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【風呂酒日和:番外編3】 居酒屋 そう

※本編最後まで読めます。

【風呂酒日和(フロサケびより)とは】
どこかで銭湯を見つけると、つい寄り道したくなる。
銭湯から出ると、つい一杯飲みたくなる。
そんな私がふらりと立ち寄った、心と体とお腹を満たす、銭湯と居酒屋をまとめたマガジン。


日野湯を出た私は、もらってきた街のほろ酔いマップを見ながら、ある店を目指す。

ワインバル、鉄板焼、大衆居酒屋...。
大きな栄えている街ではないが、なかなか素敵なお店が軒を連ねる通りに、ぽつんと古民家風の建て構えが見えた。
一枚板の木の看板にはうねるような文字で「居酒屋 そう」と書かれている。
マップのコメントに"旬の魚と新鮮野菜!"という吹き出しが付いていた。
魚と野菜が美味しいなんてドンピシャだ。


ガラガラとちょっと重たい引き戸を開けると「いらっしゃいませ〜」と明るい声が聞こえる。迎えてくれたおばちゃんに「一人です。」と告げると、カウンターに案内してくれた。

店内はカウンターが数席と奥に小上がりの席が数席。
小上がりは堀ごたつのようになっているテーブル席だ。

あたたかいおしぼりをもらい、いつもの癖で瓶ビールを頼む。
「はーい、瓶ビール〜!」とおばちゃんが奥にオーダーを通す。
この街のお店で出会うおばちゃんは明るく元気な人が多くて気持ちがいい。
からからとした口調にしばらく帰れていない実家の母をなんとなく思い出したりする。


メニューは、ペラペラの白い紙にきれいな筆文字で書かれたコピー用紙が1枚。毎日メニューを手書きで書いているのだろうか。
習字を採点する時のようなオレンジのインクで、おすすめには頭に二重丸がついていたり、波線が走ったりしている。
どれもなかなか良心的な価格で嬉しい。

マップのコメントにあった通り、鮮魚のメニューが多い。
鯵、マグロ、ホタルイカ、タコ、アサリ...素材の名前の横に色々な料理名が並ぶ。
あとは野菜...。
とここで私の目にあるものが止まった。
谷中生姜。春から秋前くらいまでしか食べられない私の大好物である。
待ちに待ったこの季節が来たかと心躍る。


おばちゃんがビールと冷えたグラス、お通しを持ってきてくれた。
最初の1杯を「はい、どうぞ〜」と注いでくれる。
お通しは小さな冷奴だ。やよい軒の生姜焼き定食についてくるようなミニサイズの豆腐にキムチがちょこんと乗っている。
「食べ物、決まった?」と聞かれ、まずは谷中生姜を頼む。
そして、なんだろうと気になっていたメニューの中の"なんちゃってニラ玉"とやらを聞いてみる。

「ニラ玉は...1人だと多いですか?」
「あ〜それはね、全然1人でも大丈夫。ニラ玉って書いてるけど、普通のニラ玉じゃなくて、ニラのおひたしみたいな感じ!そこに卵の黄身が乗ってんの。」
なるほど...それで、なんちゃってニラ玉。
おひたしは大好きだがニラのおひたしは初めて食べる。
もちろんニラも大好きなのでそれではと私は谷中生姜となんちゃってニラ玉を注文した。


店内はほどほどに混み合っていて、カウンターにも数人先客がいる。
1人はハンチングを被ったなんだかオシャレそうなおじいちゃん。
吉四六のボトルをどんとテーブルに置き、枝豆を頬張っている。
見るからに年季の入った常連さんだ。
もう1人はサラリーマン風のスーツの男性。
厨房のおじさんと仲良さそうに話している。彼も一見さんではなさそうだ。


ぼーっと彼らを眺めながらなんとなしにお通しの冷奴を口に入れる。
お、予想以上にうまい。
豆腐にキムチが乗っているだけかと思ったらごま油がかかっていて、それがいいアクセントになっている。
これならうちでも簡単にできそうだ。
今度真似しよう。


しばらくすると、おばちゃんが「はい、お待たせ〜!」と谷中生姜とニラ玉を持ってきた。
「ニラはそこのお醤油、かけてね。」とおばちゃんが言う。

谷中生姜は想像していた通りの谷中生姜。
端っこにポンと味噌が盛られている。
キングオブそうそうこれこれである。
早速味噌をちょっとつけてかじる。
はい、大正解。
瑞々しくて夏がくるなぁなんて思う。まだ春だけど。

なんちゃってニラ玉はおばちゃんの説明通り、キュッとまとまって、直立になっているニラの束の上に卵黄が乗っかっている。
目玉焼きの要領で言われた通り醤油を垂らしながら、プツッと黄身に箸を入れた。とろりと溶け出す黄身と共に、まとまっていたニラがはらはらと崩壊し黄身と混ざり合う。

なんだか綺麗に整っていたものを壊してしまったような気持ちになるが、この崩壊無くしてきっとこのニラ玉は完成しない。
醤油がかかった黄身をよく絡ませてニラを口に運ぶ。
お...おいしい。
食べ慣れている食材のはずなのに、この手があったか、なんて気分になる。
これも、家で作れるな。真似しよう。
余った白身はどうしようかななんてさっそく家でリピートすることを想像しながら黙々と食べ進める。


「この辺に住んでるの?このお店、はじめてよね。」
隣のカウンター席を拭きながら、おばちゃんが話しかけてきた。
話しかけられるのはあまり得意ではないのだが、なぜだかこのおばちゃんの声はすんなりと私に入ってくる。

「さっき、そこの銭湯に行ってきたんです。それで、このマップを見て...」
私はもらったマップをおばちゃんに見せた。
「あ〜日野湯さんね!あそこ生ビールも置いてていいよねぇ。」
まさにそれを飲んでからここに来ました、と言うのはちょっと恥ずかしくて、こくこくと頷く。


「で?あとなんか食べる?」
私のおつまみの減り具合を見てすかさず聞かれ、慌ててメニューを見返す。
「えぇと、じゃあマグロの...」と言いながら悩む。
メニューには"マグロ(刺身 / 漬け / 山かけ)"と書いてあり、私は漬けマグロと山かけで悩んでいた。
うーんと唸っていると「何〜?」と催促してくるので、正直に「いや、漬けと山かけどっちにしようかなと思ってて...」と言う。

「あそ。じゃあハーフ&ハーフしてあげようか!」
おばちゃんは明るく答えた。
「え、そんなのできるんですか?」
「本当はないけどね。内緒だよ〜!」そう言っておばちゃんは人差し指を立て、口に当てた。
そして厨房に向かって「マグロ、漬けと山かけで半分にしてあげて〜!」と大きな声で内緒のオーダーを伝える。
きっとみんな、この内緒の優しさをいっぱいもらってこの店のファンになるのだろう。
おばちゃんが去る前に急いで、瓶ビールをもう一本とらっきょうの塩漬けも
追加で頼む。「はいはーい」とこちらを見ずに言うおばちゃん。

この不思議な居心地の良さはなんだろうか。
決して丁寧に扱われているわけでもないのになんだか温かい。
この店にはそんな雰囲気が流れている。


程なくして、瓶ビールとらっきょうの塩漬け、マグロのハーフ&ハーフが運ばれてきた。
エシャレットが好きでよく食べるのだが、らっきょうは酢漬けのものが多くてあまり食べない。お酢が苦手なのだ。
でも塩漬けと書いてあった好奇心でつい頼んでしまった。
「うちのは浅漬けだから、薄かったらお醤油ちょっとかけてね」とおばちゃんが言う。
おかかがぱらりとかかったらっきょうをまずはそのまま一口。
細身のらっきょうを一粒からさらに切ってあるので食べやすいものの、確かにちょっと塩気が物足りない。
醤油を数滴垂らして、もう一口。
うん、完成した。
酸っぱくなくて塩揉みされたちょうどいい柔らかさと、シャキシャキ感が残るベストな歯応え。

そして特別対応していただいたハーフ&ハーフのマグロだ。
一つはネギと刻み生姜にまみれていい色に漬け込まれた小鉢。
もう一つはとろろの上にぽんぽんとマグロが盛られ、海苔がふってある。
家で自分で作らなければできないような、違う味でちょっとずつを店で味わうのは、1人飲みではなかなかできない。
二つの幸せを交互に楽しむ。
美味しい。嬉しい。


これ、全部家で作れちゃうんじゃないの?なんて思いながらも、やっぱりこのガヤガヤとした楽しげな声のBGMを聞きながら味わうのがまた、外で飲む醍醐味なんだよなと思いながらテーブルの「美味しい」を独り占めする。


また来たい。
今度は銭湯仲間のあの子を連れて、銭湯からここまでのまるごとリピートツアーがしたい。2人いたら、楽しくなってもう一軒くらい足を伸ばしてしまうかもしれない。
まだまだマップには気になるお店がたくさんある。

私はいい街を見つけてしまったなと思いながら、おばちゃんに「ごちそうさまでした、また来ます。」と言って店を後にした。




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