徳永優介

TheHighwaysというバンドのギターボーカル。考えていること、本や映画の感想等、…

徳永優介

TheHighwaysというバンドのギターボーカル。考えていること、本や映画の感想等、書きたいことを自由に書いています。※2020年11月より、はてなブログからnoteに移行しました。

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最近の記事

形而上の世界

人知を超えたものや五感の外にあるものを一切信じない場合、人はどんな思考を辿るのだろう。 僕は特定の宗教は信じていないし、唯一神みたいなものに対してはどちらかというと否定的な態度だ。しかしどこかで物に魂や神が宿るようなことは信じている節があるのかもしれない。 最近岡本太郎の「美の呪力」という本を読み返していて思ったことだが、創造をするには形而上のものを盲信はせずとも、心のどこかでなんとなくでも信じていることは重要なのではないか。 「美の呪力」に書いてあることは、形而上のも

    • 日常短篇シリーズ:何もない、何かある。

      現在の頭の空っぽさと言ったら、ここ10年で1番だ。少し頭の中を見渡すくらいではなんの素材も見つからない。 不快なものを貯めないようにしていたら、少し歪で変なもの、興味が湧くものもどこかへ消えてしまったようだった。 でも暗くて見えないだけかもしれない。何故なら頭の中は暗闇だからだ。小さな懐中電灯で照らした足元くらいしか見えない。これ以上探すには歩き周る他ない。歩き周るには結局労力がいる。労力を使って少し疲れるくらいが健康的な生活にはちょうどいいのかもしれないが。 鳥の囀りと

      • 日常短編シリーズ:雨

        雨が降っている。窓を開けて外を覗くと、アスファルトの所々に光が反射して、無数の波紋が浮かび上がっては消える。 外に出る予定がない時の雨は嫌いではない。家の中で聞く雨音は、心に安らぎを与える。 家の壁や地面、様々な場所から雨音が響く事で、自分が薄い膜に包まれているような感覚に陥る。 なぜ安心感が生まれるかを説明することは難しい。もしかしたらそれは遠い記憶を覗き見る事でしか解明できない謎なのかもしれない。 雨の音は強まったり弱まったりする。 強まる事で何かに包まれている感覚は

        • 夢をみせるということ

          何かを一生懸命にやる事は素晴らしいと思う。 エネルギーを精一杯放出する事は人生にとって、非常に大事な暇つぶしだ。 しかし、何でもいいから、というのは何か引っかかる。情熱が先行して、結局何がしたいのか分からない状態。というより、一生懸命何かに取り組む自分がゴールになっている状態というべきか。 夢を持って生きる、でっかく生きる、そういう類いの事を推奨する影響力のある人物は、どの時代にも定期的に現れてくる気がする。 一歩踏み出す勇気を与え、輝く未来を予見させてくれる。 それは素晴

        形而上の世界

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        • 思考
          12本
        • 日常短編シリーズ
          5本
        • 感想
          9本
        • 音楽
          4本
        • 生活
          6本

        記事

          どんぐりはたからもの

          先日聞いた話だが、知人の友人の娘さんが3歳になるということで、七五三を祝ったそうだ。 直接面識のない見ず知らずの子供の成長でも、話を聞くと顔が綻んでしまう。人間に限らず、生き物が子供から大人へと成長していく過程は不思議なエネルギーを持っている。 その娘はトトロが好きで、どんぐりが落ちていると拾っては「トトロがいるかも。」と言うらしい。 七五三を祝っている間もどんぐり探しをやめなかったのだとか。 きっと心からトトロの存在を信じているのであろう。そういえばいつしか経験というも

          どんぐりはたからもの

          本:豊饒の海-天人五衰-

          この本は、三島由紀夫が人生の終わりに書き残した長編小説、全4巻のうちの4巻、最終巻だ。 1、2、3巻と転生を見守り続けた本多は76歳となり、隠居生活を送っている。 たまたま立ち寄った場所で生まれ変わりの印である、脇の下に三つのホクロをもった少年、安永透と出会う。これまでの2巻、3巻と大きく違うのは、透が生まれ変りの存在なのか、最後まで確信が持てないところにある。実際物語の最後までそれははっきりはしない。 本多は透を養子にとり、常識的価値観を植え付ける教育をすることでこれ

          本:豊饒の海-天人五衰-

          人間臭い旗を掲げて

          ※この記事ははてなブログにて、2020年11月4日に投稿した記事の再掲です。 最近はもう、いかに人間臭さを自然に残すかが重要だ。 作品も、私生活も。デジタル(という言い方がなんかもう古い気がする)ができる範囲が広くなっていくにつれ、人間だけが出来ることは狭まる気がする反面、浮き彫りになってくる。 僕は比較的昔のアニメーションが好きだが、アニメ界は2000年前後にデジタルに移行してから、特にテレビアニメは人間の温かみはなくなり始め、最近は何に面白みを見出してよいかわからな

          人間臭い旗を掲げて

          本:豊饒の海-暁の寺-

          ※この記事ははてなブログにて、2020年10月9日に投稿した記事の再掲です。 この本は、三島由紀夫が人生の終わりに書き残した長編小説、全4巻のうちの3巻だ。 内容が濃くなってゆくので先に言っておくと、僕は信じている宗教はなく、輪廻転生も信じていない。今回はこれまで転生してきた主人公を見届けてきた本多が中心となって物語が展開される。 ここにきて、本多自身が押さえつけてきた欲望、変態性が花開いていく。はっきりいって、三島由紀夫のこの後を考えると、物語とその行末を交えて考えな

          本:豊饒の海-暁の寺-

          本:豊饒の海-奔馬-

          ※この記事ははてなブログにて、2020年10月3日に投稿した記事の再掲です。 この本は、三島由紀夫が人生の終わりに書き残した長編小説、全4巻のうちの第2巻だ。 第2巻は第1巻の18年後が舞台。第1巻で壮絶に若さと命を燃やし、死へ向かった清顕は、第2巻で10代の若者、飯沼勲へ転生する。 当の本人は前世の記憶はなく、その事実に気がついているわけではないが清顕と行動を共にした本多(第2巻では38歳)はいくつかの要素をもって転生を確実なものと思うようになる。 ひとつ感心してし

          本:豊饒の海-奔馬-

          本:豊饒の海-春の雪-

          ※この記事ははてなブログにて、2020年9月25日に投稿した記事の再掲です。 この本は、三島由紀夫が人生の終わりに書き残した長編小説、全4巻のうちの第1巻だ。 この話は、松枝清顕と聡子の恋愛が中心であるが、決して美しい恋愛話とは言えない。美しい点があるとすれば、若くて世間をしらず、利己的な、清顕の命のエネルギーの燃焼により放たれる生命の輝きだろう。 はっきりいって清顕は自分の事しか考えていない。聡子を愛する気持ちも、自分のいわば理想に使われているだけだ。 これをみて美

          本:豊饒の海-春の雪-

          日常短編シリーズ:変わり目

          ※この記事ははてなブログにて、2020年9月21日に投稿した記事の再掲です。 これはフィクションであり、ノンフィクションの話でもある。 黒い革靴の表面を車のライトが滑り抜けてゆく。 既に日は完全に落ちていて、街灯や信号の光が闇に浮き上がっている。 少し肌寒い。半袖のTシャツで出てきた事を間違っていたとは思わない。昼間は確かにTシャツで丁度良い気温だった。何か羽織ろうか考えたが、まだ早い感じがした。 それに久々に押し入れから出してみた薄いジーンズ生地の上着は少し埃っぽ

          日常短編シリーズ:変わり目

          体験は脳味噌のシワに刻まれる

          ※この記事ははてなブログにて、2020年7月30日に投稿した記事の再掲です。 現在の世の中は、音楽だけでなく、映画等も含めてサブスクリプションが当たり前となりつつある。 システムとしては本当に便利で、さほど高くない定額を払えば観たいもの、聴きたいものを短時間で探し出し、おもしろくなければすぐに切り上げることができる。 僕たちが使える時間は限られていて(生きている時間には限りがあるので)、その限られた時間を有効に使うという意味では非常に意義があるといえる。しかし、その中で

          体験は脳味噌のシワに刻まれる

          映画:ゴジラ対へドラ

          ※この記事ははてなブログにて、2020年7月6日に投稿した記事の再掲です。 1971年公開、ゴジラシリーズ第11作目。 当時問題となっていた大気汚染や水質汚染を取り上げたゴジラ作品。 汚染により発生したヘドロの中から生まれた怪獣としてヘドラが描かれる。 ヘドラのデザインは奇妙で不気味。成長により姿が変化する上、飛行形態から歩行形態に変身もするのでバリエーションが豊か。興味を引くインパクトのあるデザインで、個人的には好きだ。 映画の中にはアニメが挿入されたり、目がチカ

          映画:ゴジラ対へドラ

          日常短編シリーズ:隣のあんちゅわん

          ※この記事ははてなブログにて、2020年5月2日に投稿した記事の再掲です。 これはフィクションであり、ノンフィクションの話でもある。 新型ウィルスの感染拡大の影響により、家にいる事が多くなった。 僕がしている仕事は自粛の対象ではないため出勤は以前とさほど変わらずしているが、バンドの練習やライブができないためその分時間が空く。 こうなってみるとそれだけでも相当自由な時間が現れてくる事がわかった。家にいる事が多くなると今まであまり意識する必要がなかった問題も浮上してくる。

          日常短編シリーズ:隣のあんちゅわん

          尊敬と崇拝

          ※この記事ははてなブログにて、2020年4月24日に投稿した記事の再掲です。 尊敬と崇拝は全く別物だ。 僕は尊敬の念を抱くことはあるが、崇拝については永劫することはないだろう。 神様のように崇める存在(人間)は僕にとって存在しない。なぜなら心の中に「所詮人間は人間なのだから」という思いが常に存在しているからだ。 これはネガティブな意味で述べているわけではなく、ただ人間はその人間という範囲内で存在していて、大きな目で見ればあまりみんな変わらないという意味で述べている。そ

          尊敬と崇拝

          泥だらけの坑夫

          ※この記事ははてなブログにて、2020年3月17日に投稿した記事の再掲です。 いつの間にか前の記事を書いてから時間が空いてしまった。現在、世間は殺伐としていて、鬱屈している。これ以上事態が悪くならない事を願いつつ、自分は気にしすぎずいつもの生活を続けていこう。(もちろん予防はしっかりする) さて、最近の僕と言えば曲作りによく励んでいる。 以前は一月一曲程度が関の山だったが、去年の11月くらいからは月約4曲くらいのペースで曲を創ってきた。意外とやろうと思えばできるもので、

          泥だらけの坑夫