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人生の休憩記録番外編②「メンタルクリニック初診を迎えるまえの話」

結婚出産を機に、私は、一旦社会を離れ、2年間育児に専念した。
ホルモンバランスが崩れ、産後は、娘が寝ているだけなのに、息してるかな?と不安になったり、一時期涙が出たりしたが、毎日夢中になり子供と過ごした。あの頃は、1日1日長く感じたが、今思うとあっという間で、貴重なかけがえのない期間だった。

その後夫の地元に住むことになり、再就職に向けて仕事を探し、今の職種に至る。

某団体職員となり、1年目は、子育てと仕事を覚えるのに必死だった。2.3年目はコロナでイレギュラーなことばかりだったが、コロナ禍でも事業が滞りなくできるように工夫しながら事業など企画していった。ちょうど夫も転職し、私も夫も年度末、新年度、そして夏が繁忙期というのが一緒で、お迎えをどっちが行くか、残業はどうするか毎回ピリピリしていた。
夫婦のピリピリはしょうもないのだが、ピリピリしてしまうものだ。感謝を忘れがちで、ついポロッと出てしまった言葉で大げんかに発展してしまう。
夫婦喧嘩で私たち夫婦が学んだことは、言わなくてもいい言葉もプラスのことはあえて言う。ありがとうやいいね!助かる!嬉しい!これだけで、週の後半どんよりした木曜日も少しは明るくなる。

また話が逸れてしまった…。

私の職場は、まだまだ、年功序列。男性優位。残業ありきの業務量。土日出勤や夜間の出勤もあった。それでも一般企業と比べたらブラックでもないのだが、子育てと両立するにはなかなかハードルが高かった。
そして私は、繁忙期になると、確認を怠ってしまったり、ミスが多くなることは良くあった。
1度したミスは2、3度してしまうため、付箋を貼ってみたり、タスクを細かく書き出してみたりさまざまな工夫をしてみたが、なかなか改善できず、悩みの種だった。

保育園のお迎えも最後だったり、義母にお願いをしたり、娘にはよく早くお迎え来て!と言われ申し訳なかった。
子どもは大人と同じように、ちゃんと人の話していることや雰囲気を理解しているため、親が疲れていたり、気持ちが不安定になると子どもにもうつってしまう。寝顔を見ながらごめんねと言う毎日。

わたしは、子育てを理由に、仕事ができない言い訳をしたくなかった。負けたくなかった。
あの頃は、仕事に飲み込まれていた。自分の軸も歪んでいた。

4年目に差し掛かる頃。

コロナも第5類となり、さまざまな事業が復活する。また時代と共に事業が増え、業務拡大をしていくものの、人手不足のため人員は増えず。
ベテランの上司や慕っていた上司が次々と鬱や適応障害となりダウン。
そんな中で、自分が倒れる訳にはいかなかったが、正直、自分の部署の中で正規職員はわたししかおらず、パートさんへの指示出しや、事務関係をお願いしながら、あらゆる事業をこなすのがとても辛かった。
娘の保育園最後の遠足も仕事が入り、行けなかった。
人手不足、繁忙期、子供の発熱。子供との時間。少しずつわたしの心が壊れ始めていくのがわかった。

なんとか、通院しながら治していこうと思い、初診を迎えた。

続く…。

⭐︎備忘録ギャラリー

またまた。娘カメラマンによる写真シリーズ。

いちごに目がない娘。いちご飴食べたいと!15分くらい並んだのだが、その間目をキラキラさせながら、いちごの写真ばかり撮っていた。
娘の撮った写真を見てみると、いちご飴にありつけるまでの物語があった。

番外編が少し長くなりそうで、そしてまとまらない文章ですが、ちらりと、立ち寄る感覚で読んでいただけたら幸いです🙇‍♀️

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