ナゴヤな毎日
すっかりnoteの投稿がご無沙汰しちゃってます。
実は、この記事の前にひとつ記事を書き始めていたのですが
なんだかんだでもう年末!1か月半以上あいてしまいました。
そんなわけで軽く近況報告などを。仕事とプライベートをひとつずつ。
新聞の連載小説の挿絵を描く
最新にして今年最後のお仕事報告です。
中日新聞(東京新聞)に月一で連載されている「掌編小説」の挿絵を担当しました。いしいしんじさんの「たなうらひめ」です。
掲載されたのは12/28(土)の夕刊。
平安時代のお話なので、お仕事では初めて十二単を描きました。当時は今と同じようにネコブームだったそうですね。動物も描けて楽しかったです。
名古屋人として、中日新聞に自分のイラストが掲載されるのは何とも感慨深いです。中部地方などでは中日新聞、関東では東京新聞、ほか提携紙、Web版でご覧になれるそうです。
イエローモンキー30周年ライブ@ナゴヤドーム
同じ12/28(土)は、我が名古屋で愛するイエローモンキーが
30周年ライブを開催しました。
1989年12月28日に結成したバンドはナゴヤドームで30周年を迎え、2月に大阪の京セラドーム、4月に東京ドーム2daysを回ります。
実はワタクシ・初ナゴヤドーム。
ドームまでの道筋に並ぶ「名古屋弁」・・・シュールだわぁ。
ドアラもおるでよ~~~、と歌いたくなってしまうがね(自粛)
ボールペンは購入したチケットの特典でついていたもの。
30年前の1989年12月28日に今の4人のメンバーで初ライブを行ったことから、この日がバンドの結成日ということになっているけれど、実はこの時点ではギターのエマちゃんは正式には加入していなかったのだそうです。
今の吉井さんからは想像できないけど、エマちゃんが
「吉井に華がないし、歌が下手」
という理由でなかなか正規メンバーになってくれなかったというのは、ファンの間では有名な話。そのエマちゃんが加入の決意を固めたのが、実はツアーで訪れたこの名古屋だったらしい。
吉井さんの歌が下手だった(過去形)と言っているのは、エマちゃんだけではない。彼らの人気に火がついたライブハウス、ラ・ママのオーナーも
「吉井くんはホント下手で、売れないと思ってた」
と取材で答えておられました(チーン)。
私の高校時代の友人でラフィン・ノーズの追っかけをしてたNからも当時のイエローモンキーについて「すごい下手で、絶対売れないと思った。イエモンって言うよりイロモンだったし」と言われ、ふん、ラフィンのファンに言われたかねーよ、と思っていたのだが。。。
昨夜のライブで幕間に当時のデモが流れて、彼らの言う意味がわかった。へ、下手すぎる。。。下手っていうか、歌唱法がクネクネしててキモいのだ。この歌い方辞めてホント―によかったよ。
なにはともあれ、そんな歴史もあっての30年、おめでとうございます。
私の初東京ドームは2001年1月のイエローモンキー活動休止ライブだった。あれから19年。ドームツアーができるなんて夢のようだ、ホントに。
noteを休んでいた間のこと
最後に、休んでいた間の雑感を。
10月までは、PCの中にnoteフォルダを作って、さらに記事ごとにも作って
一ヶ月先くらいまで計画的に書いていたんです。
最初の頃は1記事1500文字程度で書いていて
それ以上長くなると2記事に分けたりしていました。
それだと数時間で書けたので、それでヒマな時に書きためたり
毎日どうにか回して行けたんです。
noteって、長くてもある程度完結してる記事の方が好まれるようで
だんだん書きたいことをキチンと書こうとすると文章が長くなってきて
毎日書くの厳しいなぁ。。。となってきて
その頃から仕事上で色々なことが回り始めたり
年末にかけてどんどん忙しくなってきて
毎日書けなくても週一書きたいと思っても
そんなには、なかなかうまく切り替えができないモノだなぁと。
久しぶりの投稿はものすごく「名古屋臭」が強いものでしたが
来年はますますその傾向が強まりそうです。
クリエイターが地方で生きて行くということは
昔に比べればグッと楽になりました。またそんな話もね。
来年も地方の利点を生かしながら頑張っていきたいと思います。
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