追悼・宇能鴻一郎先生・5 終 24.9.25

ウィキ●ディアによると、90年代以降カサク(寡作)になられて、2006年に夕刊紙のレンサイを終えられてからは、カンノー小説はおかきにならなかったみたい
その後、2014年にジュンブンガクでフッカツされたンだけど、「あたし」シリーズはもうかかなかったのかしらン

バンネンのウノ先生は、横浜に600坪の洋館をお建てになったンだって
そこに月1度はお客様をまねいて、社交ダンスのパーティーをしていらしたみたい

あたし、ウノ先生がポルノをおかきになったのは、そンなキゾク的なセーカツがしたかったからなのかな、ッて
おもったりもしたンたけど
ホントのところはごホンニンしかわからないのよね

ウノ先生がずっとジュンブンガクをおかきになっていれば
すっごくエラいひとになったかもしれないけど
ここまで――少なくとも、イッパンのオジさンたちにまでおナマエがひろまることもなかったし
ゼータクなおクラシもできなかったとおもうの

そもそもあたし
じゃなくて、ヒダリューもおカネがほしくて、エッチな小説かいたンだから
ヒトのこといえたギリじゃないわね

でも、サイゴのサイゴでジュンブンガクにもどったってことは
ヤッパリホントにかきたかったのは……

考えすぎかしらン

ただ、ウノ先生の「あたし」シリーズがなかったら、あたし、生まれてなかったし
ヒダリューのかくものも、いまとはだいぶちがったものになったと思う
それが、ヒダリューにとってラッキーだったのかそうでなかったのかはわからないけれど

まぁ、ソーユーエロ小説かきがひとりぐらいいてもいいンじゃないかしら

ってうちのパパが言ってた
ウソだけど

宇能鴻一郎先生
本当にお世話になりました。
先に旅立たれた方々と、天国でもパーティーをお楽しみください。

ってヒダリューが言ってた

これはホント

(おわり)


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