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【書評】浅原ナオト「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」

僕の読書会コミュニティで4月の課題図書となった浅原ナオト著「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」について書評していく。途中、大好きなバンドの楽曲も引用もするが、どうぞ、あしからず。

はじめに【混沌とした感情が羽化し、力強く羽ばたいていくような美しい世界観】

この作家の癖なのか、繊細に描かれる心理描写が素晴らしいだけでなく、鮮やかな対比と伏線、胸に刺さる本質を突くような深い問いが絶妙だった。

マイノリティ、少数派。そもそも気付かれない存在。僕はホモでもHIV感染者でもなければ、BLが好きなわけでもない。それでも、マイノリティになる瞬間は誰にでもあるのではないかと考えた。そもそも、マイノリティとは何なのだろうか。

例えばマイノリティをただの少数派ではなく、少数であるがゆえに「気付かれないもの」と再定義してみよう。本当の自分の姿はきっとそれに似ている。孤独、怒り、悲しみ、寂しさ、その大きさの違いは計りようがないけど、誰にも気付いてもらえないような本当の自分を誰しも抱えているのではないだろうか。

読んでいて沸々と沸き上がる種種雑多な感情、特に嫌悪感。マイノリティだけが理解する悩みや痛みの描き方が強烈。簡単に理解されたくないけど、やっぱり理解されたいもの。生々しい悩みや普遍的な痛みをしっかり捉えられている。でも、いや、だからなのか、読後感は救われたような気持ちになった。

【答えのない答え探し】

普通の基準、世界を簡単にしてしまうこと。自分の軸を自分の内側に、言葉ではなく個性を。聞こえるもの見えるものだけが全てではなく、気づいていないところにこそ見落としてはいけないものがあるのではないか。答えのない答え探しをしているような深さを感じた。この作品が魅力的な理由だろう。

この街は居場所を隠している
仲間外れ達の行列
並んだままで待つ答えで
僕は僕を どう救える

クロノスタシス/BUMP OF CHICKEN

特に好きだった描写について述べていく。

【世界を簡単にすることの愚かさと素晴らしさ】

真に恐れるべきは、人間を簡単にする肩書きが一つ増えることだ。

僕は世界を簡単にしたくない。摩擦をゼロにして、空気抵抗を無視して、分かったフリをしたくない。

23Pや41Pでは「摩擦をゼロにすること」「空気抵抗を無視すること」について語られる。理解しやすくするために物事を単純化してしまうことの例えだ。肩書き一つで他全てを無視して人を決めつけることはどうなのだろう。

だけど、「人を愛すること」「応援すること」「ただ側にいること」これだって、どんな摩擦もゼロにし空気抵抗も無視する行為なのかもしれない。246Pでは、世界を簡単にしてしまうことが鮮やかに温かく語られていく。

【白や黒でなく、濃いグレーを作っていくこと】

ラブとライクでは「好き」の全てを表現することは出来ないよ。ラブにもライクにも属さない、あるいはラブにもライクにも属する「好き」が存在する。

56Pでは「好き」について語られる。ラブとライクだけが好きの全てではない。ペット、家族、恋人、夫婦、子ども、推し、同僚、先輩、上司、後輩…。愛、恋、尊敬、崇拝。やっぱり微妙に違う。優劣ともちょっと違う。言葉にするのが難しい概念に出会えて本の期待値が上がる。

【卑怯になってしまったきっかけがあるのかもしれない】

何度も寝返っていたコウモリは両方から疎まれ、暗い洞窟に身をひそめるようになった。

弱いからやった。生きるためにやった。そうしないときっと、潰れていた。

98Pでは「卑怯なコウモリ」について語られる。獣と鳥が争うなか、それぞれに何度も寝返ったコウモリ、それぞれに良い顔してきたコウモリは、卑怯者としてどちらにも嫌われてしまう。

だけど、コウモリは本当に卑怯なのかという問いが288Pにでてくる。獣の立場、鳥の立場、そしてコウモリの立場。それぞれの立場の真実があって、答えは一つにできるものではないなと気づかされる。

【普通という言葉に負けない強さが欲しい】

「普通」は目指すものじゃない。引き寄せるものだ。自分だけの「普通」を自分の中に築き、それを自分に近づける。やがてその「普通」の中に自分自身が含まれた時、君の世界から偏見は消滅する

120Pでは「普通のセックス」について語られる。普通の基準を自分の外側に作っている間はずっと悩み続ける問題だろう。だけど、生まれた環境も生きてきた足跡も見てきた景色も、何もかも違うのに普通はどこから生まれるのだろうか。世界を自分の基準で見ればいいというミスター・ファーレンハイトのメッセージが胸に突き刺さる。

いろいろと下手くそな僕は
この道しか歩いてこられなかった
出来るだけ転ばないように
そして君に出会えた

Small world/BUMP OF CHICKEN

【単純と複雑は紙一重なのかもしれない】

世界を簡単にできること。その愚かさと素晴らしさを分けるものは何なのだろう。この違いの境界線はどこなのだろう。答えが一つだけではないような問いとぶつかった時、どうやって正解を導けばいいのだろう。

【理解していることのどれだけを理解できているのだろう】

知っている範囲でしか理解できないのに、知らないものは理解しようとしないこと。知らないものを知っていることだけで簡単に理解しようとすること。その浅薄さは、自分にだって当てはまるのではないだろうか。

【2人だから見つけられたもの】

どんなに頑張ろうとも、一人の知識や経験には限界がある。だから相手と一緒に、知らないことを補ったり、新しい発見を見つけたり。対立するのではなく、敵対するのでもなく、その衝突によって生まれる新しい考えや答え、価値、一人では気付けないものを見つけていきたい。

【見えないものに目を向けること、聞こえないものに耳を向けること】

何より気を付けたいこと。相手を否定しようとする時は、熟思黙想すること。立場の違い、見えないもの、足りない情報、そして間違いを正す謙虚さ。正解も間違いも常に変化していく。だから、僕もいつまでも変化を続けていかないと。深く鋭く、そして優しく強く。

ああ なぜ どうして と繰り返して それでも続けてきただろう
心の一番奥の方 涙は炎 向き合う時が来た

Aurora/BUMP OF CHICKEN

最後に【答えのない答え探しの答えは…】

自分の中にあるはずの本当の自分を理解することが何より難しい。普通の基準や行動の選択を他人のせいにしたり任せたりしてしまうこともあるのだろう。その方が簡単で楽だからだ。

でも、いずれ悩みや苦しさと向き合うことになるし、避け続けられるわけでもない。それなら、自分の基準や選択に責任を持ち、その結果を受け入れていく方が同じ苦しさでも全く違う未来が待ち受けているのではないだろうか。

以上最後までありがとうございました。
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