹っ切れたようだ。 自分と向き合う時間を作り、心の整理ができたのが大きかったのかもしれない。 部署を異動させてもらい、業務量に関する負担も少なくなり、残業もあまりせず子どものお迎えに行

      • 人生休憩明け記録-2-『価値観の共有、喜び。』

        引っ越しから1週間が過ぎた。 我が家は、まだ食器棚やラグやそしてリビングのライトなど揃っていないものが多く、夫とまたあの家具屋へ行こうと張り切って出かけた。   前回の家具屋の記事はこちら。 いつものようにあの素敵な店主がいた。 この間はありがとね〜!ソファもう少しで九州から届くよ〜! くまさんみたいに大きい店主。笑顔はとてもキュートである。 今日は、どうしたの? 「ダイニングテーブルの上のライトがなかなか決まらず、皆で食事するところのライトはかわいいものを買いたいなと

        • 人生休憩明けの記録-1-『家具屋に行った話』

          6月に入り、 もう今年も半分が過ぎようとしている。 仕事復帰とともに、なんとも微妙なタイミングではあったが、ここ2.3日は引越しに追われていた。  時間が足りない。 なぜこんなに物がたくさんあるのか、夫婦でよくミニマリストになりたいとたまにボヤくのだが、一生無理であろう。 先日、新居に合うソファを探しに、隣県まで車を走らせとある家具屋へ家族3人で出かけた。 そちらへは実に数年ぶりの来店だ。 新居では家具や家電を一挙に揃える必要があるため、我が家のお財布はお金が次々と飛

        人生休憩明け記録-4-『小1のムスメの強い心。親としての使命とは』

          人生の休憩記録-おわり-

          『元気になった私と夫との飲み会論争勃発劇』 リハビリ出勤も少しずつ慣れて、来週からいよいよ復帰だ。 部署が異なると、私はまだまだ使い物にならない。が、そんなことなど考えるのはナンセンスだと自分に言い聞かせる。 何年も前に少し流行っていた書籍の題名、鈍感力という言葉が頭の中で何度もよぎる。 今の私には鈍感力が必要かもしれない。鈍感力を磨き、他人軸ではなく自分軸で堂々としていたい。 が、しかし、結局の自分で自分を気にしてしまっている。他人にどうこうより、自分に負けてしまっ

          人生の休憩記録-おわり-

          人生の休憩記録-15-

          『半日出勤大きな疲労感。大義名分を考えた一日。』 リハビリ出勤と称して、最初の1週間は週3回午前だけ。次の週は週3回をフルで出勤することに。 やっぱり空白の3ヶ月が大きく影響。初日は半日と言っても部署が異動となり、机の整理をしたりして特に仕事らしい仕事はせず終わったにも関わらず、帰宅後昼食も取らずソファで気がついたら目を閉じていた。そこから2時間爆睡だった。 復帰後おかえりと言ってくれ、無理しないでだとか、気を遣ってくれるひともいて、あぁ帰ってきたんだなとも思いつつ。

          人生の休憩記録-15-

          人生の休憩記録-14-

          「最後の公園。足取りが重かった復帰に向けての挨拶。」 今日も夫と散歩行かない行けの茶番をしながら、娘を見送り公園へ。 実は、朝活のお散歩が自然と習慣化し、だんだん心も体も慣れてきた頃。 主治医からとりあえず復帰を考えてみようかと提案があった。ダメだったらダメでいいんだから、とりあえず行こうかなって感じで行ってみては?と。 鬱や適応障害の経験者からはまだ休んだ方が良い!と何度もとめられ、悩んだが、私の性格上、正直これ以上休むと戻りづらいというか戻れない気がした。 主治医も私

          人生の休憩記録-14-

          人生の休憩記録-13-

          『いつものお散歩。やっぱり私は当たり前ができない』 今年のGWは仕事から離れていることもあり、しっかり家族と休みらしい日々を送った。 休みが明けてからも、お散歩は辞めなかった。 今年は雨が多く。 毎週月曜日は雨の確率が多い。 とくに雨の日の散歩は嫌だった。 雨だし、なんだか気分乗らないし、行かなくてもいいやーなんてブツブツ話しているいつもの私。 夫は、傘さして歩けばいいじゃん。 ここまできたんだから歩きなよ。と背中を押してくれた。 毎日嫌だなーと言いながら、娘を見送

          人生の休憩記録-13-

          人生の休憩記録番外編⑥「涙の毎日、そして決意」

          上司へ、一方的な休みの電話をした私は 2.3日休みをもらうことに。 娘も発熱して看病しなければいけないのに、私も体が動かない。家事や食事も何もできない。気晴らしの読書やお笑い動画も見たくない。携帯すら触らなかった。 義母や夫の助けを借りながら娘は回復。私は仕事を休みにしたものの、小学校の入学説明会があり、それだけはなんとか出席をした。 配られる配布物。 入学準備の説明、登校班、入学までの過ごし方。 資料1ページ目で動悸がするのがわかった。 内容が全くもって入ってこな

          人生の休憩記録番外編⑥「涙の毎日、そして決意」

          人生の休憩記録番外編⑤「診断後の私。そして崩れる。」

          私はすぐに夫にADHDであることを伝えた。 夫は、この世で誰よりも、1番素でいられ、なんでも話せる私の理解者である。娘もだ。 私が感情的に怒ったり、普通のことができなかったり、この先ずっと普通の人とはズレているところと付き合っていかなければならないけれど、大丈夫?と聞いた。 夫は、「関係ないよ。俺たちは、何があったって、変わらないよ。この先も。」と言ってくれた。 相変わらず安心を与えてくれる強い存在だ。 娘はまだ6歳。診断のことは、自分でもまだADHDについて全てを理解でき

          人生の休憩記録番外編⑤「診断後の私。そして崩れる。」

          人生の休憩記録番外編④「診断結果」

          ついに診断結果の日が来た。 この日も時間休をもらいクリニックへ。 やけに風が強かった。 いつもの海外のリゾート地の風景がテレビ画面から流れる。その日はぼんやり画面を眺めていた。 いつもの臨床心理士さんが出迎えてくれた。 「風が強いですよね」 「そうですね」 その後に続く言葉を私は発さずに、荷物を置いた。 テーブルに一枚の紙が置かれる。 診断結果の紙だ。 最初にテストの結果から説明された。 最初から最後まで丁寧に質問に答えてもらったり、問題を解いていたり、取り組む姿勢が

          人生の休憩記録番外編④「診断結果」

          人生の休憩記録-12-

          『雨上がりのお散歩と先入観との戦い』 GWを、しっかり体感し、気づいたらnoteのことを頭の片隅に追いやっていたらしい。 番外編を投稿する前にここ最近のことを投稿しようと思う。 4月は雨やどんよりした天気が多く、悔しいが天候に少し振り回されることが多々あった。 それでも、歩くことは用事がない限り、平日毎朝続けることができた。 毎回思う。 めんどくさっ。 眠いなあ。 やめようかなあ。 なんてしょうもないことを考えている。 でも休養に入る際に自分で決めた。めんどくさいな。

          人生の休憩記録-12-

          人生の休憩記録番外編③「初診の日。そして休養までのカウントダウンの始まり。」

          初診の日。 内心ドキドキがすごかったが、顔は平常心を装ったガチゴチの顔だっただろう。 開設してまだ1年の新しいクリニックだ。 白を貴重として、大きい壁掛けのテレビがあり、ずっと海外の海や景色の映像が流れている。 おそらくリラックスできるようにということだろう。 私はその映像よりもメモ書きした紙をずっとみて待っていた。 昔から、自分の気持ちをすぐに言語化し相手に伝えることが苦手だ。 つい伝えたつもりになり、伝わっていないことが多い私は、仕事の時に日記がわりに使っていたノート

          人生の休憩記録番外編③「初診の日。そして休養までのカウントダウンの始まり。」

          気がついたことキロク『いつもの道、いつもの公園』

          今日はどんよりした曇り。じとっとした湿気に少し腹が立つ。 gwの最初の連休が終わり、普通の平日。 いつもの一本道。1人の中学生が道を渡ろうと待っているのに気づく。ブレーキをゆっくりかける。歩道を歩く中学生。私の車と対向車の車にお礼をしてくれる。 お辞儀が綺麗だった。歩行者優先だし、そんなことしなくて良いのにと思いながら、ありがとう。気をつけて行ってきてね。とその子の母親のように事故なく行けますようにと願った。 いつもの交番。警察官が毎朝スクワットしながら地域の安全を見守る

          気がついたことキロク『いつもの道、いつもの公園』

          人生の休憩記録番外編②「メンタルクリニック初診を迎えるまえの話」

          結婚出産を機に、私は、一旦社会を離れ、2年間育児に専念した。 ホルモンバランスが崩れ、産後は、娘が寝ているだけなのに、息してるかな?と不安になったり、一時期涙が出たりしたが、毎日夢中になり子供と過ごした。あの頃は、1日1日長く感じたが、今思うとあっという間で、貴重なかけがえのない期間だった。 その後夫の地元に住むことになり、再就職に向けて仕事を探し、今の職種に至る。 某団体職員となり、1年目は、子育てと仕事を覚えるのに必死だった。2.3年目はコロナでイレギュラーなことばか

          人生の休憩記録番外編②「メンタルクリニック初診を迎えるまえの話」

          人生の休憩記録番外編①「休養に至るまで」

          そもそも、休憩に至るまで、私は休む選択肢はなく、メンタルクリニックに通いながら治そうと考えていた。 子育てしながら土日も仕事、残業しなければ終わらない。追われる毎日。 普通の企業などに比べれば、残業も普通なんだろうが、子育てしながらは厳しい。 夫も通勤時間1時間。バリバリ働いているため、残業だって好きな時にはできない。 いくつもの事業が重なると、ありえないミスをしてしまう。これはおかしい。 そしてしまいには、結婚記念日まで忘れるくらい。 それほどまでに私は仕事に追われてい

          人生の休憩記録番外編①「休養に至るまで」