形而上の世界

人知を超えたものや五感の外にあるものを一切信じない場合、人はどんな思考を辿るのだろう。







僕は特定の宗教は信じていないし、唯一神みたいなものに対してはどちらかというと否定的な態度だ。しかしどこかで物に魂や神が宿るようなことは信じている節があるのかもしれない。

最近岡本太郎の「美の呪力」という本を読み返していて思ったことだが、創造をするには形而上のものを盲信はせずとも、心のどこかでなんとなくでも信じていることは重要なのではないか。

「美の呪力」に書いてあることは、形而上のものへの如何なる気持ちでもよい、矢印を向けられるかどうかが創造にとって大事なことだという自分の意見を浮き彫りにする。




人によっては、目に見えないものへの言及だけでアレルギーが出る人もいるだろう。
かく言う僕も自分が見たもの、触ったものだけが信じられるという気持ちを持っていないわけではない。ただどこかで物理的でない世界、形而上の世界を信じている部分も持ち合わせているのだ。









ある意味矛盾だらけだが。人とはそう言うものだとも思う。






人は想像力を持っているため、苦しむこともあれば豊かに過ごすこともできる。
形而上の世界も言ってしまえば人間の単なる想像の世界なのかもしれないが、その形のないものに人はどれだけの豊かな血を見ただろう。希望も絶望も大きく大きく増大したことだろう。
過去から今まで人間が創り出してきたものを見て、感慨に耽らずにはいられない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?