尊敬と崇拝

※この記事ははてなブログにて、2020年4月24日に投稿した記事の再掲です。


尊敬と崇拝は全く別物だ。

僕は尊敬の念を抱くことはあるが、崇拝については永劫することはないだろう。

神様のように崇める存在(人間)は僕にとって存在しない。なぜなら心の中に「所詮人間は人間なのだから」という思いが常に存在しているからだ。

これはネガティブな意味で述べているわけではなく、ただ人間はその人間という範囲内で存在していて、大きな目で見ればあまりみんな変わらないという意味で述べている。そして大した存在でもないという意味も含んでいるかもしれない。

人間が存在している意味は何かと言われればそんなものはないと答える。しかし、どう足掻いてもないからこそ、汚くて美しい命を大切にして精一杯生きて足掻きまくる事が大切なのだ。

もちろん崇拝をする事が間違っているとは言わない。例えばお守りのようにその対象を胸に抱き続け、何かを成し遂げるのもいいだろう。ただ自分は自分で答えを見つけたい。間違っていても自分でつかんだものは何にも変えがたいものだと考えるからだ。

自分だけしか知らないものは価値がある。それは何かといえば自分として生きてきた時間を使って重ねてきた経験だ。

自分だけの経験をもとに答えを導き出せた時、それはどんなに先人の考えに似通っていようとも、たった一つの答えになるはずだ。

だから僕は崇拝しない。尊敬できることを探して、自分に必要ならばそれを取り入れていくだけなのだ。

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