見出し画像

始まりはいつも失敗

 ある女の子の担当していた時に気づいたことがあった。その子は3年生から放デイに通所し始めた。理由は勉強がついていけないとのこと。明るい子で小さい子のお世話もおせっかいなくらい好きで、何をしても憎めない子だった。
 ある時、送迎で2人きりになったときに

「先生、あのね。2年生の時にね、0点取ったの。すっごい悲しかった。」

 私は急ブレーキをしそうになった。なんだかいつもの明るいキャラの子だったせいか少し可笑しさも感じた。(ごめんなさい)

「そっかー。頑張っているのに、悲しいね。」

 私はこう返した。
なにより普段から彼女といると、出されている宿題のレベルのテストなんて難しいに決まっていると思っていた。放デイのみんなに報告した時も職員みんなそうだった。

 彼女はのちに支援級へ移った。私たち支援者からしてもホッっとした。
宿題の時間になると鉛筆の尖りを気にしたり、周りの声に反応しすぎたり、消しゴムを落とす回数が頻繁だったりして一向に宿題が進まないことも困り感として出ていたため、机に向かうこと自体に緊張や嫌悪感があったであろうから。
 なによりも、3個同じものが手に乗っている時にすぐに答えられずに指を指して答えていた。これでは文章を読むことは難しい。物の捉えに脆弱性があった。

 それを支援計画の現場に取り入れ、困り感として提示すれば学校に渡す際にも少しは伝わるだろうと企んだ。

 しかし、それでも学校は宿題のレベルを下げずに対応していた。学校に行くのが嫌だということも口に出すようになって、保護者からも宿題の量の調節などを訴えるべきだと伝えた。
 保護者自身もデイじゃない日は起こってしまって関係が悪くなると心配していた。

それでも学校は変わらなかった。

 いつも分からなくなってから教えてもらう。分からなくならないようにの予防がないので、ある時拙い言葉で「辛い」ということを言うようになった。

何をしても怒られるからもういい。

 悪いことしようとしてるわけじゃないのに怒られるし、楽しいことも嫌な時間のせいで短くなる。と、。
支援者としてなんて環境にしてしまったんだと思った。彼女は長期休暇中は生き生きと過ごせるのに放課後には年下にすら嫌みや蔑むことを言う子になった。

 宿題はほどほどにしてもう、教えて書かせちゃえばいいやと思うようになった。完璧主義にさせてしまう環境で彼女はトメ、ハネを算数の回答でも気にするようになっていた。
 彼女の良さが無くなる。何もしたくないという心にしてしまうことの方がよっぽど罪だ。
何か行動して失敗すると、そこから指導が入る。いつも、失敗が始まり。失敗は成功の始まりと教えられていた。

 デイではとりあえず本人の楽しい時間を増やした。公園での遊び、五感遊び、おしゃべり…。悲しい気持ちは消えないけれど緩和に努めた。
もちろん並行して学校への理解を求めた。しかし、なかなかデイとのケア会議などを受け入れない。何が原因かは分からないが同じ目線には立てなかった。

 こんな気持ちになる子が、一人でも減ってほしいと願うばかりでいるのにデイもるどんどん頑張らせる系のところや何かができるようになるように!となるところばかり。
子どもが願うデイになるという視点を忘れてはいけない。

 



お掃除係の実習を体験した保育士さん、きちんとした指導・教育を受けられずも頑張る支援者さん…など現場に困り感を持っている方へサポートすることで、子どもたちに還元されるものがあるのではと信じています。よろしくお願いします。